第125話 後始末を始める魔女
次のシーンは、大きく時間が進んでいた。
視界に広がっているのは、エスティにも見覚えのある海の風景。
ここは、どうやらトルロスのようだ。
高台から見下ろしたトルロスの風景は、現在とは違って荒れた地面のままのようだ。港どころか建物すら無く、人の姿も無い。開発される前といった所だ。
そんなトルロスで、ラクリマスは老婆となっていた。
それも、多くの弟子を抱えて。
(史実と違いますね)
時空魔法が継承されていないのは弟子を取らなかった事が原因のはず。だが目の前の光景は、それを完全に否定している。
弟子達はラクリマスの身の回りを補佐したり、魔法の研究に勤しんでいる。彼女達の家は、ラクリマスの家に並ぶかのように隣り合わせに立ち並んでいた。どの家の玄関にも《魔女の庵》の術式が刻まれているようだ。
(しかし、フラクトや洪水はあの後どうなったのでしょうか)
場面が飛び過ぎて状況が掴めない。
ラクリマスは窓を開き、悲しげに海風を感じていた。彼女も随分と年老いている。自分が老化するとこうなるのかと、エスティはまじまじと顔を眺めていた。
ここが彼女の終の棲家かもしれない。
エスティは家の中をぐるりと見回した。
(そうか。あの時、私がこの場所に転移できたのも……)
そんな事を考え始めた時、弟子の一人がラクリマスの家を尋ねて来た。弟子はエスティと同じように、左目に魔石のような物が埋め込まれている。《魔女の庵》の保持者なのだろう。
「どうしましたか?」
「師匠、お別れに参りました。私は明日『種』になります。長い間、お世話になりました」
「……そうですか」
(種……)
ラクリマスは弟子を優しく抱きしめた。
そして、静かに涙を流し始める。
「……ごめんなさい……う……うぅ……」
「いえ、望んだのは私です。この美しい空のように、何一つ後悔はありません」
弟子は15、6歳ぐらいだろう。嗚咽するラクリマスとは対照的に、随分と落ち着いている。その表情はとても穏やかだ。
ラクリマスはそうして暫く泣き腫らした後、涙を拭ってすっと立ち上がった。そして、戸棚の奥にある魔法の箱を取り出した。
その箱の蓋を開けた瞬間、刺すような魔力の光が家の中を覆った。中にある魔石が輝いているようだ。ラクリマスはすぐに蓋を閉め、また窓の外をじっと見つめ始めた。
(……何かの儀式でしょうか?)
2人はじっと外を眺めている。
エスティはそんな様子を他所に、家の天井に描かれた《魔女の庵》の魔方陣を見た。起動していないのか、魔石は光っていない。
そして今度は、机に散らばった資料に目を落とした。ラクリマスの字で書かれた、研究資料や走り書きのメモが散らかっている。
――『大樹の復活』、『魔力の結晶化』、『魔力と生物の合成魔法、雲の魔法が起動し続けている原因』、『会話をする竜と、知能の高い魔族の支配者』など。
どれもが語尾に『だろうか?』と書かれており、憶測の域を出ないようだ。特に魔法については『魔力不足』という文言が大きく書かれている。苦しみからなのか、随所に殴り書きされたような×印が刻まれていた。
その中に、気になった単語が綴られた書類の束があった。
エスティはその表紙を読み取る。
『――魔力がその個体の限度を超えると魔石化する《魔女の庵》の完成』。そう書かれている。これはラクリマスの文字では無く、弟子達の成果物のようだ。
(……)
エスティは気になって中を開こうとしたが、触れる事が出来ない。しかし、海風がはらりとページを捲った。
「師匠」
「あぁ……ごめんなさいね」
ラクリマスは窓を閉じた。
エスティは1ページ目の内容に目を落とす。
『――《魔女の庵》というのは、人を魔力の種に変えてそれを大地に植え、大地の魔力を回復させるという魔法である。我々はついに、この世界を救う方法を見つけたのだ』
(……やはり、そういう事でしたか)
『種』というのは、人の命を代償にした魔力の種。一度目の滅びの後に魔力が復活していたのは、《魔女の庵》によってラクリマスの弟子達が命を犠牲にして種を生み出していたから。
庵の崩壊の日数は種となるまでの日数。そして子を産めなくなるのは、その代わりに魔力を生むため。
エスティは左目を押さえた。
この見えない左目こそが、『種』だ。
「――フラクトルロスは、美しいですね」
ラクリマスはそう呟いた。
その時、一匹の猫が窓辺に飛び乗った。
餌入れがある様子を見るに、この家でラクリマスに懐いている猫のようだ。ラクリマスは空間魔法で餌を取り出して、餌入れにぱらぱらと落とす。
「――――もし生まれ変わったら、静かな……かつてのあの研究所のような、静かな森で研究をして暮らしたいですね」
猫はニャーと鳴いた。
そんな妄言はいいからもっと餌を寄こせ、そう言っているようだ。
ラクリマスはふふっと笑う。
「そうなったら、私と一緒に暮らしませんか――ロゼ?」
◆ ◆ ◆
