第15話 名も知らぬあなたを


「さあて! 士官学校の願書もようやく手に入りましたわ! 帰りますわよ、イルマ!」


「はい、お嬢様」


 わたくし、マグノリア=ヴィクトリアは意気揚々と、資料配布場所であった建物を後にしましたわ。目的であった士官学校の願書を手に入れたのですもの。書き間違えた時のために余分に持っていこうとしたら、担当者から嫌な顔をされましたがおそらく問題ありませんわ。


 そう。これは我がヴィクトリア家再興のための第一歩。貶められ、没落させられた我家を立て直すために。こんな国境沿いの辺境ではなく、あの輝かしい帝都に戻るために。わたくしは士官学校の入学試験に合格し、名を上げなくてはならないのですわ。


「……しかしお嬢様。わざわざ願書を二十部ももらう必要がありましたのでしょうか?」


「ううううるさいですわ! 念の為ですのよ、念の為!」


 念は入れて損はない、これが大事なのですわ。周囲の方々の視線が集まっている気がしますが、きっとこれもわたくしの美貌のせい。美しい金髪に抜群のこのスタイル。自分で言うのもなんですが、非の打ち所がありませんわ。


 だから、下々の者たちがわたくしに見惚れるのも致し方ないこと。決して残っていた願書を無理言って根こそぎ持ってきているからではありませんわ、決して。


「はぁー……仕方ないでございます」


 後ろで願書を運びながらため息をついているのが、ウチの唯一のメイド、イルマですわ。ピンク色の髪を揺らし、メガネをかけて一見大人しそうな印象を受ける彼女は、いつも丁寧語をどこか間違えている気がしてますが、おそらくは気のせいですわ。


「この不満はお屋敷に帰ってお嬢様がお休みなさってから、一人で股を慰めて晴らすでございます」


「ここは天下の往来でしてよ!?」


 訂正いたしますわ。この駄メイドが間違えているのは、人としてもっと大切な部分ですわ。


「あら。マグノリアお嬢様ともあろうお方が、大声を出してはしたないでございます。滾る劣情が抑えきれなくなってしまったのでしょうか。それでしたらいつでもお申し付けいただければ、ワタシがベッドの上でお優しく……」


「陽も上りきっているというのにどうしてこの色ボケメイドは自重しませんの!?」


「何故でしょうか。お嬢様がお怒りでございます。ひょっとして今日は生r……」


 真っ昼間から容赦なく下ネタを言う従者にげんこつを落としたわたくしを、一体誰が咎められまして? 今でしたら全ての陪審員がわたくしに賛同することでしょう。


 たんこぶを作り、通りの真ん中でせっかくもらってきた願書を撒き散らしながら倒れている駄メイドを尻目に、わたくしは通りにある掲示板の方で人だかりができているのを発見いたしました。


「? 一体なんでしょう?」


「人だかりができていらっしゃいますね」


 いつの間にか復活してきたイルマと顔を見合わせたわたくしは、興味本位でその人だかりへと寄っていきました。すると、人と人の隙間から、この近くの川沿いになにやら大きな船が座礁している、という号外記事が貼ってあるのが見えました。


「あれは……」


「魔国のお船ですね。国旗がついているでございます」


 イルマの言う通り、船には魔国の国旗がついていました。この人国の川岸に魔国の船。ということは。


「……まさか。魔国が停戦を破って、戦争を……? それか、スパイの船とか……」


「いえ。違うみたいでございますお嬢様」


 わたくしの推理をあっさりとこの駄メイドは否定してきました。


「周りの方々にお伺いしてみましたが、どうも船の中は争った形跡があり、魔狼達の死体や黒く焦げた跡が残っているみたいでございます。生存者は発見されておりませんが、昨晩に川の方で爆発や魔法が放たれたのを確認された方がおられましたので、何かがあったのは間違いないとのことなのでございますが……」


「つまり、人国と魔国で軍事衝突があった、ということですの?」


「いえ。どうやらそれも違うみたいでございます。人国の軍隊が出動した覚えはなく、昨晩あったことを魔国に確認したらしいのですが、どうも事故があった以外の返答がないらしく……」


 事故があった、ということならまあ解らなくもないのですが、それにしても魔国の船がこちらまで来るなんておかしいですわ。


 このルイナ川は一見すると海と見間違える程の大河ですが、川は川。海に向かっていく流れがあるのに、わざわざ人国の方に無人の船がひとりでに流れてくる、なんてことは普通に考えてありえませんわ。それこそ、誰かが意図的にこちらに向かわなければ。


 それに、船の中には魔狼の死体や、争った形跡もあるとのこと。事故、というにしてはいささか無理があるようにも思われるのですが……。


「魔国からの亡命者が船を奪って逃げてきた。魔狼達がクーデターを起こしたが失敗し、命からがら逃げてきた、等の憶測があちこちで飛んでいらっしゃるご様子ではあるのですが」


「……要するに、何も解っていない、ということですわね」


「そうでございます。ここから結構近いところに船はあるみたいですが」


「……どうせ、近くは軍が封鎖するのでしょう」


 結局は今のところ何も解っていない、ということですわ。見に行ってみたい気もしますが、どうせ近づけないように軍が見張っているに決まっています。


 魔国の方は何か知っているかもしれませんが、そう簡単には教えてくださらないでしょうし。その内に人国の共通放送か何かで、政府からこの件についての無難な説明がされ、あっさりと忘れられていくのかもしれません。


 しかし、です。


(……なんでしょう。この感じは……?)


