第6話 元聖女様、ドラゴンに出会う

 

 屋敷を出た私は何の考えも無し白いワンピース姿のまま森の中に入った。

 首から下げた鍵のおかげで屋敷の場所が分からずに迷子になることは無さげだ。

 音が聞こえた方向へ進むと、鳥たちが大慌てで飛んで逃げているのが見えた。

 後から思えばなんて無茶なことをしていたのだろうと呆れる。

 そのまま空を飛ぶ鳥達と真逆にずんずん進むとやがて開けた場所に出て、私は言葉を失った。


「グルルルゥ……」


 多分、音の原因は目の前にいる生き物のせいだろう。

 平だった地面に大きなクレーターを作って、その生き物は低く唸っていた。


「これは……」


 養父様から聞いた事があるこの世界の食物連鎖の頂点にいる生き物。生きているうちに会うことはないだろうと言われていた。

 地球だとゲームやアニメなんかでよく出てくるとってもメジャーな空想上の生き物でもある。

 元はたいそう美しかったのだろう銀色の鱗は所々が剥がれていて血が滲んでいる。

 飛膜を広げて空を飛ぶ翼はあろうことか骨が変な方向に曲がっていてボロボロだ。これじゃあ飛べない。

 顔には大きな傷があり、口元からおびただしい量の血が出て地面に染みを作り出している。

 全長約15メートル級のドラゴンが瀕死の状態で転がっていた。


「グウウ……グウウゥッ…」


 苦しそうにもがくドラゴン。

 このまま何もせずに放っておけばいずれは死んでしまうだろう。

 野生の魔物だから死んだら他の魔物から食べられたりするのだろうか?

 初めて見る未知の存在に私は足が止まる。

 この場にいたら危険な気もするから、見なかったフリをして屋敷に戻るのが一番得策だ。

 君子危うきに近寄らずとも言うし、私はここを去ろう。


 そう思い、来た道を引き返そうとした時にドラゴンの青い瞳と目が合った。

 生きる力を無くして死を待つだけの虚ろな瞳と。


「……私ってば本当にバカだ」


 なんて馬鹿な事をしようとしているのか、それが正しい選択なのか?

 そんな考えが頭に浮かんだ時にはもうクレーターの中へと降りていた。

 近づいた時には怖いという感情よりも助けなきゃ! という気持ちが勝っていた。

 そうした理由は私が養父様に助けられた事だ。

 

 雨の降るあの日、記憶を失いここが何処なのかすら分からなかった私の手を掴んでくれた。

 何も無い空っぽの私は養父様によって命を助けられた。

 だから私はその命で誰かを助けたい。


「ドラゴンの患者さんは初めてね」


 緊張しながらそっと大きな体に触れる。かなり冷たくなっている。

 足元の血の量が多いせいで鼻がダメになりそうだけど、触診を続ける。

 これだけ体が大きいとなると治癒魔法で使う魔力もかなり必要で、私がこの世界に来てから一番の大仕事になりそうだ。


「慈悲深き女神よ……って必要無いか。【ヒール】」


 もう私は教会の人間じゃないから祈りは省く。

 そうして治癒魔法を唱えると、ドラゴンの全身を淡い光りが包み込んだ。

 ゆっくりと、でも確かに傷が塞がる。私が最優先にするのはこれ以上血を出させない事だ。

 体の構造も違うせいか、集中力が結構いる。


「よーし、このまま行けば」


 治癒に夢中になっていたせいで私はとんでもない事を忘れていた。

 ドラゴンは苦しそうにしていて意識が朦朧としていた。

 それが、私の治癒魔法で少しマシになって覚醒してしまった。



 グチャッ!



 変な音の発生源は私の肩だった。


「グルゥウウウ……」


 ポタポタと鮮血が溢れて地面に赤い滲みを描く。


「ーーーっ!!」


 目と鼻の先にはドラゴンの顔があり、牙が突き刺さっている。

 あぁ、私はこの顎で噛まれたのだ。

 あまりの痛みで悲鳴が出なかったのは助かった。下手に騒いでしまったら肩を食いちぎられていただろう。

 今はまだ牙が刺さっているだけだ。

 ドラゴンは興奮していて息が荒く、こちらを見る宝石のように青い瞳も鋭い視線で私を見ている。


「目は覚めたみたいね。ご覧の通り、私はあなたの治療をしているの」


 痛みを我慢しながら優しく話しかける。

 教会で治癒魔法を使っている時に似たような経験はあった。

 患者からはせいぜい腕を掴まれるくらいで噛まれてしまうのは初めてだけど。


「私はあなたを傷つけない。敵じゃないよ」


 言葉が通じるのか? という疑問は今は問題じゃない。

 どうにか害意が無い事を感じとってもらえればいい。

 痛くて辛くて死にそうになっているのは私じゃなくてこのドラゴンの方だから。


「グルルルゥ……」

「いい子いい子。だからもう少し大人しくしてて?」


 噛まれている左腕は動かせないので、右手でドラゴンの顔にそっと触れて撫でる。

 落ち着かせるようにリラックスしてもらえるようにゆっくり手を動かしながら魔力を注いで治癒魔法を継続する。


「あなたを必ず助けるから。私を信じてくれない?」


 これでダメだったら私はこの場で死ぬ。

 野生のドラゴンを助けようとして死ぬなんてバカみたいだ。ロッテンバーヤさんが知ったら叱られるかな?優しかった養父も呆れてしまうだろう。


「……ガゥッ」


 ドラゴンの顔が私から離れる。

 肩に刺さっていた牙が抜けて、出血の量が増えてしまうが痛みは少しマシになった。


「ありがとう。いい子だね」


 どうやら私が危害を加える存在じゃないって認めてくれたみたいだ。

 むしろ、私に噛み付いてしまったのを後悔して申し訳なさそうにしている。

 なんとも器用で表情豊かなドラゴンだ。


「気にしないで。これでも治癒魔法には自信があるんだから」


 嘘だ。

 私の使う治癒魔法には一つ大きな欠陥がある。

 他人を癒す事は出来るが、その効果は私には及ばないのだ。

 自分で自分の怪我を治せないから、他の治癒魔法使いや医者に治療してもらうしかない。

 近くに村すらないこんな場所だと自分で処置するしか無いだろう。

 屋敷に戻ったら人形さんに針と糸を借りて縫おう。

 教会で養父様から医者の真似事で応急処置について教えてもらった経験が活かせる。


 日本にあるとある白と黒のつぎはぎ闇医者の漫画だって自分で自分を手術していたんだし、なんとかなるって。


「……大丈夫。大丈夫だから。まだ死なないから」


 連続の治癒魔法による魔力消費で疲労感に襲われ、肩の傷から流れる血と痛みで意識が曖昧になる。

 自分に言い聞かせているのか、ドラゴンに言ってるのかわからないまま私は治療を続けた。




 結局、瀕死のドラゴンの側で私は一夜を明かした。

 足元の血溜まりは一人と一匹のせいで赤いマーブル模様の染みになっていた。

 そのまま肉体的にも精神的にも限界を迎えた私は夜明けと共に意識を失って倒れた。


 次に目が覚めた時にはベッドの上で寝かされていて、人形さんが枕元に静かに立っていた。

 私の意識が戻ると動き出した人形さんはもしかして心配で側にいてくれたのだろうか?

 何となくそんな気がした。


「人形さんが私を屋敷まで運んでくれたのかな?」


 気絶している間に誰かに抱き抱えられていたような曖昧な記憶があるけど、あれは夢だったのだろうか。





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