洪水による影響は甚大だった。
ネクロマリア大陸は北部、南部共に荒れた荒野となった。だが南部に関してはフラクトの魔法が間に合い、魔族は生まれなかった。しかし、どちらも洪水によって全てが流された。
師匠達が一体どうなったのか、フラクトがどこに消えたのかは分からない。空には師匠達の不完全な魔法陣によって曇天が残り、雨も降らないままだ。
(これが、真実――)
その後、
そして大陸で生き残った魔族は、大陸にいる人々だけで何とかしてもらおうと奔走した。だが、時間が足りなかった。
そのために禁忌に手を出した。
弟子の作った
『時空魔法とは、何でもできてしまう5次元の魔法』空想科学にも思えたミアの予想だったが、案外当たっているのかもしれない。
(人の道を踏み外したのは、私でしたね)
だが、2度目、3度目の滅びは耐え切れなかった。
自分の心は完全に壊れていたのだ。
せめて何かが起きた時の為にフラクトルロスだけは守ろうと、長い年月をかけて島の復興を始めた。もちろん、魔法を使うという事は禁止にして。
(……そういう事でしたか)
そしてフラクトルロスが安定した後、もう十分働いたと酒に明け暮れた。
だが、酔えない。辛い思い出を忘れる事が出来ない。しかも情けない事に、自分から死ぬ勇気も無い。弟子を犠牲に種を生み出し、植え続けた張本人がだ。
だから、過去を捨てて転移する事にした。ラクスという辺境の小さな村の近くに、記憶を失って遠い未来に現れるように。
(そんな私が、最後の『種』ですか)
罪ばかりを犯してきた魔法の創始者の一人として、相応しい結末だと思う。
後悔はある。
だが、なぜか満足していた。
――自分の夢は、もう叶っていたのだ。
心が軽くなった途端、景色に色が付く。
また次のシーンに移ったようだ。
「――――おいエス、服を着ろ!」
(ん……?)
「嫌です! 私だって魅力的な体をしているんですよ、脱ぐ!!」
「酒場だぞここは! バックス!」
「妹弟子、頼むから大人しくしていてくれ。その貧相な体に需要は無いんだよ」
「はああ!? あ、ちょっと、やめろお!」
自分が人前で全裸になっていく。
(うわああぁぁああああ!!!)
手で隠そうにも触れないため、隠せない。
裸のまま、両手を腰に当てている。
「妹弟子……面倒臭くなってきたよ」
「恥ずかしくないのか、エス!」
「恥なんて捨てましたよ! いやぁ、素っ裸で飲むお酒は最高ですね!!」
◆ ◆ ◆
――ぱちりと目が覚める。
視界の先にあるのは、リビングの天井。
むくりと起き上がったエスティは、そのまま首を垂らして落ち込んだ。
「大丈夫か、エス!?」
ロゼが心配そうに問いかけた。
「…………最後のやつ、いります?」
「その顔は、やはり脱いだのか」
「私に似た露出狂がいました。恥なんか捨てたと言って、裸で暴れていましたよ」
「残念ながらお前だぞ」
「きっつい黒歴史でしたよ……」
エスティは落ち込みながらも、横目で時計を見た。4時36分、薬を飲んでから数分と経っていない。それでも、随分と長い記憶の旅をした気分だ。
だが、それなりに壮絶な人生を送ってきたはずなのに、なぜか最後の酔っ払いが一番ダメージが大きい。何で酔うと馬鹿になって脱ぐのか。意味不明だ。
「私は、色々やってたんですね」
「馬車に裸で抱き着いた記憶は見たか?」
「止めましょうよ、その話題」
これでは、ミアに露出狂の変態と言われても言い返せない。
「巻き戻りの仕組みは思い出したか?」
「それは……あれ……?」
思い出そうとして、エスティは気が付いた。
見ていない映像のはずが、術式が次々と頭に思い浮かび始める。それどころか、夢から覚めた今の自分はラクリマスの記憶を思い出していた。魔法や会話、かつてヴェンが実体のある竜だった頃に会話した事も。
「――――あぁぁ~~!!!?」
「……何だその反応は」
全てが、蘇った。
「――全部、思い出しました」
「それで、何が分かった?」
「空間魔法以外は単純に相性の問題で、記憶を失っていたのは本当に酔っ払っていただけ。私は魔力とお酒の相性が悪くて……」
「そうか。それでどうす……うぉっ!?」
エスティは、ロゼを抱きしめた。
そして匂いを嗅ぐ。
愛くるしい、ロゼの匂いだ。
あれだけ苦しかった人生が、今はこれだ。
エスティはいつの間にか笑っていた。
「エス……?」
「こんなに重くするつもりはなかったんですよ」
準備も出来ていた。
全ての鍵は揃っていた。
唯一足りなかった豊富な魔力は、この蓼科の地に沢山ある。
(少しだけ借りますよ、日向)
自分のやってきた事は無駄じゃなかった。
この時の為に生きてきたのだ。
かつての不器用な同僚が目に浮かぶ。
彼に頼まれていた仕事を終わらせてやる。
「――後始末といきましょうか、フラクト」
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