第77話 準備でヘトヘト


 トイレの前で待つこと少し。廊下のリビングの方の曲がり角からひょっこりとウルさんが顔を出しました。


「……まさか男子内でそんなこと計画してたなんてね~。あれかい? ひょっとしてボクが誘った時に渋ったのって……」


「ええまあ。この話があったからなんですよ」


 やってきたウルさんがそう勘付いてくれましたので、説明が省けそうです。


 正直、彼女の誘いを渋ってた時はこの話はなかったのですが、まあそういうことにしておけば納得もしやすいかなと。


 そういう言い訳にさせていただきました。


「……それで? ボク達に旅行をプレゼントするために頑張ってくれるのは嬉しいんだけどさ……ボクとお祭りを二人で回る約束は、どうする気なんだい?」


「……それもちゃんと果たしますよ。約束、しましたからね」


 もちろん、私は彼女との約束も破る気はありません。兄貴とシマオに頼み込んで、あの出店対抗イベントには私が出ることにしてもらいました。


 このイベントの後で、お店の宣伝とかなんかかんやがあって戻るのが遅くなりました、という体でウルさんとお祭りを回るつもりでいます。


 これなら、上手いこと二人に気づかれずに行けるのではないかと。


「……ふ~ん。一応、考えてはくれてたんだ」


 私の話を聞いたウルさんは、少し嬉しそうな顔をしていました。


 ええ、ちゃんと考えていましたとも。兄貴とシマオに気づかれないように店を離れるにはどうしたらいいかと、かなり悩んだ結果です。


 と言うか、もうこれ以上の案が私からは出ません。


「……じゃあ、イベントに出る男女ペアっていうのも、ボクと出るつもりだったってことかい?」


「……へ?」


 次のウルさんの言葉に、私は固まりました。なにそれ聞いてない。イベントに出る男女ペア? えっ?


「あ、あれ? イベントって私一人で大丈夫なハズじゃ無かったですかッ!?」


「……えっ? あれだけお返しとか言っておいて、ちゃんと読んでないのかい? あのイベント、出店一軒から男女一人ずつが出るって書いてあったじゃん」


 嘘だー。そう思ってポケットに入れていたチラシを取り出してみると、そこにはこうありました。


『出店したお店対抗でのイベント開催! ゲームに勝利したお店には秘境の温泉へ行ける旅行券をプレゼント! 出場者は出店一軒につき男女一人ずつのペア参加! 海で一番のラブラブっぷりを見せつけてくれ! イベント名「ラブラブ★ドッキュンッ!」』


「……読んでなかった……」


「ちゃんと読みなよ……」


 その場に膝から崩れ落ちた私に向かって、ウルさんが呆れた声色でそうツッコミます。


 えっ、ペア? 一人じゃ駄目ってことですか? しかもラブラブって何?


 ボッチお断りとか、それが世の中の流れなんですか? それが世界の選択なんですか? 許せねぇ。


「……どうしましょう。ウルさん、お願いできませんか?」


 こうなったらウルさんにお願いするしかありません。


 事情も知ってますし、何よりその後に一緒に回る約束をしているのです。イベントに出て、そのまま一緒にいれば手間も少ないでしょう。


「あ~……まあ、ボクが出てもいいんだけどさ……」


 何か歯切れの悪いウルさんです。なんでしょうか。考えられる理由としては、そうですね。この状況だとやっぱり……。


「……どうされました? やっぱり、私とカップルとか嫌かもしれませんが……」


「あ~、別に嫌ではないよ? たださ……」


 あ、良かった。マサトとカップルとか死んでも嫌だからね、とか言われたらココロオレル自信がありましたね、うん。音楽も鳴り続かなさそう。


「……ボク、ハーフだからさ。あんまり大勢の人前に出るのは、ちょっと……」


「……あっ」


 そうでした。もう私の周囲では気にする人もいないのですっかり忘れていましたが、ウルさんは魔族である魔狼と人間のハーフです。


 人国ではハーフの人を、半人という蔑称で呼んで蔑む人も少なくはありません。


 お祭りの場にいるだけならまだ気にもされないかもしれませんが、イベントなんかで大勢の人の前に大々的に出てしまうと、どんな反応をされるのか想像もつかないです。


「……すみません。そこまで考えが至らずに」


「ううん。素直にボクを彼女役にしようとしてくれたことは、嬉しかったからさ」


 無理にお願いすればオーケーしてくれそうな感じはありますが、それでもウルさんを傷つけてしまう可能性があるのなら、止めておいた方が無難でしょう。


 しかし、どうしましょうか。そうなると、誰か他の人にお願いしなければならないのですが。


「……そうなると、誰にお願いしましょうか。イルマさんは色々と忙しそうですし」


「そうだね。タダでさえ色々してくれてるのに、これ以上頼むのは気が引けるちゃうよ。まあ、彼女は除いて……」


「そうなりますと、あとはマギーさんとか……」


「それはダメ、絶対」


 順番に候補を挙げていったら、何故かマギーさんは即却下されました。


 えっ、どうして? イルマさんはまあ色々としてくれている分、これ以上頼むのはちょっと、という話も解ります。


 でもマギーさんはなんで? しかも即答?


