第73話 《浮遊》から分かった事



 ミア・ノリスの朝は、とにかく遅い。



 そもそも、夜に寝ない。


 夕飯を食べながら酒を飲み、風呂に入っていい感じの気分になる。その後は日課である漫画アプリの無料ポイントを消費して漫画を読み漁り、続いて定額の漫画アプリを起動して読み漁る。それだけで日付を超えるのだ。


 そこからようやく、日本語の勉強となる。


 まず実況ちゃんねるを開き、お気に入りの漫画についての考察を淡々と書いていく。慣れない言葉で書き連ねたその文体は特徴的で、尚且つひたすら恋愛ものに愚痴を言い続ける姿から『怨念ババァ』という不名誉なあだ名も付けられていた。


 そんな作業を深夜2時まで繰り返し、ベッドに寝そべって眠くなるまで漫画を読む。うつらうつらと寝た後に目覚めるのは9時で、朝食を用意したら再び12時まで二度寝する。


 お手本のような堕落した生活だが、ミアは自分のせいでは無いと思っていた。


 だって、これは仕事。

 文化の勉強なのだ。



 しかし、そんな怨念ババァの振る舞いに対して、いよいよ鉄槌が下された。



 ――なんと、朝起きたら雲の上だった。



「なななな!!?」


 床も壁も天井も無い。

 自分のいるベッドだけが浮いている。


 周りの雲は凄い速度で流れていた。そしてやや斜め上には、鹿の頭をした女性らし体躯の人物が、これまた宙に浮いていた。


 その鹿頭が、喋り出した。



「――――聖女ミアよ」

「は、はいいぃ!!」


 ミアは思わず正座をし、鹿を見る。


「――もう14時だ。お昼寝の時間なんだぞ。ちゃんと昼食は作ったのか!?」

「つつつ、作っておりません!!」

「無礼者ぉ!!」

「ひいいいぃいい!!」


 ミアは土下座してベッドに頭を擦り付けた。夢だ。これは夢だ。悪い行いばかりしてきたから、きっと鹿の神様が……。



 ――――鹿の神様?



「オゥエッ……! 酷い匂いですよこの鹿……! 聖女ミアよ――くさっ!!」

「……何してんの、エスティ?」


 目覚めたばかりでぼんやりとした頭と、衝撃的な景色にびっくりして気が動転していたが、冷静に聞いてみればエスティがただ低く喋っているだけだ。



「――ふふふ、よくぞ見抜きました!」


 エスティが鹿のマスクを取った。ブルーグレーの長髪が風でなびき、顔にペチペチと当たっている。鬱陶しそうだ。


 そういえば、風は強いのに寒さを感じない。この季節にこれだけの高度にいたら、凍えるほど寒いはずだ。


「エスティ、ここは一体どこなの?」

「お空の上です。庵の真上ですよ」

「……は?」

「庵の高度な追加機能浮遊です」



 《浮遊》。


 そもそも、今日は日向がやって来る日だった。一緒に浮遊の効果で遊ぼうと約束しており、その旨はミアやロゼにも事前に伝えていた。


 しかし、ミアは一向に起きて来なかった。日向が『寝かせてあげよう』と言ったのでエスティは従ったが、昼食の時間を過ぎても目覚めなかった。そこで、実験をしてしまう事にしたのだ。


「わ、悪かったわよ。それで、日向達は?」

「日向は下界にいます。ロゼは更に上にいますよ、あの上空の黒い点です」

「あぁあれね、気の毒に」



 この《浮遊》、訳が分からなかった。


 まず、《魔女の庵》の範囲外に影響は及ばない。これは他の機能と同じだ。


 《浮遊》の効果を起動するためには、庵の魔石に触れてONとOFFを切り替える必要があった。ONにすると周囲から魔力を吸い取り始め、庵の主であるエスティの意思でモノを浮かせる事が出来るようになる。


