第200話 超えてしまった一線


「ま、待ってくださいッ!」


「…………回復していましたか」


 なんとか身動きできるようになった私は立ち上がり、イザーヌさんに声をかけました。


 殴られたお腹はまだ痛いですが、倒れている場合ではありません。


「ちゃ、ちゃんと説明していただければ、私だって協力できるかもしれませんからッ! 何もいきなり殴って、問答無用で連れて行こうとしなくても……」


「…………では、大人しく私に着いてきて」


 歩みを止めたイザーヌさんが、私にそう問いかけてきます。


「だ、だからどうしてなのか説明を……」


「…………先ほども言いましたが、私は何も聞いていない。ただ連れて来いと、そういう任務を受けただけ。詳しい話は、私が連れて行った先でベルゲン大佐に聞いていただければ」


 自分はただ言われただけ。理由等知らないが、連れて来いと言われたから、どんな手を使ってでも連れて行く。彼女の、イザーヌさんのスタンスは変わりません。


 このままやり取りを続けようとそれは同じで、やがては面倒になった際にはまた強引な手を取られる事でしょう。


 場合によっては、フランシスさんも加勢してくるかもしれません。一体、どうしたら……。


「…………ウッ!?」


 頭を悩ませていたその時。突如として胸に激しい痛みが湧き上がりました。ドクン、っと心臓が跳ねたような感覚があります。


 立っていられなくなった私は、床に倒れ伏しました。


「うっ……ぐぅぅぅ……あ、ああああッ!?」


『マサトッ!?』


「マサトッ! 一体どうしたんだよッ!?」


 オトハさんとウルさんの声が辛うじて耳に届きましたが、転がって悶え苦しむ私には、最早それに返事をする余裕すらありません。


 まるで心臓が棘付きになったかのように、ドクン、ドクン、と脈打つ度に痛みが全身に駆け巡ります。


 いつの間にか、身体中に黒い入れ墨のような痣が浮き上がり、それはまるで生き物であるかのように蠢き始めます。


「…………どう、した?」


「……その痣……発作……アンタまさか、魔族の禁呪でも受けてるんじゃ……ッ!?」


 戸惑いの声を上げるイザーヌさんと、何かを察したかのようなフランシスさんの声。


 私はそれに構わず、張り裂けそうな叫びを上げました。


「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」


 身体が一際大きく跳ねたその時。黒い炎が巻き起こり、私の周囲を囲みました。


 耳の上辺りから、角が生えてきている感覚があります。それと同時に身体中の黒い痣が身体を締め付けるかのように収縮し、私は声なく息を吐きました。


「ッァ……!?」


 その後。痣は体内へと消えていきました。急速に痛みが引いていき、私は大きく息を吐きます。


「……ッハァァ……ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…………」


 ようやく。ようやく落ち着いてきました。身体中に汗をかいている感覚があり、服がベタベタします。


「ま、魔族だァァァッ!!!」


 なんとか立ち上がろうとした次の瞬間。ロビーにいた人々の叫び声が上がりました。


「魔族が出たぞッ! に、逃げろォォォッ!」


「た、助けてくれッ! まだ、まだ死にたくないィィィッ!」


「おい軍人さん達ッ! 魔族が、敵が出たんだッ! 早くあれもなんとかしてくれよォォォッ!」


「「「うわぁぁぁああああああああああああああああああああああああッ!!!」」」


 逃げ惑う人。頭を抱えて小さくなり、命乞いをする人。アイリスさん達にすがる人等、様々です。何人かは、外に飛び出して行ってしまいました。


「う、ウルリーカッ! 早く逃げるわよッ! 魔族が、魔族が出たんだからッ!」


「ま、待ってよお母さんッ! あれは、あれはボクの友達なんだッ!」


 ウルさんもお母さんに引っ張られています。


 その様子を見た私は、ああ、そうか、と納得してしまいました。未だに黒炎を纏っている私。これは、つまり。


「魔王化……して、しまったんです、ね……」


 耳の上に手をやると、角が生えている感覚があります。皮膚の色も薄くなり、髪の色も抜け落ちて白くなっています。そして私の目は、黒い強膜に赤い瞳を携えている事でしょう。


