第二章

第30話 戦友の助言


 ヴァーロックが人国内のアジトの自室で部下からの報告書に目を通し終わった時、彼はとても渋い顔をしていた。


「……ここしばらく、一緒にいるであろう奴隷エルフから辿ろうと、エルフの里を張ってはいたが……」


 提出された資料には、あの魔王の力を持ち逃げした人間マサトと、奴隷エルフであるオトハの目撃情報はないとのことだった。人国へ逃げ込んだ彼らに行くアテなどない筈であり、特に人間の方に至っては異世界から召喚したため、この世界の土地勘などあり得ない。だからこそヴァーロックは、一緒にいたエルフが先導して二人でエルフの里を頼ると踏んでいたのであるが。


「……読みを外したか……」


 そう呟いたヴァーロックは、座ったまま大きくため息をついた。人国に侵入してからしばらくの時間を無駄にしてしまったこと、そしてそれをあの嫌味な上司に報告しなければならないことを考え、気分は更に重くなる。


「……かと言って、落ち込んでいる暇はない」


 気分が重いからと言って行動を止めないのが、このヴァーロックという魔族である。彼が魔王軍の中でのし上がってきたことも、この行動力があってのことだ。嫌な報告だろうが辛い任務だろうが、彼が足を止めることはない。


「お疲れさまです、ヴァーロック様。今月の人国の内情をまとめた資料になります。それと本国からの資料も一緒に」


「ああ、ありがとう」


 報告文書をどうしようかと彼が考えていた時、部下の魔狼の一人が部屋に入ってきた。持っていた資料を渡して敬礼した後に、部屋を後にする。


 一息ついたヴァーロックは、ふと、資料の中にかつての同僚からの手紙があることに気がついた。それを手にとってみると、差出人のところにはノーシェンという文字が見える。


「……あいつに手紙を出すなんてマメなところがあったとは驚きだ」


 珍しいものもあるものだと、ヴァーロックは先にこちらから目を通すために手紙を開いた。


『よー! ヴァーの旦那、元気にしてるー?』


「……手紙の出だしくらい真面目に書かんか」


 ため息まじりに笑みを浮かべた彼は、続きの文章を読んでいく。


『こっちは美人で有名だったジルの姉さんから、うるさくてむさっくるしー上司に変わって萎え萎えっすよー。蝙蝠も帰還命令が出されちまったし、おかげで仕事も手につかないつかない。ヒマだからヴァーの旦那に手紙でも書いてみっかーってな。ジルの姉さんには手紙も出せねーしな』


 そこまで読んだところで、ヴァーロックは顔をしかめた。元上司であったジルは、現在、失敗の責任を取って地下に幽閉されている。かじり聞いた話では、ロクな扱いを受けていないのだとか。自分から信頼し、かつ自分を信用してくれていた元上司の扱いに、彼は心を痛めていた。そしてそれは、同僚であるノーシェンも同じみたいだった。


『しっかしよー。ちーっとばかし失敗したくれーで、あの扱いはねーよなー。魔皇の奴らだって、戦争中は幾度となく失敗してるってのによー。

 ま、それはともかくとしてヴァーの旦那、なんか人国に行くとか聞いたけどダイジョブ? ルイナ川での一件、重く受け止め過ぎてねー? 無理してない? それこそいつかの作戦失敗の時みてーによ。仕方ねーよ、あの時も今回も。ヴァーの旦那のせいじゃねーって。そー言ったところで聞く旦那でもねーとは思うけど。どーせバフォのオカマの指示じゃなくて、自分から人国に行くとか言い出したんでしょ? 旦那のことだから』


「……お見通しという訳か。アイツには敵わんな」


 思わず出た言葉に、ヴァーロックは再び苦笑した。あの時の作戦失敗、という単語で少し嫌なことを思い出したが、それ以上に共に仕事をし、戦ってきた友に内心を見透かされてしまったという事実に、彼は改めてあの軽薄な天才の存在を思い知る。


『もー人国に行っちゃってると思うから、オレから伝えるのは一つだけ。上手くいかねー時は全部忘れて、全てを一から見直してみること。失敗の主な原因は情報の見落としだぜ、旦那? 意外と思わぬところから、なんてこたぁザラにあるからなー。以上! 旦那ならさっさと見つけられるって。帰ってきたら、また一緒に酒でも飲もーぜー。じゃーなー』


「……全部忘れて、全てを一から見直してみることか……」


 手紙はそこで終わっていた。読み終わったヴァーロックは一度椅子の背もたれに身体を預けると、上を向いてふーっと息を吐いた。頭の中でグルグルと回っていた考え事を、ため息と共に全て吐き出していく。


