第29話 誰かの都合
時間は少し巻き戻り、マサト達が人国へ行き、マグノリアと出会った頃のこと。
「……あの件はどうなっているの、ヴァーロック?」
魔国の首都にあるお屋敷の中で、報告のために部屋を訪れたヴァーロックが自ら声をかける前に、部屋の中にいた魔族に声をかけられた。その人物は彼に背中を向けて立っており、窓の外を見ている。先んじて話しかけられたヴァーロックは一呼吸置くと、頭の中で組み立てていた報告を順に口にしていく。
「……あの国境沿いでのスパイ狩りの際に、ルイナ川での戦闘で私の部隊が壊滅した時に、確かに黒炎が使われた形跡があった。魔王の力を宿した人間の仕業として間違いはないだろう。二隻の船の内の一隻は大破。もう一隻は人国へ流れ着いたそうだ。そうなるとおそらく……」
「その人間に人国へ逃げ込まれたと、そういうことね?」
結果を伝える前にまたしても先んじられたヴァーロックは、言葉を切って謝罪を口にした。背中を向けられているためにこちらを見ている訳ではないが、申し訳なさが溢れてきた彼は頭を下げる。
「……面目ない限りだ」
「そうよねぇ。ほんっとに役に立たない限りだわ。これで元魔王直属の部隊長だったというんだから、お笑いよね。こ~んな役立たずなんで、す、か、ら」
向けられた侮蔑の言葉に対して、ヴァーロックは何も返すことが出来なかった。外に出さないように歯を噛み締め、ただ耐えることしかできない。
「ほ~んと、前魔王様もどういうつもりでこんな奴を使っていたのかしらね。この魔皇四帝の一人、バフォメット様を差し置いて」
そう言うとバフォメットはヴァーロックの方に振り向いた。一対の長い角を携えた頭は真っ黒のオールバックで、その長さは胸くらいまで伸びている。もみあげとあごひげは繋がっているが、清潔感が漂うくらいに整えられていて、肌は青白く、鋭く尖ったツリ目がヴァーロックを見下している。
大柄なヴァーロックよりは背が低いものの、黒い翼を持ち、ガチョウのような足をもったその身体からは、それ以上の威圧感を醸し出していた。男性とも女性とも取れる喋り方が、一層不気味である。
まとものぶつかれば勝機はないだろう。嫌味な口調だが実力は本物だ、と再配置が決まった際にノーシェンが言っていたことが、身にしみていたヴァーロックであった。
「ま、いいわ。使えないものに使えないて言ったところで、どうなる訳でもないし……となると、人国にスパイを送らなきゃいけなくなるわね。あんまり野放しにもしておけないし……」
「……私が行こう」
バフォメットが余所見をしつつ、あごひげを触りながら考え事をしていた時、ヴァーロックは自ら名乗りでた。バフォメットは自身のひげをなでていた手をとめ、未だに頭を上げないヴァーロックを、再度見やった。
「……貴方が直接行くの?」
「そうだ」
「……へぇ」
侮蔑の目を興味深げに変えたバフォメットは、ジロジロと舐めるようにヴァーロックを見ている。
「あのまま行けば魔王軍将間違いなしだったはずの貴方が、まるで下っ端みたいに直接出向くとはねぇ……」
「……部下の尻拭いは、私の仕事だ」
顔を上げたヴァーロックは、真っ直ぐにバフォメットを見て言葉を続けた。
「私自ら魔王の力を持ち逃げした人間をひっ捕らえて、必ずあなたの前まで連れて来よう」
「……いいわ、了承してあげましょう」
その顔を見たバフォメットは、オーケーを出した。
「必ずその人間をここに連れてきなさい。これは、アタシの命令よ。破ったらどうなるか……解っているわよね?」
「……必ずや」
そう言って、ヴァーロックは部屋を後にした。残されたバフォメットはゆっくりと歩き出し、乱雑に資料が置かれている机の前にある自分の席に座る。そして少ししてから、高らかに笑い出した。
「……アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
その様子はまさに、おかしくて堪らないといった感じであった。一通り笑い終えた後、バフォメットは椅子の肘掛けを利用して頬杖をつく。
「天才ノーシェンを引き抜けなかったからハズレだと思っていたけど、随分とまあ面白い子じゃない。信頼できる部下に行かせるのかと思えば、隊長自らご出陣だなんて……プッ! クックックッ……あの子、コメディアンの方が向いてるんじゃない……?」
思い出し笑いを楽しんだ後に、バフォメットは机の上にある資料を流し見しながら独り言を続ける。
「はーぁ、笑った笑った……ま、誰か監視もつけておきましょうか。向こうがこっちを信頼してないんじゃあ、こっちだって信頼できないもんねぇ。そ、し、て」
机の上に置いてあるのは魔王の力を持ち逃げしたマサトの資料と、一緒に逃げたとされる奴隷エルフ、オトハの資料があった。
「……おそらく人国には逃げられたけど、人国の首脳部にはまだ魔王が死んだという事実は伝わってない。伝わってたら、もっと攻撃的に来てもおかしくないもの。それが未だに外交関係に変化なしっていうなら、まだ時間はあるはずよね~。他の魔皇四帝も動いてるみたいだし、これは早いもの勝ちになるかしら? ……な、に、せ」
口元をニヤけさせながら、バフォメットは続ける。
「今の魔国は王座が宙ぶらりんな状態。ジルの甘ちゃんがポカしたおかげで、魔王の座を狙える千載一遇のチャンス。加えて、ルイナ川での一件で、魔王の血筋でしか扱えないと言われていたあの地獄の業火、黒炎を何も知らない人間が扱えていたという事実もある……そ、れ、な、ら」
バフォメットが目を見開くと、机にあった資料が急に青く燃え始めた。そして炎は燃え広がることなく、まるで意志を持っているかのように形作っていく。そしてそれは、バフォメットの顔と瓜二つになった。そしてその炎は、そのまま口を開く。
『アタシが魔王になって、黒炎をもらってもいいわよね~』
「そうよね~。むしろアタシのような魔族こそ、頂に立つべきだわ」
『そうそう。ああ楽しみだわ! 黒炎って、一回使ってみたかったのよね!』
「ええ、そうね。あの黒い炎がどのように人間たちを焼き尽くすのかと考えるだけで……」
「『……ゾクゾクしちゃうわ!』」
「そ、う、い、う、わ、け、で」
バフォメットが指をパッチンと鳴らした。するとバフォメットの顔になっていた青い炎が形を変え、資料に載っていたマサトの顔になる。
「逃げてくれやがったわる~い人間さん。急に異世界から連れてこられて可愛そうだとは思うけど……こっちにも都合があるのよ。どんな手段を使ってでも、捕まえてやるわ。だ、か、ら……」
そこまで言ったバフォメットは、マサトの顔を形作っている炎の額にあたる部分を、指先でちょんっと小突いた。
「アタシのために死んだとしても、恨まないでちょ~だいね……」
炎とバフォメットは互いに顔を見合わせると、再び大きな声で笑った。
「『アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!』」
一人の魔族の二つの笑い声が部屋中にこだまする。その笑い声は、遠く離れた人国にさえ届くのではないかと思わせた。実際にはそんなことあり得ないのだが、そう思わせる勢いがある。
既にこの頃から、マサトの預かり知らぬところで、事は少しずつ動き出していた。彼ではない、誰かの都合によって。
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