 この姿を、大勢の人々に、見られてしまいました。


「……………………ッ」


 私の変貌ぶりを見て流石に驚いたのか、イザーヌさんが目を見開いています。ああ、この人も、ちゃんと驚くんですね。


「"呪縛(バインド)"ッ! "操作(マニュアル)"ッ!」


 すると私の元に光のロープが巻き付いてきました。びっくりしている間に身体ごと引っ張られて、フランシスさんの前まで連れて来られます。


「アンタ、この症状は……ッ!」


 目の前に来た私を、彼女が触診しています。顔を触り、目の下を下げて奥を覗き、お腹の辺りに親指をグッと入れて中身を触っています。


「大丈夫です、フランシスさん。よくある発作ですので、また戻りますから……」


「……やってみなさい」


 いつもの発作だから、落ち着いた今なら戻れます。私がそう言うと、フランシスさんはまるで、できるものなら、と言わんばかりの様子でそうおっしゃいました。


「は、はい。では……」


 そうしていつもの様に、元の人間の姿に戻ろうとしましたが……。


「あ、あれ…………?」


 元に、戻れま、せん……いつもなら、人間の姿をイメージしつつ、徐々に体内の黒炎のオドを引っ込めていけば、元に戻れる、筈なの、ですが……。


「な、なんで……ッ!?」


 私は慌てました。完全にイメージの話ですが、私の体内にある黒炎のオドは、蓋つきの壺に入っている感じでした。


 "黒炎解放"の呪文でその蓋を開けて、黒炎を使う。使い終われば黒炎のオドを壺の中に引っ込めた後に蓋をする。そういう感覚で元に戻っていたのですが……。


「な、ない…………蓋も、何も……ッ!?」


 今は。その黒炎のオドがしまわれていた壺も、漏れ出ないようにされていた蓋の感覚もありません。


 まるで。黒炎のオドが、身体と一体化してしまったかのような……。


「……終わっちゃったのよ」


 焦る私に、フランシスさんがそう告げました。


「おそらくは禁呪の侵食が、完了しちゃったのよ……アンタはもう……二度と、人間には戻れないわよ……」


「え…………………」


 彼女の言葉に、私は戦慄します。もう、戻れない……? 人間には……二度と……?


『そ、そんなッ! マサトは薬をちゃんと飲んでたのにッ!』


「そ、そうだよッ! それにマサトは最近、黒炎を使ってなかったじゃないかッ! どうしてそんな急に……」


「……禁呪は一度発動すれば二度と解除できない、危険な呪いよ。その全貌は、明らかになんかなっていない。薬で遅らせようが……その侵食が止まる事なんて、ありえないわ。それがもう……終わっちゃったのよ。黒炎かなんか知らないけど、今までだって力を使わない時にも、発作があったんじゃないの? それが、侵食が進んでた証よ」


『そ、そんな……ッ!』


 女の子二人の疑問に、フランシスさんが答えています。


 言われてみれば確かに。マギーさんに初めてバレた海の時も。そして少し前に四十八滝に行った時も。


 私は黒炎を使っていないのに、発作を起こしていました。呪いの副作用か何かだと思ってましたが……あれが、進んでいた証だったなんて……。


「…………驚いた」


 少しして口を開いたのは、イザーヌさんでした。


「…………人が魔族になるなんて事が、本当に起こり得るとは。しかも、その黒い炎……魔王の力。地獄の業火、黒炎……貴方は一体……?

 …………しかし、それはそれ。私はこの子を、ベルゲン大佐の元に届けなければならない。フランシス=トレフューシス」


 驚きが落ち着き、調子を取り戻してきたらしいイザーヌさんが、私を魔法で拘束しているフランシスさんに声をかけます。


「…………その子をこちらへ渡して」


「……………………」


『駄目ッ! 駄目だよお母さんッ! お願いッ! お願いだからッ!』


 返事をしないフランシスに代わって、オトハさんが声を上げました。


『マサトはわたしの大切な人なのッ! マサトはわたしを助けてくれた初めての人なのッ!』


「……こいつ、魔族なのよ?」


『関係ないッ!!!』


 一際大きな魔導手話が、辺りに響きました。

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