第9話 楽しい酒席、のはずが

 パーティーが始まると、あちこちで参加者同士が「覚醒者」を交えて、会話に華を咲かせていた。

 話を聞くに、結構いろんな世界、いろんな国から転生してきているようで、こういう話が聞けるのもまた、こういう酒会のメリットだなと思う。

 今もパーシヴァルさんが、細耳族ナロウイヤーズの老人と顔を合わせて、挨拶を交わし合っていた。


「やあこれは、コンラッド伯」

「お久しぶりです、ロックハート伯」


 曰く、ロックハート伯爵、アーチボルト・ロックハートとのこと。その傍らには鷹のような翼を持った、羽耳族ダウンイヤーズの青年が付き従っている。

 青年が、深々とパーシヴァルさんに頭を下げた。


「お久しぶりです、パーシヴァル卿」

「ああ、カミーユ。今回は君がロックハート伯の供を務めているのか」


 彼の言葉に、私は小さく目を見張った。どうやら、この青年のことを知っているらしい。


「こちらの方も、パーシヴァル様のお知り合いで?」

「西三番街通りにある酒場『満月橋亭まんげつばしてい』の店長だよ。ワインに非常に詳しいんだ」


 私の問いかけに、パーシヴァルさんがにっこり笑って言った。

 西三番街通りの酒場「満月橋亭」も王都の酒場の一つで、しかし接待よりも酒の提供に重きを置いている店なのだとか。それも、このカミーユ・バイエなる「覚醒者」の青年の趣味らしい。

 感心した面持ちで私が彼を見ていると、パーシヴァルさんが私に視線を向けながら両名に私を紹介する。


「ロックハート伯、カミーユ、こちらが今日、私の供をしてくれているリセ・オーギヤです」

「お初にお目にかかります、ロックハート伯爵様、カミーユ様」


 丁寧に、深くお辞儀をする私。と、アーチボルトさんもカミーユさんも、目を見開きながら笑みを浮かべた。


「おお、貴女があの。ご高名はかねがね伺っております」

「『赤獅子亭』にお勤めの方でしょう? 随分酒に強くいらっしゃるとか」


 その言葉に、頭を下げたままの私の身体が固まる。

 どうも、私のことはこの二人に既に知られているらしい。おかしいな、初対面のはずなんだけど。顔を上げつつ首を傾げる私だ。


「私のことが、そんなにも噂に?」

「へえ、西三番街通りにも、リセの話は伝わっているのか」


 パーシヴァルさんも感心した様子で腕を組む。その言葉に、アーチボルトさんがにこにこ笑いながら口を開いた。


「よく耳にしておりますよ。サイクス商会のデズモンド殿を叩きのめしたお話なども」


 その返答に、私の笑顔が途端に引きつる。

 そんなによその酒場で話題になっているのか、あれ。というかあのオッサンあちこちで私の悪口をばら撒いているんじゃないだろうな。

 しかしここで声を荒げるのはパーティー参加者としてよろしくない。あくまで粛々と、俯きながら話す。


「あれは……あの方が悪いのです。汚い口をしながら、私の肌やら髪やらに口吸いをして。不潔極まりない。私の腰に伸びる手を張るのも、致し方ないこととは思いませんか」

「んんっ」


 私の発言に、私の横から咳払いの音がした。見ればパーシヴァルさんが顔を背けながら咳き込んでいる。そんなにおかしかっただろうか、今の。

 で、前を向くとアーチボルトさんとカミーユさんも笑っていた。どうやら結構、今の話は笑える内容だったようで。からからと笑いながら、アーチボルトさんが白い顎髭を撫でる。


「はっはっは、これは聞きしに勝る豪胆なお方だ。そんな悪い状態で女中に手を出すとは、デズモンド殿もお人が悪い」

「私の店にいらして、女中相手に『赤獅子亭』をこき下ろし始めた時は何事かと思いましたが……なるほど、それは」


 カミーユさんも苦笑しながら、腕を組んで私に頷く。そんなことしてたのかあのオッサン、入った店でよその店の愚痴をこぼすなんて、酒飲みとしてどうなんだ、それは。

 ともかく、ほどよく打ち解けたところで。アーチボルトさんが私にワインのボトルを差し出す。


「なんとも嫌な思いをされたようですな、リセ殿。さ、お近づきの印に、一杯」

「ありがとうございます、頂戴いたしま――」


 それに微笑んで、手近なグラスを手に取る私。赤く色づいたワインがグラスに注がれよう、というところで。

 バリーン、とグラスが割れる音がした。


「きゃっ!?」

「な、何をなさいます!?」


 それと共に聞こえる、女性の悲鳴と男性の困惑する声。声のした方に顔を向けると、そこでは殴られたのか押し倒されたのか、広間の床に尻もちをつく弓耳族ボウイヤーズの男性と、彼に寄り添って震える猫の毛耳族ファーイヤーズの女性。

