第71話 アイリスとオーメン
「……ということみたい。あの子の症状、結構キちゃってるかも」
『……ご連絡ありがとうございます、であります!』
次の日。オトハから連絡を受けたアイリスは、状況を彼女から詳しく聞き、それを上司であるノルシュタインに向けて報告を上げていた。
マサトの意識しないところでの突然の魔王化。それはつまり、呪いの進行が早まっている証拠でもある。
「……俺としちゃ、さっさとあの子を保護して、呪いの解呪に専念した方がいいと思うんだけど……状況はどうなんだい? ボス」
彼女の隣にいるオーメンが口を開いて、上司に問いかける。彼の言うことももっともである。
魔王の力を宿してしまったマサトの身体を考えるなら、さっさと入院なりなんなりしてもらい、専門家による呪いの解析を進めて一刻も早く解いてあげる方が良いに決まっている。
徐々に身体が自分ではない何かに変わってしまうというのは、精神的にも厳しい筈だ、と彼は考えていた。
『……オーメン殿の言うことももっともなのであります! 事実、私もそうすることが一番だと思うのであります! しかし今、ベルゲン殿が私の周りを探りまわっているのであります!』
「……マジかよ……」
「あの戦争狂が、ね……最悪だわ」
上司の口から出たのは、ベルゲン、という人物の名前。戦争推進派の筆頭であり、現国王の信頼も厚く、次期軍部大臣のポストも間違いないと言われている人物だ。
しかも執念深く、自分が気になったことはトコトンまで決着をつけないと気がすまないという、行動力も持っている。戦争を再開させたくないと思っているノルシュタインや彼らからしたら、かなり厄介な人物であった。
そんな彼にマサトやオトハの事が、魔王の力やエルフの里の動きについて知られてしまえば、どんな行動に出られるか解ったものではない。
ただ一つ確信できるのは、二人の身の安全など皆無であるだろうし、間違いなく戦争は再開されるだろうということだ。
停戦までこぎ着けた今までの彼らの努力が、一気に無駄になってしまう。
『お二人の意見もよく解るのであります! しかし! 今はこちらの足元が危ない時期! あまり大きな動きを見せたくないのであります! 不甲斐ない話ではありますが、私自身、この情報をどう扱うのか、未だに決めかねているところもあるのであります!』
ともすれば、爆弾のスイッチにも見えるマサトとオトハの二人である。この二人の扱い如何で、今後の人国の情勢は大きく動くであろう。
その事実を改めて思い知り、オーメンはたまらずにため息をついた。
「ハア……当の本人達は夏休みのバカンスを楽しんでるってのに、こっちは頭悩ませっぱなしかぁ……」
「弱音を吐かないの。あの子達は、他の誰かの都合でそういう立場になってしまっただけ。戦争もない今、本来はああやって、何も気にしないで笑ってて然るべきなのよ?」
『アイリス殿の言う通りであります!』
そんなオーメンに向かって叱咤激励するアイリスに、ノルシュタインも賛同する。
『本来はこんな大人の都合に巻き込んでいい子達ではない筈なのであります! だからこそ、私達が頑張らなければならないのであります! そういう意味では、私はお二人を信用しているのであります!』
「……解ってるぜ、ボス」
「……ありがとう、ボス」
上司からの信頼を改めて口に出され、二人は少し頬を緩めた。この上司は真っ直ぐに自分たちを見て、そして信頼してくれる。
だからこそ、彼らはこの人の下で頑張ろうと思うことができた。裏表のない、素直過ぎて眩しいくらいのこの人の下で。
『こちらこそ、いつもお手数をおかけしているのであります! 私もお二人ばかりに仕事がいかないようにと、この事態について一緒に協力できる仲間を慎重に探しているのであります! せっかくの新婚の時期に、こんな任務を渡してしまって、本当に申し訳なく思っているのであります!』
