追放された元聖女ですが、宿屋の女将始めました!
天笠すいとん
聖女追放編
第1話 聖女様はお別れする
「どうか息子をお助けください!」
私の足元で縋り付くように頭を下げている男性がいる。
大聖堂の真ん中には苦しそうな顔をしてシーツの上に寝転がされて気絶いる若い青年がいた。
「息子さんはどうされたのですか?」
「はい、聖女様。息子は狩りの途中で馬と一緒に崖から落ちてしまって。それで馬の下敷きになってしまったんです。このままだと死ぬと医者にも言われました!」
父親である男性の話を聞きながら、私は青年の様子を見る。
出血もあるが、一番深刻なのは馬の下になったせいで潰れてしまった内臓だろう。
骨が折れているくらいなら医者でも対応出来るが、ここまで酷いと教会を頼るのは当然か。
「お父さん。私が直接治癒するとなればそれなりの代価が必要ですが、よろしいですか?」
「勿論です! いくらでも払いますから息子を助けてください!!」
その言葉を聞いて、私は周囲にいた神官達に指示を出す。
まずはパニックになっていた父親を患者の近くから離した。
「慈悲深き女神よ。聖女の名の下に奇跡を起こしたまえ……【ヒール】」
別に神に祈る必要は無いけれど、私の所属は教会なので祈るフリだけしておく。
そうして治癒魔法を唱えると、青年を淡い光りが包み込んだ。
普通の【ヒール】だとかすり傷くらいしか治せないが、私の治癒魔法は格が違う。
数分も経つと、青年は穏やかな顔になって呼吸も安定した。
「もう大丈夫でしょう」
「本当ですか!? 流石、聖女様です。この恩は一生忘れません!」
「いいえ。それよりも先程の件ですが、別室にいる神官とお布施についてよく話し合ってくださいね」
何度も私に頭を深く下げる父親にそう言って、私は大聖堂から退室する。
「あー、疲れた」
今までの清楚な姿から一変。
聖女モードをOFFにした私は廊下を歩きながら頭に被っていた仰々しい帽子を外して蒸れた髪をわしゃわしゃと触って熱を逃す。
「こら! ミサキ様!!」
「はいっ!」
誰も見ていないのをいい事に気を抜いていた私を廊下の曲がり角から名指して呼ぶ声がし、背筋がピンと伸びた。
「何をはしたない事をしているのですか!あなたは聖女なのですよ!」
「ごめんなさいロッテンバーヤさん!」
ロックシンガーのヘッドバンギング並みにぺこぺこ頭を下げる。
プンスカと怒っているのは私のお世話を担当している修道女だ。
茶色の髪に白髪が混じっているおばちゃんで、この教会の中で私が信頼できる数少ない人間の一人だ。
しかし、この人は礼儀作法には厳しくて、恰幅の良い体型なので小柄でガリガリな私は圧倒されて縮こまってしまうのだ。
「いついかなる時も気を抜いてはなりませんよ!」
「はーい…」
彼女の忠告は本心からの言葉だった。
人間界を代表する大国に総本山を構える神聖教会。多くの信徒がいるその中で最も特別な意味を持つ
それが私の今の立ち位置であり、与えられた役割だ。
「わかればよろしいのです。……それと、ミサキ様は大至急教皇様のお部屋へ向かってください」
いつもならもっとガミガミと続くお説教がやけにあっさり終わり、真面目な声で彼女が私に言う。
「もうすぐ教皇様が旅立たれます」
「っ!?わかりました」
ロッテンバーヤさんの話を聞いて、私は帽子を被り直して教皇の間へと急ぐ。
廊下は走らないように、だけど早歩きで通り慣れた道をグングン進むと目的地が見えて来た。
トントンと扉をノックした私は中からの返事を待つ事無く入室した。
だって、返事はもう無いから。
「聖女様…」
「最期は私が看取ります」
部屋の中にいた神官達にそう言うと、彼等は気を利かせて退出してくれた。
残されたのはベッドの上で苦しそうに呼吸をする老人と私だけ。
「おぉ……ミサキくん…」
「ごきげんよう
枕元まで近づいて私は挨拶をする。