 そして二人の前で鼻息荒く、右手を前に突き出しているメレディスさんの姿があった。

 その状況が雄弁に物語っている。メレディスさんがあの男性を転ばせて、その拍子にテーブル上のグラスが落ちて割れたのだ。

 尻もちをついた男性の襟元を、メレディスさんがぐいと持ち上げる。


「モンタギューてめえ、俺が楽しんでいるところに水を差すとは、いい度胸してんじゃねぇか、あぁ!?」

「お、おやめくださいメレディス卿、酒席の最中ですよ!」


 胸倉を掴まれるような体勢になったモンタギューなる人物が、苦し気に呻く。

 これはどう見たって暴力だ。酒の席でやっていいことのはずがない。

 呆れた眼差しで、メレディスさんを見やる私と、パーシヴァルさんだ。


「あの人……」

「やってしまっているな」


 やっぱり、やると思った。遅かれ早かれ、こうなる気はしていたのだ。むしろ始まってから一時間も経っていないでこの状況。よくまぁパーティーを企画して人がこれだけ集まるものである。

 アーチボルトさんが額を抑えながら、ゆるゆると頭を振る。


「あぁ、アンドルース子爵……酔ったベンフィールド伯を怒らせるとは、お可哀想に」

「何かが彼の気に障ったのでしょうが、いったい何が――」


 心配そうにそう言いながら、カミーユさんがメレディスさんの方に目を向ける、が。私はその声を背中で・・・聞いていた。

 後方から二人の驚きの声が上がる。


「あれ!?」

「リセ殿!?」


 そう、私とパーシヴァルさんは、躊躇なくメレディスさんとモンタギューさんの方に歩み寄っていたのだ。

 正直、これを遠巻きに見ているというのは実に気分が悪い。それにパーシヴァルさんからも、やっつけていいとのお墨付きをもらっている。

 こうなったらこの熊野郎、がっつり締めてやる。

 そう決意する私に気付く様子もなく、メレディスさんは声を荒げてモンタギューさんに噛みついている。


「俺の注ぐ酒が飲めねぇってんなら、叩き出してやろうかモンタギュー!! えぇ、おい!?」

「メレディス卿、落ち着いてください! どうか――」


 モンタギューさんが悲痛な声を上げる中、私は意を決してメレディスさんの腕を掴んだ。もふっとした感触が手に伝わる。意外とちゃんと手入れしてるんだな、この熊。


「何の騒ぎですか、これは」

「見苦しいぞ、メレディス」


 冷たい目をメレディスさんに向けながら、私とパーシヴァルさんが声をかける。

 途端に、周囲がざわざわとし始めた。当然だ、こんな厄介な状況に自ら飛び込むなど、無謀の極みだろう。


「パーシヴァル卿……それと『赤獅子亭』の」

「無茶だ、酔って激高するベンフィールド伯に挑みかかるなど」


 周囲からひそひそと声が上がっている。しかし止めようとする者は誰もいなかった。私に腕を掴まれたメレディスさんが、ねっとりした目でこちらを睨みつけてくる。その頬は毛に隠れているが、随分と赤い。


「あぁん? てめぇらも俺の楽しみの邪魔をしようってのか? パーシヴァルよ」

「当然だとも。開催者が参加者に気を遣わないで、何のための酒席だ」


 パーシヴァルさんの静かな、しかし迫力のある声に、メレディスさんがギリと歯噛みした。と、モンタギューさんの襟元を放し、私の手を振り払うようにしながら、彼は大きく腕を振った。


「知った風な口を利くんじゃねぇぞパーシヴァル!! 俺の催した会だ、俺が楽しまないでどうしようってんだ!!」


 そのままの勢いで、メレディスさんの右手がパーシヴァルさんの襟元を掴む。ぐ、と手に力が篭もるのが見えた。

 これは良くない、いろんな意味で良くない。私はメレディスさんの右肩を、強く掴んできっぱりと言った。


「ベンフィールド伯、その手をお放しください」

「あぁ……?」


 メレディスさんの目がパーシヴァルさんから私に向けられる。私は掴んだ肩を手前側に引くようにしながら、なおも言葉をぶつける。


「飲み会のホストは、全参加者が会を楽しめるように配慮に配慮を重ねるのが、ホストとしての最低限のマナーです。自分が楽しみたいがために会を催し、参加者に迷惑をかけるのなら、それはただの乱痴気騒ぎです。ホストの態度として、相応しくありませんわ」

「なんだと、この――」


 私の持論に、忌々しそうな目を向けてくるメレディスさん。さすがに女性に殴りかかるようなことはしないか。

 とはいえこのままだと一触即発。早々に場を収めないといけない。

 私は彼の肩から手を放すと、モンタギューさんの前まで行く。そして彼が先程まで使っていただろうグラスを、そっと奪った。


「アンドルース子爵、失礼いたします」

「えっ」


 彼が戸惑いの声を上げる中、私はグラスに口をつける。中にはワインが半分以上残っていたが、私には何ということもない。


「おぉっ」


 私の飲みっぷりに歓声が上がる。同時にメレディスさんが、僅かに怯む顔をした。

 その顔に、私は空になったグラスを突き付けながら言ってやる。


「とことん飲みたいってんだったら付き合いますよ、私が!! さっさと注ぎなさいよ!!」


 思いっきり切ってやった啖呵たんか。その言葉に彼も引けなくなったらしい。すぐにテーブルの上のワインボトルを手に取った。


「上等だ、すぐに足腰立たなくしてやるぞ、小娘が!!」


 私の手の中のグラスと、もう一つの空いたグラスにワインが注がれ、メレディスさんがグラスを取る。

 こうして、なし崩し的に始まった飲み比べイベントに、パーティー会場の人々から歓声が沸き起こった。

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