「気にしないでボス。受けることを選んだのは私たちよ。第一、いつも助けてくれるのは貴方じゃない」
「そうだぜボス。少し愚痴っちまったが、やる気がない訳じゃねーから。あんたがいつも通りにしてくれてりゃ、俺らもいつも通りにできっからよ」
その二人の部下からの言葉に、ノルシュタインは一度、言葉を切った。部下からのもらっている信頼を噛みしめるように頭の中で反芻した後、再度口を開く。
『……ありがとうございます、であります! では、今日はこの辺で! またゲールノート殿には私からもお話しておきますので、マサト殿とオトハ殿にお伝えをお願いするであります! 容態が急変したら、すぐに連絡するように! お二人を、信じているでありますッ!』
「「イエス、ボスッ!!!」」
そうして遠話石での報告を終えた後、アイリスとオーメンの二人はすぐに動き出した。報告を終え、宿泊していたホテルから出た二人は、街中から外れた雑木林へと足を踏み入れる。
彼らの足取りは普段よりも早い。何故ならば、彼らが調べた内容ではもうすぐの筈だからだ。
「少し長話しちまったが……」
「向こうさんはいつも通り、と……ビンゴよ」
そうしてあるポイントに近づくと、二人は足音を消し、茂みに身を隠した。彼らの視線の先には、覆面をつけた怪しい二人が、開けたビーチの方を監視しているのが見えた。
「さあて、と。どうするよアイリス?」
「向こうはこっちに気づいてないっぽいし……ならばここは、」
「ああ、ここは……」
「「先手必勝ッ!!!」」
「「ッ!?」」
顔を見合わせた二人が一気に茂みから飛び出すと、覆面の二人組が驚いたようにこちらを振り返った。
先手が取れた、と確信したアイリスは、そのまま片方に向かって蹴りかかる。
「ハァァァッ!!!」
一度着地し、再度飛び上がった勢いをそのまま、アイリスは片割れの顔面に向かって回し蹴りを放った。覆面の片方の顔を振り抜いたことで、一人がそのまま地面にダウンする。
もう片方がハッとしてアイリスに襲いかかろうとしたが、いつの間にか背後に周り、喉元にナイフを突きつけたオーメンがそれを阻んだ。
「ッ!?」
「おおっと、動くんじゃねえぞ?」
下手に身動きが取れなくなった覆面は、前と後ろを順番に見やっている。前にはアイリスが、後ろにはオーメンが控えており、隙らしい隙は見当たらない。
「そこでノビてるお仲間と同じになりたくなければ、こっちの質問に答えなさい。先に言っておくけど、私は素直な男が好みなの。余計なことは喋らず、こっちの聞きたいことだけを正直に話しなさい。解った?」
「おお怖ッ。女の子怒らすと怖いよな、全く。なあ、アンタもそう思うだろ?」
いつでも蹴りを放てる体勢を取り、アイリスがそう切り出した。それに合わせてオーメンも声を出し、喉元に突きつけた刃を少し、皮膚の下へと食い込ませる。
それを感じ取った覆面は、既に最初の奇襲に対する驚きが引っ込んだのか、冷静に二人を交互に見ている。
「……何故解った?」
そう切り出した覆面だったが、それを聞いたアイリスがすかさず回し蹴りを脇腹に叩き込んだ。
「ぐッ!?」
「人の話はちゃんと聞くものよ。魔国では、そういう教育を受けてこなかったのかしら?」
そうして覆面が蹴りの痛みでよろめいた隙に、アイリスはその覆面を剥ぎ取った。顔を見てみればやはりといったところか、魔族である魔狼の男性の顔がそこにある。
あのイーリョウという魔狼がマサトを捕らえるために士官学校に来ていたことから、おそらく敵は魔狼族であるという予測を二人は立てていたが、その予想はドンピシャであった。