「フー…………さて、新しい報告書でも見てみるか。他の見直しは、それからでも遅くはあるまい」


 体勢を戻したヴァーロックは、部下が持ってきてくれた新しい資料に目をやった。そこには、スパイからの報告にあった人国政府の動き及びここ最近の人国内での主要な出来事がまとめられている。


「…………やはり人国の王は好戦的であるな。最近は軍の増強を隠そうともしていないらしい……後は、魔族の残党が出たという話もチラホラはあるが……」


 やはり目を引くような内容はなかった。魔国の中でも、先の戦争時に侵入していた人国の残党と戦闘が起きるということも珍しくないため、彼の視線は自然と報告書を流し見る形になっていく。


「…………ん?」


 さっさと目を通し終わろうとしていたヴァーロックの目に、一つの出来事の報告が止まった。内容自体は、人国内に魔族が出たというよくあるものである。


「…………テステラだと……?」


 問題はその発生した場所だ。国境線沿いや、過去に作戦が実行された地域の残党兵ならまだ話は解るのだが、この出来事は人国の首都で発生している。先の戦争において、魔国が人国の首都へ攻め入ったという出来事はない。


「……残された兵士が単騎で首都に? いや、流石にそれは……」


 魔国の軍人全員を把握している訳ではないので、残党の中にそういった無謀な兵士もいるかもしれない。だが、流石に現実的ではないと彼は頭を振る。


 そうなると、どういった可能性が考えられるだろうか。戦争時に人国に連れて来られた捕虜が逃げ出した、人と魔族のハーフが迫害に耐えかねて暴走した、あるいは……。


「……逃げたあの人間が、魔王の力を振るったか」


 自分で口にしたヴァーロックだったが、いやいや、と思っていた。第一、首都にあの人間が逃げ込んだのなら、まず頼るのは警察や軍であろう。異世界から連れてこられ、この世界に何の縁もゆかりもない人間が頼るなら、そういった国の機関以外にはあり得ない。


 もしそうだとすると、人国の首脳部が魔王が死んだという事実を知らない訳がない。身元確認の際に、色々と情報を聞き出すに決まっているからだ。


 にも関わらず、人国の政府は何のアクションも起こしてこない。少なくとも対外的には大人しいだろうが、スパイの情報から特に人国の首脳部がざわついているという連絡もない。敵国の王が死んだという情報が来て静かなままというのは、妙である。


「そうなると……あの逃げた人間が人国の首都にいるという可能性は限りなく低いのだが……」


 それでも、ヴァーロックには何か引っかかるものがあった。もし逃げた人間ではない場合、テステラで起きた魔族の出現は、先ほど考えたような捕虜の逃亡による戦闘等の線が濃厚になってくる。しかしそれは、辻褄を合わせようとした結果、一番無難な形を置いただけだ。


 自分が納得する分には問題ないのだが、結局は事実確認をしないまま、一人でそうだと思い込んでいることと何ら変わりはない。


「……失敗の主な原因は情報の見落とし、だったかな、ノーシェン」


 先ほどのかつての同僚からの手紙を思い出し、ヴァーロックは薄く微笑んだ。


「……念の為、誰かを派遣するか。そんなに力を入れる必要はないが……確かこの前あいつが、こっちに来て拾った丁度いい奴がいるとか言っていたな。詳細はまだ聞いていないが、そちらに振ってもいいかもしれん」


 とりあえずは、様子見をしてみることにした。注力すべきはやはりあの奴隷エルフのオトハから探す方が早そうではあるが、こちらがここまで空振りになってしまった以上、別の手も考える必要がある。


 そして首都の調査となると、慎重に行わなければならない。いくらスパイが紛れているとはいえ、場所は敵の本拠地。下手をすれば現在潜入中のスパイごと、全てバレてしまうこともあり得る。


(……そうなると、適度に情報を持たせて調べさせ、最悪の場合は……)


 頭の中で考えをまとめたヴァーロックは、声を上げて部下を呼んだ。


「おい、誰かいないか?」


「はい、只今」


 そうして部下を呼びつけたヴァーロックは、今後の動きについての指示を出した。部下はそれを聞くと、敬礼後に足早に部屋を後にしていく。


「……さて。一から資料を見直してみるとするか」


 部下が去った後、ヴァーロックは再度しまい込んだ資料を引っ張り出してきた。遠くでサボっているであろう、外も内もよく知った友に恥じないように。

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