「ど、どうかされましたか、ウルさん? 何でそんな真剣な顔で……」


「なんでもないよ。とにかく、マギーちゃんはダメ。絶対ダメ。解った?」


 理由も解らないまま真顔のウルさんの何だかよく解らない圧に気圧されて、マギーさんも却下となりました。何故にホワイ。


「……そうなると、もうオトハさんしか残っていないのですが……」


「~~~~ッ!」


 今度はどうしたのでしょうか。ウルさんがまるで飲み込めない苦渋を口の中に入れたかのように歯を食いしばり、目をギューッと閉じて震えています。


 何でしょうか。オトハさんについても、マギーさんみたいな何かがあるんでしょうか。


「……抜け駆け……してるのは、ボク、だし……ここは……あくまでフリなら、まあ……一回くらい……」


 ウルさんが何を呟いているのかよく解りませんが、少しして「今回だけだからね、フリだからね、そこのところ勘違いしちゃダメだよ、絶対に、解った?」と再び凄まれましたので、とりあえず圧倒されながら「アッハイ」と答えました。


 そうしてウルさんとの話がつき、私と、少し遅れて彼女もリビングに戻った段階で、私はオトハさんにイベントの出場とカップルのフリをお願いしました。


 最初は目を丸くしていた彼女でしたが、やがてニコッと笑ってこう言ってくれました。


『私を選んでくれてありがとう、マサト』


 とりあえずオーケーがもらえてホッと一安心した私でしたが、何でしょうか。


 ウルさんが凄い形相でオトハさんを睨んでおり、オトハさんも何故か勝ち誇ったような顔で見返しているように見えるのですが。多分気のせいですよね。


 とはいえ、これでようやく諸々の形が整いました。アルバイトして、課題もこなして、お祭りの事前設営してから自分たちのお店の用意をして。


 当日にはお店を開いて接客し、時間になったらオトハさんとイベントに出る。


 それが終わったらウルさんと二人でお祭りを周り、その後にお店に戻って終了時間まで、返済するためのお金を稼げるだけ稼ぐ。


 最後に三人でそれぞれの返済先お金を渡して、万事解決です。


 良かった。イベントで勝てるのかとか、三人分の返済に加えて女性陣へのお返しをするだけのお金が稼げるのかとか、不安材料はまだありますが、とりあえずはやることはまとまりました。


 後は天に祈るのみ。人事を尽くして天命を待つ、ってやつです。


 そう言えばこの世界の神様ってどんなのかは知りません。アルテミシア教という、元の世界でいうキリスト教みたいな女神崇拝の最大宗教があるらしいのですが、ジルゼミでは些事としてそんなに詳しくやらなかったので詳細は不明です。


 また暇があったら調べてみてもいいかもしれません。暇があれば。


「あ~~~~…………」


「い、生きてっか兄弟、チンチクリン……?」


「し、死ぬ~~~……わ、ワイの筋肉が……」


 そんな雑念を振り払って、私は自分の部屋の床から起き上がろうとしましたがダメでした。


 周りを見ると、兄貴とシマオが身体をプルプルさせながら、同じように倒れ込んでいます。


 あれから一週間。兄貴の紹介で漁師さんの元でアルバイトをすることになったはいいんですが、それがもうキツくてキツくて。


 揺れる船の上で必死になった漁業網を引っ張り、魚が大量に入ったそれを船の上まで引き上げるだけでも一苦労。


 兄貴も馬鹿力だとは言っても、普段使わないような筋肉をふんだんに使ったせいか、一日目から筋肉痛に悲鳴を上げていました。


 そして結構な力持ちのシマオもダウンしています。総じて筋力が高い種族であるドワーフ族の彼も、網を引き上げる時にかなりの活躍を見せていましたが、やはり慣れない仕事を手伝ったためにグロッキー状態に。ハンマーを枕にして床にへばっています。


 当然、兄貴達でさえそんな状態であれば、私なんかはもっと酷いことになっています。


 一日目はまだ大丈夫だったのですが、それが六日も続いた今、洒落にならないくらいの痛みが身体の各所から吹き出ているという、今までに経験したことのない苦痛を味わっています。


「し、しかし、今から課題をやらなければ、休み明けにエライ目に……」


 何とか起き上がって鉛筆を掴みますが、鉛筆を持つ手や指でさえ、漁業網の引き上げで相当酷使していたので、プルプルと震えています。


 震えないようにと力を込めれば、筋肉痛がこんにちは。痛みで全然頭が働きません。


 何ですかこの八方塞がりは。お陰でロクに課題が進んでいません。あっ、今日もダメだ。そう感じた私は再度、床に倒れました。


「か、身体はヤバいが……何とか手に入ったぜ、バイト代!」


 課題は無理だと思ったのか、兄貴はおもむろにバイト代が入った封筒を取り出しました。


 この六日間に及ぶ労働、そしてそこで発症した筋肉痛と引き換えに得た、人生で初めて、自力で稼いだお金になります。


 封筒からチラリと見えるルドのお札が自分の成果なのかと思うと、何だか嬉しいです。


「あ、ああ。明日ワイが、それで食いもんと飲みもんを調達してくる……」


 床にのびたままのシマオが、手を上げています。明日はお祭りの事前設営の日雇いバイトもありますが、これは私と兄貴だけです。


 シマオは食べ物と飲み物、そして運営本部からお店のためのテント等を借りてくる仕事があります。


 私たちはバイトが終わり次第シマオに合流して、テントの組み立て等の次の日の出店のための用意を手伝う流れになっています。


「明日で一先ずは肉体労働は終わり。んで、明後日に売れるだけ売って、金を用意できりゃ……」


「晴れてミッションコンプリートや……」


 既に満身創痍な雰囲気は出ていますが、まだこれで始まったばかりです。次からが本番。今はまだ、本番のための用意が終わっただけなんです。


 それでこの疲労感とは……お金を稼ぐというのは、本当に大変なことなんですね。


「……とりあえずは、第一歩達成です。このまま三人で、やりきりましょう……」


「……おうよ」


「……よっしゃぁぁぁ……」


 あまり覇気のない返事ではありましたが、とりあえず、全員やる気は衰えていない模様。まだまだ、私たちの戦いはこれからです。

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