 そして、浮かせる事が出来るのは家ではない。テレビやリモコンやコップなどの物質、ロゼやミアのような生物だった。また、土や水、砂などの流体や集積体は浮かせる事が出来なかった。一度に5個までしか操れないという制限があったのだ。


 最も特筆すべきなのは、浮遊する時にそのモノの周囲がになるという事だ。これによって上空でも寒さを感じずに会話ができ、風だけが通り抜けていた。



 しかし、浮遊する物体の上に置いてある物はその対象ではない。暴風でベッドの上の布団が飛んで行ってしまう弊害はあった。


「いやぁ、神になった気分です」

「ねぇ、私の枕と布団は? ラブドールは?」

「蓼科高原の山中へ吹っ飛んで行きました」

「嘘でしょ……」



 エスティが悲しむミアのベッドに飛んできて、ミアの隣に座った。


「――――ぷぷぷ、嘘ですよー! ほらほらラブドールですよ、ほらグェッ!」

「下界に下ろせ」

「はい」



 浮遊の発動は、エスティが考えるだけでいい。エスティはロゼとベッド、ミア、それにエスティ自身をゆっくりと地面に向かって下ろしていく。落下速度も自由自在で、重力を完全に無視していた。


「しかし、何なのよこの魔法……」

「とんでも無いですよね、飛んでますけど」

「というか、あんた生臭いわ」

「……」


 ムラカが狩ってきた雄鹿の顔を、エスティが格好付けるためにマスクにしたのだ。血の匂いが全く抜けておらず、ちょっと腐りかけている。



 雲を抜けた先に、白樺の森が現れた。東を見れば八ヶ岳、西には車山があり、中々の絶景だ。真下にあるぽっかりと空いた庵の広場には、大きく手を振っている日向の姿があった。


 無事着地したエスティは、日向に近付く。


「お帰りー、エスティちゃん、ミアさん!」

「寒い中お待たせしました。ダイナミックな起こし方をしてやりましたよ!」

「ごめん、エスティちゃん超臭い」

「……」



◆ ◆ ◆



「ミア、ちゃんと仕事しないと……」

「わーわー! わわ、分かったから早く下ろしなさいよお!!」


 キッチンでミアが浮いている。あと少しあと少しと漫画を読み続けて、夕飯の支度すらサボろうとしたのだ。エスティから本日2度目の鉄槌をくらっていた。


「これ楽しいですね」

「エス、その辺にしておけ。魔力の無駄だ」

「そうですね。蓼科にいると、魔力が無限にあると勘違いしてしまいますよ」


 ミアをキッチンにすとんと下ろす。ミアはそのまま急いで料理を始めた。仕込んでおいた鹿肉のローストをお皿に盛り付けている。



「しかし、これではっきりしました」


 炬燵に戻ったエスティは、日向とロゼにそう告げた。


「何が分かったの、エスティちゃん?」

「この《浮遊》の機能は、庵の主が私だから追加されたものだという事です」



 よくよく考えてみれば、他の機能にも似たようなものがあった。


 高度な追加機能の中でも、《植物の生育速度調整》《動物の生育速度調整》《持ち運ぶ》《時空間化》《時間転移》。どれも時空魔法が関係しそうなのだ。


「《魔女の庵》は時空魔法使いが作ると変化する可能性がある、か。どうりで記録が残っておらぬわけだ。バックスの奴に伝えておこう」

「はい。あれ……もしかして……」


 空間を記憶する機能があるならば、《時空間化》というのも似たような機能かもしれない。《浮遊》の時と同じように庵の空間が止まる。そうすれば――。



 ――そうすれば、庵が崩壊しないかも。



 光明が差した。



 エスティは勢いよく立ち上がる。


「え、エスティちゃん……!?」


 そして、急いで庵の魔石に触れた。


「《時空間化》、《時空間化》……!!」


 《高度な追加機能》から《時空間化》を開いた。『庵を時空間化する』それ以外に詳しい説明は書いていない。


 だが、やる価値はある。

 ようやく希望が見えた。


 早く試したい。必要な素材は――――!



「…………」




 ――――『種』。


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