「おお、やっぱやっぱ魔狼さんだったか。先の戦争では仲間がどうもお世話になったなぁ、ええ?」
オーメンが皮肉交じりにそう話す。魔狼族はオーク族と同様に肉体的な面が強いため、白兵戦に出て来ることが多い種族だ。
彼自身も、先の戦争で何度もやり合った覚えがある。特別この魔狼と因縁があるとかそういった話ではないが、彼の頭の中では何度も殺し合った敵であるという認識が拭いきれていない。
「さて、質問がまだだったわね。貴方達がどうしてここにいるのか。ここで何を見ていたのか。素直に教えてちょうだい」
「話しとけって。女の子に痛めつけられる趣味があんなら、話は別だけどな」
「…………」
二人からの言葉に、身動きができない魔狼は黙り込んだ。ここで素直に実情を話すのか、それとも嘘八百を並べて誤魔化すのか、はたまた黙秘権を行使するのか、それとも……と、彼の頭の中では複数の選択肢が並んでいる。
自分の立場、置かれている状況、そして今後の流れを考えたうえで、魔狼が出した答えは。
「……喋ることなど何もない。さらばだ」
「ッ! オーメンッ!」
「クソ……ッ!」
次の瞬間、オーメンが抑えていた魔狼の首がダランと下がり、立っていた彼が膝から崩れ落ちた。口元からは泡がこぼれ落ちてくる。力が抜けた魔狼をオーメンが慌てて持ち上げるが、最早彼に息はない。
「……すまん、遅かった」
「……仕方ないわ」
戦時中でもない今、まさか服毒で自害されるとは思っていなかったため、二人は少し肩を落とす。
たとえ死んだ相手が敵国の兵士であるとはいえ、命が目の前で失われていく様を見るのは、どうにも慣れてこないと、アイリスはため息をついた。
「……とりあえず、彼らを運ぶわよ。話はまあ、もう片方から聞けばいいわ」
「あいよ……こっちの魔狼さんは、どうするよ?」
「……身体検査だけして、後は供養くらいしておきましょう。私たち無宗教だし、魔国の弔いの作法なんて知らないけどさ」
「……あいよ、アイリス」
そうして倒れた二人の魔狼をそれぞれで担ぎ上げたアイリスとオーメンは、そのまま歩き出した。
この様子では、起きたもう一人からも情報は得られないかもしれないが、少なくとも任務の関係上、敵国のスパイの尋問をやらないことという選択肢はない。
マサトやオトハの情報が既に魔国に漏れていると思われる今、相手がどんな部隊を差し向けてきているのか等の情報は、現段階では全く足りていない。
このままでは後手後手に回ってしまうため、なんとしても足取りを掴みたいところなのだが、相手もそう簡単に尻尾を掴ませてくれはしない。
「……しかし、魔狼族の監視、か。それこそ、あの魔国の魔王直属の配下、ヴァーロックの部隊だったりして」
「おいアイリス。そのジョークは流石に笑えないぜ?」
アイリスのその呟きに対して、冗談じゃないぞと顔をしかめるオーメン。
彼らが魔狼と聞いて真っ先に思い当たるのが、魔王直属の魔狼部隊を率いているヴァーロックという魔狼だ。
次期魔王軍将筆頭とも言われていた程の相手で、アイリス達も先の戦争中、彼の率いる部隊相手に何度煮え湯を飲まされたか解らない。
魔王が亡くなった今、それほどまでの人材をわざわざ人国内に送り込むはずはないため、彼女は冗談交じりにそう言ったのだ。
「そうね。冗談にしちゃキレが悪いし、冗談じゃなかったら最悪だわ」
「全くだな。こっちの地域に根ざしてる組についても頼まれてんだし、さっさとやることやっちまおうぜ?」
「……そうね」
そして彼らは周囲を警戒しながら、雑木林を後にした。マサト達の監視に捕らえた魔狼の尋問に人国内に潜入している筈の他の魔族の警戒にと、彼らの仕事はまだまだ終わりそうにない。
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