第三章 運命のカウントダウン

第65話 あと243日



 庵の崩壊まで、あと243日。



 この《魔女の庵》の情報は、主であるエスティにしか分からない。庵の操作はエスティにしか出来ないのだ。


 そのため、残り243日という数字は、黙っていれば誰にも分からない。



 エスティはベッドに座り、考える。


 この数字、いつから現れていたのか。自分の情報を最後に見たのはいつだったか。その記憶は定かではないし、こんな事になった切っ掛けも思い浮かばない。


 自分の庵が特殊だという事は、ここに住む全員が知っている。本来の術式は複雑では無かったのに、実際に現れたのはまったくおかしな結果なのだ。この左目の視力も戻らないまま、もう生活にも慣れてしまった。



「――ふぅ~……」


 エスティは大きく息を吐く。そしてベッドで横になり、天井を見上げた。皆が昼寝をし始めたばかりの、穏やかな冬の日だ。



 以前ロゼは『エスには寿命が無い』と言っていた。蓼科の地で吸い続ける魔力量が多すぎて、際限がないためだ。蓼科の魔力が枯渇する気配も無いので、確かに庵がある限りは寿命は無いに等しいのだろう。


 《魔女の庵》の術式が崩壊しても、通常ならば死ぬことはない。だがエスティには、自分の中にある何かが終わってしまう気がした。決してそういう訳では無いのに、この数字が命のカウントダウンのように見える。



 あと243日。たった243日。



 崩壊の時期にも、何か特別な意味があるのかもしれない。だが、通常の魔女の庵の術式だけではそれが読み取れない。最初に建築した時にどこからともなく現れた、あの大量の魔法陣に答えがあるはずだ。


 しかし、それも今となっては調べようがない。ミアに《魔女の庵》を建ててくれと頼むのも嫌だ。自分のように異常な状態になって欲しくはない。



(……結局、何も出来ませんね)