 わたくしの第六感がビンビンと反応しています。詳しくは解りませんが、この件は、とても大事なことに繋がるのではないか、と。


「……お嬢様。アホ毛をビンビンに立たせてどうかなされましたか? 欲求不満、なのございましょうか。だとしたら勃たせるところは髪の毛ではなく、ご立派な胸の先……」


「違いますわこの駄メイド!」


 こちらが真剣に考えているというのに、この色ボケは頭の中が髪の毛と同じピンク色なのでしょうか。いや、ピンク色に決まっていますわ。毛根がそうおっしゃっていますもの。


「少し……何か大事なことが起こるんじゃないかと、感じただけですわ……」


「……濡れたのでございますか?」


 もう一度げんこつを振り抜いたわたくしに、恥じるところなど一切なし。この色ボケ駄メイドの頭は、壊れた魔導機械と違って叩いても治らないのでしょう。


「帰りますわよ!」


「……仰せのままに」


 そうしてその場を後にしたわたくしとイルマは、止めてあった竜車へと戻ってきましたわ。本当はこんな荷物の運搬用ではなく、移動用の立派な装飾のされた竜車があったのですが……没落貴族は辛いのですわ。


「では、発車いたします」


 イルマが竜車に積み込みを終えると、竜車が動き出しましたわ。買い出しの荷物も載せて行けるので、こう考えると意外とこの運搬用の竜車を残して正解だったのかもしれませんわね。


「ちょっとイルマ。あなた真ん中に寄り過ぎではなくて? わたくしのスペースが狭いのですけど」


「これは失礼いたしました。少しでもお嬢様の体温を感じたくてつい……」


「ついじゃありませんわ!」


 ただ、荷台以外に人が乗れるスペースが運転席の隣しかないのが玉に瑕ですが。


「まったく……」


 ため息をついたわたくしが川の方を眺めていると、森の木々の隙間から、遠くの方で軍隊の方々が集まっている姿が見えました。


「あれは……」


「さっきの記事の船、でしょうか?」


 イルマも見えたみたいで、同じ方角に目をやっています。大きな布で覆われていますが、船の先の部分が確認できましたので、あの記事の船で間違いないでしょう。遠巻きに人が集まっているみたいですし。


「…………」


 わたくしの第六感が、相変わらず反応しています。ことわたくしのこの勘は、良しにしろ悪しにしろ、感じた時に外れたことはございません。お父様が戦死された日も、朝から嫌な予感がずっと離れませんでしたもの。


(……一体、何につながるのでしょうか……また悪い事でしたらわたくし……)


 しかし、今はあの時のような嫌な感じではありません。ただただ。何かがあるぞ、という風にしか感じられません。


 何かが起きるかもしれないと解っていても、何が起きるのかを教えてくれないのがもどかしいですわ。気を抜かずにいた方が良いのでしょうか。


「あ、お嬢様見てください。山の方で誰かが焚き火してるみたいですよ」


「……も~~~!」


 そんなわたくしの気も知らないで、この駄メイドはいつものように声をかけてきます。あっちですね、と指も指していました。もう船に興味はないのでしょうか。


「こちとら真剣に悩んでいるというのに貴女という人は! どうしてわたくしのシリアスを折るようなことばか……」


 いつもの如く文句の一つでも言ってやろうと思っていましたら、わたくしの第六感が反応しましたわ。それも強烈に。指を指された方角を見てみると、確かに山の方で煙が上がっています。


「この辺りは国境線ですし、戦争孤児も多そうでございますからね。あの辺りには戦火に包まれた村があったはずでございますから、もしかしたら生き残りの方がいらっしゃる……」


「イルマ! 早くあの煙のもとに向かいなさい!」


 世間話をしようとしていたイルマを遮って、わたくしは声を上げました。


「……えっ? お嬢様どうされたのですか? 一体何を……」


「いいですから! 急ぎなさいな!」


 キョトンとしているイルマを急かして、竜車の向かう方向をあの煙の方へと変えていただきます。焚き火の元には、必ず誰かがいらっしゃるはず。その方にわたくしは出会わなければなりません。そんな気がしてならないのです。


「イルマ! もし少しでも遅れてあの焚き火のもとで誰にも会えなければ、貴女秘蔵のコレクションは資源ゴミの日にまとめて捨てさせていただきますわ!」


「飛ばしますのでお気をつけくださいお嬢様」


 戸惑い、渋っているイルマにいつもの調子で火を点けて、竜車を加速させました。そんなに春画コレクションが大事なのでしょうか、といつもだったら呆れているのですが、今はそれどころではありませんわ。


(……もう少しお待ち下さい。名も知らぬあなた……!)


 男か女か、はたまた両方か。全く解りませんが、わたくしの勘が会わなければならないと言っている以上、どうしてでもお会いいただきますわ。


 一気に速度を上げた竜車に振り落とされないよう、しっかりと捕まりながら、わたくしは一体どんな方が待っているのだろうと、期待と不安を一緒に胸に抱いていましたわ。

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