老人の名はペトラ教皇。神を崇める神聖教会で一番偉い人であり、私の義理の父親でもある。
「随分…様になっているね…」
「養父様に拾われてから3年も経ちましたから」
「……そうか……もう3年か…」
3年前。右も左も分からない、自分自身が誰なのかすらも忘れてしまった
「ミサキという名前以外に何も覚えていない私の面倒を見て、聖女という役割まで与えていただきありがとうございます」
「……君は素晴らしい力を持っている……迷える子羊を救うのも教会の教えだ……」
私はこの人の養女として教会で暮らす事になり、治癒魔法の腕を買われて聖女という称号を与えられた。
素性が不明な人間を教会のトップが迎え入れ、聖女にまで推薦した時は色々と揉めたらしい。
私は教会の生活に馴染もうと必死だったから知らないが、かなり無茶をしたと聞いている。
「私も養父様のような立派な聖職者として役目を果たしたいです」
「……その事だが、儂は君に謝らなければならない」
枯れた、苦しそうな声で養父様は喋る。
「……君の身を守るため、君を知る者が名乗り出る機会を増やすため……儂はミサキくんを聖女にした…」
「そうだったんですか」
てっきり私は、私の持つこの力が聖女に相応しいから称号を与えられたと思っていたけど、そんな理由があっただなんて知らなかった。
養父様は私を大切にしてくれていたんだ。
「……君は頑張り屋だ。……だがそれが不安でもあるし……聖女にした事に後悔もしている」
養父様が震えた手を私に伸ばす。
私はそのシワだらけの手を優しく握る。養父様の手にはほとんど握力が残っていなかった。
「……聖女という立場に…重荷を背負わせて君を縛りつけてしまった……だから、儂は死ぬ前にミサキくんに伝えたい事がある」
「なんですか養父様?」
「……君は自由に生きなさい。……誰かに強制される事無く自分の意思で選択しなさい。………他人では無く自分の人生の幸せを優先しなさい……」
残り少ない命を燃やしながら養父様は私の目を見てハッキリとそう言った。
どれも教会に仕える者の心得と真逆の言葉だ。
「……これは聖女ではない……儂の娘であるミサキくんに送る年寄りからのお願いだ……」
「養父様……」
私を娘だと呼んでくれた命の恩人からの言葉に私は何も言えなかった。
そんな資格は私には……。
だから私は手を握ったまま曖昧な表情で頷いた。
了承では無くとも話はしっかりと聞きましたという意味で。
「……それからコレを君に」
養父様が震える手で取り出したのは、いつも肌身離さず首から下げていた鍵だった。
透明な結晶で作られた芸術品のような鍵。
「コレは?」
「……儂は使う事が無かったが、きっと君には必要な物だ……鍵がミサキくんの未来を導いてくれる」
聖職者は常に十字架のアクセサリーを持ち歩いていたり、聖書を所持している。
だけどコレは養父様の私物だ。私に与えるという事は教皇が代々引き継いでいるような大袈裟な物ではなく父から娘に与えるプレゼントのようなものか。
「どこの鍵なんですか?」
「………………………………………………」
返事は無かった。
穏やかな顔をしている養父様の手はまだ暖かいけれど、それもすぐに冷たくなってしまう。
私はゆっくりとその手を養父様の胸に移動させ、真っ白な髪を整えたり、鍵を手渡す際に乱れてしまった服を正してあげる。
聖女として人の死を見た経験はそこそこある。
私の治癒魔法でも死んでしまった者を生き返らせる事は出来ない。
それが怪我や病気ならば少しは生きる時間を伸ばせたかもしれないが、老衰による死ならば不可能だ。
こうして長年に渡り神聖教会の教皇を務めたペトラ教皇は亡くなった。
多くの神官達が彼の死を嘆き、ロッテンバーヤさんもハンカチをびしょびしょに濡らしていた。
私も
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