第97話 エルフの里の都合


「……なんじゃと! それは本当かッ!?」


「はい、間違いありません」


 人国の首都であるテステラから遠く離れたエルフの里で、里の長老であるルーゲスガーは声を荒げた。


 彼のシワの刻まれた顔は驚きに満ちており、白髪混じりの緑色の髪の毛がザワッと揺れている。


 それほどまでに部下からの報告とその資料の内容は、彼にとって衝撃的なものであった。


「オトハが人国にいたと言うんだな? 間違いないんじゃなッ!?」


「はい。たまたま海にバカンスに行っていた一人が、そのお祭りの催し物に出ていた彼女を見かけたということです。その目撃証言から捜索に乗り出し、現在の彼女は人国の首都で生活していることを突き止めました」


 そう。エルフの里で第二神の封印の呪いを解くために育てていたオトハが、見つかったというのだ。


 魔族の軍隊による襲撃で彼女を連れて行かれた後、奴隷解放条約によって返還されたエルフの奴隷の中に、彼女の姿はなかった。


 問い合わせはしたものの、魔族からは全ての奴隷を把握している訳ではないため、一個人の行方等の詳細は不明、との回答しか来なかった。


 魔国に潜入しているスパイからも情報がなかったため、彼女は魔国で死んでしまったものと考えられていた。


 そんな彼女が実は生きていたというのだ。ルーゲスガー以外の他の幹部らも、びっくり仰天である。


「……現在は人国の士官学校に通っているみたいなのですが、いかがいたしましょうか、ルーゲスガー様?」


「決まっておる!」


 そうお伺いを立てる部下に向かって、ルーゲスガーは声を荒げた。そんな情報を得たのであれば、やることは唯一つだ。


「今すぐにでも連れて帰ってくるのじゃ! 人国や魔国に下手なことを知られる前に! 手段は問わん! 生かして捕らえてこいッ!」


「ハッ!」


 上司の一喝に部下のエルフは同じくらいの声量で応えた。


 この様子では、本当に手段を選ばずに一刻でも早く連れて帰ってこないと、後に何を言われるか解らない。


 軍人らに頼み堂々と連行するか、それとも隠密の部隊を動かすか、いくつかの手段を頭で浮かべつつ、部下のエルフはその場を後にした。


「……良かったわ、また子ども作る羽目にならなくて」


 部下がいなくなり、一人になったかと思っていたルーゲスガーに声がかかる。その方向を見ると、彼の娘であるフランシスが、腕を組んだまま彼を見ていた。


 ロクに手入れをしていない癖に長く美しい緑色の髪の毛で片目を隠したまま、安堵の表情を浮かべている。


 しかし問題はその服装だ。下着の上に白衣だけを着ているという、とても信じられない格好をしている。


「……フランシス」


「子育てって思った以上に面倒だったの。またどこの馬の骨とも解らない人と交わって子作り、そして子育てのやり直しなんて、正直ごめんだったわ」


「……どこの馬の骨とは、酷い言い草だね」


 するともう一人のエルフが、フランシスに続いて髪をかき上げながら現れた。


 彼の名はダニエル。淡黄色の髪の毛は前、そしてそれ以外も綺麗に毛先が切り揃えられているボブカットをしており、戸籍上ではフランシスの夫にあたる人物だ。


 エルフの中では名家の生まれであり、その血統を見込んでフランシスと結婚することになったのだが、一個人としての評判はあまりよろしくない。


「見た目もスタイルもこの僕並みに麗しい君だが、その適当な性格と、娼婦にも見えるその格好だけは何とかならないのかい? 未だに慣れがこないよ」


「あっそ。どうでもいいわ。いくら夫になったからって、私は私よ。馴れ馴れしくしないで」


「……僕が旦那になってやったっていうのに、随分と偉そうだね、君は」


「……夫婦喧嘩なら家でやってくれんかの」


 そのやり取りを聞いていたルーゲスガーは、眉間に中指を置いた。


 当人達の意志に関係なく結婚させ、子どもを作らせたのは間違いなく彼の都合ではあるのだが、事あるごとに自分の所に来てあてつけのように喧嘩しているのは、流石に気が滅入ってくる。