 皆に話したところで、治らない左目と同じで何かが変わる訳では無い。逆に不安を煽り、この楽しい生活が壊れてしまうかもしれない。それは嫌だ。



 瞼を閉じ、エスティは思考を整理する――。



◆ ◆ ◆



 ばさっ…………。



 エスティの布団が捲られる。

 自室は暖炉の熱で温められており、それほど寒くはない。


 エスティは、薄っすらと目を開いた。



「こら、寝過ぎよ」

「ミア……何時ですか」

「朝の9時」

「………………は?」


 目を完全に開き、窓の外を見た。

 確かに、あれは朝日のようだ。


 《改築》していたのは昼間のはず。

 どうやら、丸一日近く眠っていたらしい。


「……また時空を飛ばしてしまいましたか」

「涎たらしながら笑顔で寝てたけどね」

「ウッ!」


 見ると、襟元がカピカピになっていた。



「起きたか、エス」

「あ、お早うございますロゼ。愛しのあの子との初夜はどうだったんですか?」

「なっ!」

「大丈夫よエスティ。監視カメラを仕掛けておいたから、後で見せてあげるわよ」

「流石はミア、優秀ですが陰湿ですね」

「なっっっ!!!」


 ミアがポケットから取り出した小型カメラに、ロゼがシャーッと飛び掛かった。ミアはそれを華麗にかわしながらロゼを捕まえる。


「ぐっ、個人情報だ!」

「見せてほしかったら、男を紹介しなさい」


 そのままぷらーんとされながら、ミアとロゼはリビングへと戻って行った。



 エスティはベッドから起き上がり、服を着替えてコートを羽織った。そして、そのまま靴を履いて外に出た。


 目の覚める寒さだ。草木には水滴が凍り付いたままで溶けていない。鼻で呼吸をすると、冷たい空気と共にほんのりと灰の匂いが漂ってくる。



「おはよう、エスティ」

「おはようございます、ムラカ。朝から何を燃やしてるんですか?」


 広場の中心で、ムラカが火を起こしていた。


「薪や乾いた葉っぱだよ。ただの焚火だ。こうして淹れたてのコーヒーを飲みながら、焚火の炎をぼーっと眺めている」

「……楽しいんですかそれ?」

「楽しいさ。子供には分からないか?」


 ムラカは挑発的にニヤリと笑った。エスティは少しムッとして、ムラカの隣に腰掛けた。暖かい焚火の熱が顔に届く。



「――焚火を見ると、冒険者時代を思い出す」

「戻りたいと思う事はありますか?」

「……私はずっと剣で生きてきた女だ」


 そう言って薪を追加する。火鉢でかき混ぜると、火の粉がぶわっと舞い上がった。そしてムラカは火鉢を置き、再び炎を眺め始めた。その黒い眼には、ゆらゆらと炎が揺らいでいる。



「今は正直、老後の贅沢を先食いしている気分だ。お前達と生活するのは楽しいけど、このままでいいのかと考える事はある」

「……」

「また地獄に飛び込みたいという訳じゃない。だが、命掛けで生きてきた今までの人生との落差が大きくてな。焦燥感というのか、戸惑っているんだよ」


 明日死んでいるかもしれないのが、冒険者や騎士という職業だ。そんな血に塗れた仕事など、この蓼科には存在しない。



「ネクロマリアに戻ったからといって、満足の出来る何かがある訳では無いしな。女神の護衛が適任だというガラング様やマチコデ様のご意向も理解できる」

「…………私は、女神なんでしょうか」


 その言葉に、ムラカはエスティの方に振り向いた。エスティはじっと炎を見つめている。元から背の低いエスティが、ムラカには更に小さく見えた気がした。



「称号は、そうだな。だがエスティ、お前の人生を決めるのは運命じゃない。お前自身だ。自分がこうだと決めた事を、迷いながら進んでいけ」

「……難しい事を言いますね」

「ふ、お前やミアが酒場で話していた経済論の方が、私にはよっぽど難しいさ」


 ムラカは再び薪を追加した。細い枝ばかりだからか、燃え尽きるのが早いようだ。



 エスティは考える。


 皆が皆、何か確信があって動いている訳じゃない。あのガラングだって不安なはずだ。ムラカの言葉で、自分の心に引っ掛かっていた何かが取れた気がした。


 時空魔法と『種』の正体。それにヴェンが言っていた王に会えという言葉。今の自分が解決すべきなのは、この辺だろう。もちろん、魔道具作りも続ける。他のネクロマリアの問題は、バックスの言う通りにして気にしないでおく。


 考えがまとまった。

 エスティの顔が、少しだけ綻んだ。



「諸君! 寒い朝にわざわざ外にいる可哀想な諸君に、朝食を用意したわ!」


 大きな声と共に、ミアがやって来た。


 ミアは膝掛けでぐるぐる巻きにされたロゼを抱きかかえながら、【弁当箱】からカップラーメンを取り出した。お湯を入れて3分経った、食べ時のものだ。


「気が利くな、シェフ」

「シェフ、その猫はどうしたんですか?」

「私がお料理をしてる時に監視カメラを奪おうとしたのよ。肉球で暗証番号が打てなくて困っているところを捕獲したわ」

「我の恥ずかしい思い出を消してくれ……」

「嫌よ、これはあんたの婚姻の儀で流すの」


 思い出……。


 エスティの目の前では、2人が笑いながら1匹をからかっている。ロゼは縛られているが嫌そうではなく、普段通りに楽しんでいる。何てことのないじゃれ合いだ。



 だが、エスティの目は潤んでいた。


 不思議な気持ちだ。



 ――いつもと同じ風景が、かけがえのないものに見える。



 大好きな人達との思い出を残したい。

 エスティは顔を隠し、涙を拭う。


「gif動画にしてネットにアップしましょう」

「流石エスティね、やる事がエグいわ!」

「何か分からないが、やめろエス!!」



 庵の崩壊まであと242日。


 気付かれないように、しなければ。

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