第2話 初めての会話、初めての貸し借り


「今日の授業範囲、中間テストに出すからなー」


 チャイムが鳴ると同時に現代文の授業が終わる。

 野上先生はすぐさま黒板消しで黒板に書かれたものを消し、綺麗さっぱりにしてしまった。


 真面目に授業を受けていた悟にとっては、さして問題はなかったが、複数人の生徒からは「えー」という声が上がり、ぶーぶーと批判的な声が出た。

 野上先生は、「それなら授業中に寝るんじゃない」と一喝し、さっさと教室を出てしまった。


 ちょうどお昼休みにもなるため、悟は学食で何を食べようかと考えながら机の上を片付けていると、彼の腕にちょんちょんと突く感触がした。

 その方を見ると、詩が恥ずかしそうな顔をしながらこちらを向いていた。

 何事だと悟は驚き、ふいに緊張する。


「あ、あの……先ほどの現代文のノート、見せていただけませんか?」


 そのお願いに、思わず悟の口から「へ?」というすっとんきょな声が出た。彼は女の子からノートを貸してくださいという言葉を聞いたこともなければ、貸した経験もない。

 いつも横目でちらちらと悟は彼女を見ていたが、授業態度はいたって真面目で、そんなことを言い出すなど予想だにしていなかったのだ。


「あ、あぁ……いいけど、どうしたの?」

「授業の内容全部書き切れてなくて……」


 悟は「少し字が汚いけど」と言いながら、現代文のノートを詩に貸した。

 その瞬間、詩の恥じらった顔が可愛らしい笑顔となり、満面の笑みで「ありがとう」と悟に返した。


 悟は思わず顔を逸らした。

 反則的に可愛すぎるし、女の子の笑顔はうぶな童貞など一撃でノックアウトさせるほどの破壊力を持っている。


 悟はあまりの恥ずかしさに、「明日までに返してくれれば大丈夫だよ」と言い残すと、逃げるようにして学食へと駆け出して行った。


「あ、待って……」

 彼女のか細い声は、惜しくも彼の耳には届かなかった。


 詩はシュンとなりながらも、ぎゅっと借りたノートを握る。

 彼女のその指は少しだけ震えていた。



「なぁ、今日初めてアリス様と話しちゃったよ」

 もぐもぐとうどんを口に含みながら悟は喋りだした。


「おい、汁が飛ぶだろ悟。食ってから話せ」

 若干引き気味に慎之介が自分のカレーの器を遠ざける。


「小学生じゃないんだから、落ち着きなさいよ全く」

 隣にいた恵も、ミートパスタの器を遠ざける。

 悟は口に含んだうどんをごくりと飲み、コップに入った水できれいさっぱり口の中を空にした。


「ふぅ、ごめんごめん。ちゃんと空にしたぜ」

 へへへと悟は笑った。


「それで?なんで話したんだ?お前があんな超絶美少女と接点なんてないだろ」

 慎之介がいい加減な嘘やめろよ、どうせ盛ってるんだろう?という顔で悟を窘める。


「いやぁな、今俺の席が彼女の隣なんだよ。それでさ、今日ノート貸してって言われたから貸したんだ」

 悟はそんなことはないんだと慎之介に事実を伝えた。だが、彼の顔は半信半疑のような顔色を浮かべているまんまであった。


「へぇ、そんな奇跡あるもんだね。もう一生分使い果たしたんじゃないか?」

「おい、俺がこんなことで一生分の奇跡を使うかバカ」


 悟は器に残ったうどんの汁を一気にすする。

 高校生の胃袋というのはどうも際限がないようで、悟はおやつにと買っておいた菓子パンの袋を開けた。


「アリス様ねぇ……女子の間だとあんまりいい噂ないよ?」

 恵は頬杖をつきながら、ため息交じりに口を開いた。


「え、そうなの?」

 悟は唇の端からぽろりとパンくずを落とす。


「私は違うクラスだし関わりないんだけど、香奈が一緒のクラスだからよく話は聞くよ。なんか遊びに誘っても来ないし、連絡先も誰にも教えないし、すごく愛想はいいんだけど、なんか人を避けてるっていうかなんて言うか。友達もいないみたいよ?」


「そうなんだ……あんまりそんな風に見えなかったけどなぁ」

 菓子パンを食べ終え、悟は先ほどの出来事を思い返した。


 特段、彼女が人を避けている感じもなかったし、悟自身に嫌悪感を出しているわけでもなかった。

 もし、本当にそんな性格なら他人からノートなんて借りるはずもない。

 行動に不自然さは残るが、悟の中で詩はますます興味深い存在となっていた。


「あれ、そういえば慎之介と恵は部活決めたの?」

「あー、俺は帰宅部かなぁ。帰宅部一択。家帰ってゲームしたいし」

「野球はもうやらないの?」

 恵は慎之介の顔を見る。


「中学の最後の大会で肘怪我しちまったし、もう野球はいいかなって。辞めても悔いはないし、これからはゲームに生きるよ」

 慎之介の乾いた笑顔に少しだけ影が差す。


「私も実家でバイトして、お金稼ぐつもりだから帰宅部かなー」

「おいおい、これじゃみんな帰宅部じゃねぇか」


 悟はため息をついた。

 ある程度こうなることは予想していたが、一度しかない青春の放棄してしまう僕らはいったい何なのだろうかと、呆れたため息であった。


 悟と慎之介と恵は幼馴染同士で、家も近くに隣接している。

 特に母親同士の中がよく、物心ついた時からよく一緒に遊び、お風呂に入り、ベッドにもぐりこんでいびきをかきながら眠りについた仲である。


 心の知れた仲であり、高校も一番近くの私立高校に一緒に入学をした。

 互いにこれがやってみたいとか、将来の夢はこうなりたいとかというものもあやふやで、何かを探すために高校に進学したはずが、結局のところ中身は中学生の時と何ら変わらず、今もこんな風に和気あいあいと幼馴染を続けていた。


「俺もバイトしよっかなぁ」

「あ、ならうちの実家でバイトしない?今人手が足りなくて困ってるんだ。厨房になるけど、どう?」

「え、まじか。時給いくら?」

「850円でまかない付き」

「行く」


 即決でその場で悟は返事を出した。

 恵の実家は昔から喫茶店を経営していて、馴染みのお店であった。

 すでに気のしれた人がいる職場であるのなら、初めてのバイトであっても不安なく働けると、悟はその誘いに了承をした。


 今の悟にこれといった生き甲斐となる趣味も、熱中できるスポーツもない。

 彼にあるのはただただ生真面目な勉強の癖と、だらけた漫画とゲームに時間を浪費する日々である。


 だが高校生にもなると、どうも物欲というものは増すようで、悟は新しく出るゲームの最新版や新刊の漫画へ費やすお小遣いもちょうど足りなくなっていた。


 3人は食事を終え、食堂を出るとふらふらと歩きながら教室へと戻る。

 教室は校舎3階にあり、悟は1年4組であり、慎之介と恵は1年6組であった。


「じゃ、おれはここで」

「おう」

「じゃあね、悟。後でバイトの件は連絡するね」


 笑い合いながら悟は2人と各々の教室へと戻っていった。

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