「……それで、私の娘が生きてたって本当なんでしょうね?」


「ああ。部下からの報告にこの資料、間違いないじゃろう」


「ああ良かった! 愛しの愛娘が生きていてッ!」


 声を上げるダニエルに対して、ルーゲスガーは冷たい視線を向けていた。ダニエルとフランシス。この二人は、オトハの両親と言われている。


 ルーゲスガーの都合で結婚をして子を成し、その子に第二神の封印の呪いを解くための教育を受けさせたのは、間違いなく彼らだ。


 自分の子どもの無事が解って安心する両親というのは、普通に考えたら当たり前のことであろう。


 しかし実際は、口でこそそう言っているが、ダニエルはオトハの安否などこれっぽっちも気にしていなかった。


 オトハが連れ去られた後も必死になって探しもせず、魔族の襲撃で壊れてしまった家の心配をしていたような男だ。


 先ほどの言葉は、僕は自分の子どもを心配する正しい父親ですよという、ルーゲスガーに対する一種のごますりであろう。


 それが解っているからこそ、ルーゲスガーの視線も冷たいものであった。


 そしてそれは、母親であるフランシスも同様なのか。先ほどの言葉の通り彼女は、オトハがいなくなったらもう一度子を成して育てなければならないという面倒が発生する、その点しか口に出さなかった。


「あっそ。んじゃ、そういうことで。私はまた研究に戻るから、なんかあったら手紙ちょーだい。面倒だからいちいち遠話石で呼んだりしないでよ」


「……ホントつれないね、フランシスは。では、僕も弓と自分磨きの鍛錬に戻るとしよう。次の大会では、今度こそアイツを下して優勝してやるんだ。もちろん、美しくね。あっ、彼女を教育してた部屋はそのままにしてあるから、戻ってきたらまた使ってください。それでは」


 やがてそう言うと、二人はさっさと部屋を出ていってしまった。その様子を見ていても、彼らがオトハについてさほど興味がないのが見て取れる。


 今度こそ一人になったルーゲスガーは、大きくため息をついた。


「……かわいそうな孫娘じゃのう……まあ最も、こちらの都合で彼女を神の生贄にしようとしている、ワシが言える立場ではないが」


 両親と言われている者たちにここまでの扱いをされている孫娘に少し哀れみを覚えたが、ルーゲスガー自身そこまで親や祖父母に愛情を受けて育った覚えも、そして自分の子を愛情を持って育てた覚えもない。


 他種族よりも長命なエルフという種族は、子を成すということをそこまで重視する種族ではない。


 一人一人が長生きであるからこそ、結婚も出産も、必要がなければしないという認識があった。


 無論、恋愛という概念はあるが、それは相手との関わりを楽しむ一種の娯楽であり、人間みたく結婚を見据えてという者は少ない部類である。


 だから、長らく恋愛をしていたが飽きたら別れる、というカップルも少なくなかった。


 そしてそれは、彼も同様であった。エルフの長の家系として必要に応じて子どもを成し、都合の良いように育ててきただけだ。特にエルフという種族をまとめ上げてきた家だけあって、子どもは何かしらの役割が必要にならなければ作ることはなかった。


 オトハも、第二神の生贄に必要という都合がなければ、生まれなかった存在だ。これまですっとそんなあり方をしてきたため、今更変えられない。


「まあいいじゃろう。そういう家に生まれてしまった自分を恨んでくれ。ワシとて孫娘一人よりも、エルフの里全体を管理せねばならん立場じゃ。彼女一人で里の安寧が買えるなら、安いものじゃしな」


 ルーゲスガーにとってオトハとは、里を運営するための一つの道具であった。大勢を救うためには、少数を切り捨てなければならない。


 例えそれが、血を分けた家族であったとしても。上に立つということは、その判断を下さなければならない時がある。


「……ワシらには、第二神の力が必要なんじゃ」


 そう呟くルーゲスガーの声色には、必死さが滲んでいる。実の両親はどうでも良さげな扱いを受けていたオトハであるが、彼にとっては違う。


 オトハは彼にとって、第二神の封印の呪いを解くために、何としてでも取り戻さなければならない存在であった。


 第二神。神々の時代に生きていた、魔族をも凌ぐ力を持った存在。その存在を、長命なエルフは知っていた。


 それがどれだけの力を持ち、過ぎ去った神々の時代に暴威となっていたのかも。その一柱が、エルフの里に封印されている。


「……エルフの里の平穏のためにも……心配じゃよ、オトハ。どうか無事に戻ってきておくれ……」


 孫娘の心配をするお爺ちゃんのような言葉だが、その実は彼女を自分の都合で殺すための懇願である。


 その孫娘を差し出してまで彼が欲している、第二神という存在。今はまだ、秘密の地下室の奥深くで、物を言わずに眠っている。



 シマオも学校に慣れ始めて六人でわいわいすることが日常になり、夏休み気分が抜けてきたある日のこと。


 突然、オトハさんがいなくなりました。

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