第40話 酔った勢いでオリヴィエントに入国する
エスティは辺りを見渡した。
どこだここは。
膝を突いているのはミアだけで、他の人達はそのまま立っている。そして自分は今、なぜがローブのフードを被っている。何でか忘れた、酔っているせいか記憶が曖昧だ。
しかし、どう見てもよくない状況だ。貴族らしき服装の人達が驚いた表情でこちらを見ている。それとは対照的に、兄弟子は頭を抱えていた。
酔っ払った状態のエスティは、固まってだらだらと汗をかき始めた。とりあえず逃げ道がほしい。そう判断したエスティは、思わずフードを取った。
そして、それは劇的な変化だった。
――時空の女神、エスティ。
その姿が現れた瞬間、空気が凍り付いた。
「ご……あぁ……!」
オリヴィエントの有力者達は、とっさに目を伏せて跪いた。
何か物理的な力が働いた訳でもない。
それは本能に近い防衛行動だった。
この現象は、事前に報告を聞いていた。
敵わない存在に対する敬畏。
体が、言う事を聞かないのだ。
空気はピンと張り詰めていた。エスティの姿が現れただけで、強烈な重圧がのしかかってくる。加えて良くない事に、ミアはエスティのせいで更に気持ち悪くなっていた。
このままでは収拾がつかない。
エスティがそう思った瞬間、部屋の扉が開かれてムラカが飛び込んできた。
「――何事だ! くっ……がぁっ!!」
「お、お………オロロロッロロ!?」
「ミアっ!? 誰かミアの介抱を……ぐ……聖女が聖水を吐血しているぞ! 女神の威圧にやられている!」
ムラカの呼びかけに対して、兵士たちは誰一人として動かない。
いや、動けないのだ。
エスティに怯えるか、エスティに釘付けになっているかのどちらかだった。
ムラカは手足を震わせたまま必死でミアの傍に近寄り、どうにかミアを抱えようとした。
だが、そこでムラカは気付いた。
これは酒とトマトだ。
「と、尊い……」
この期に及んで、ミアは言い訳を発する。
ムラカは真顔になった。
「妹弟子よ。何だか場が騒然としているんだけど、どうするつもりだい?」
「あ、兄弟子。いやいや、私は酔ってないですから。素面ですよほら!」
「分かった、分かったから!」
そうしている間にも、貴族の中で呼吸が荒くなってきている者もいた。バックスは急いで弁明するエスティのフードを被せる。
その姿が隠れた瞬間、跪いたままの貴族達は力が抜けて崩れ落ちた。
バックスはそれを見て、驚愕した。
「いやはや……信じられない光景だ」
バックスの身体には異変が無い。
一体、何が起きているのか。
「ロゼ、ロゼ、起きて下さい」
「んぐ……んぐ……っは! おいエス!?」
「やらかしました、出直しましょう」
ロゼは周囲を見渡して、一瞬で状況を把握した。そしてバックスと目を合わせ、深い溜息を吐いた。
エスティはテーブルなどを収納し、ミアとムラカの元に駆け寄る。
「ミア、残りますか?」
「き、気持ち悪い……」
「エスティ、連れて行ってくれ。置いていかれても話がややこしくなるだけだ」
「分かりました。ムラカ、後を頼みます」
そう言われて、ムラカは嫌そうな顔をした。久しぶりに会ったミアは、酷い置き土産を残しに来ただけだ。
「妹弟子、次はいつになる?」
「また連絡しますよ、遠くない未来に」
「悪いけど、僕も不味い状況でね」
「えぇ、把握しました。巻き込んですみません。ですがその身なり、結構儲けましたか?」
「はは、まぁね。孤児育ちの僕が、オリヴィエントの商業街に家を借りれたよ」
バックスは開き直っていた。どうせエスティとは運命共同体なのだと、婚約者であるアメリアもそう言っていた。
エスティは転移門を開く。
「うううあああ背中がゾクゾクするうう」
「ムラカ、ミアを放り投げて下さい」
「や……やめ……」
「いってこい、ほら」
投げられたミアがバックスの背中に吸い込まれていった。
エスティも帰ろうとしたが、ふと後ろを振り返り、唖然とした様子でこちらを眺めていた議員達を見た。
「私は神域タテシナに帰ります。ですが、ネクロマリアを見捨てる訳ではありません。必要ならば、然るべき状況を用意してください。あと……兄弟子に手を出す事は許しません」
エスティはそう言い残し、消え去った。
◆ ◆ ◆
「エスティは……何者なのだ?」
議員達が退室した後、ムラカは掃除をしながらバックスに問いかけた。
「時空の魔女エスティですよ」
「冗談はよせ、あれは竜よりも恐ろしい」
ドラゴンは魔族の中でも屈指の力を持つ。ムラカはそのドラゴンを討伐した経験があった。
「……ムラカ殿、この国の王はエスティをどう扱うつもりなんです?」
「知らん。少なくとも、あのエスティはただの人間として扱える気がしない。私が王なら、マチコデ様や他の勇者と同等にする」
勇者と同等にとなると、魔族に対する大きな力を持つ英雄のような存在だ。
そんなの、エスティは望んでいない。
バックスは嫌な予感しかしなかった。
「不安ですな」
「だが、世界の危機だ。そうせざるを得ん。エスティだって、私達を見殺しにする気は無いだろう」
ムラカはそう言うと、掃除用具をまとめて部屋を出て行った。
バックスは一人考える。
ムラカの言う通り、エスティはこの世界の助けになるだろう。
だが本来のエスティは英雄などではなく、逆に争いを好まない優しい人物だ。そもそも戦闘もまともに出来ないし、何よりも本人のやる気が薄い。というか、逆にやる気を出した時の方が怖い。
「……やっぱり不安だよ」
どこかで、運命を履き違える気がした。
「――おいバックス! エスティが現れたというのは本当か!?」
「うわ……」
もう一人、不安な人を忘れていた。
ムラカと入れ違いにやって来た、王族らしからぬ慌ただしいその勇者。
「俺の新しい魔道具はどこだ……ん、おいバックス。どうした胃など押さえて。お前も食い過ぎか、はっはっは!!」
「はは……」
新婚の勇者マチコデは、ご機嫌な様子でバックスの背中を叩いた。
◆ ◆ ◆
女神がオリヴィエントに降臨した――。
その情報は誇張され、あっという間にネクロマリア全土へと広がっていった。
神に愛された国。
再度の降臨を約束された聖地。
オリヴィエントならば安心だ。
心の弱った人々は、そんな救いのある話題に食いついた。
オリヴィエントの狙いは上手くいった。この荒廃した世界でより実権を握り、優秀な人材を回収する。
全ての切っ掛けは、マチコデが広めた時空魔法の噂。それさえ利用できれば、オリヴィエントの議員達にとってエスティが何者でも構わなかった。
そうして、軽く考えていたのだ。
実際に、女神と出会うまでは。
魔法が行使された訳では無い。全く逆らえない圧力と、呪いのような吸引力、そしてあの美貌。
まるで全てを癒す神のような尊さも感じたし、死神のように背筋が凍りつく恐怖も感じた。どちらにせよ、自分如きが触れる存在だとは思えなかった。
議員達は、エスティに心を奪われるか、怯えるかのどちらかだった。
得体の知れないものは、とにかく恐ろしい。
議員達の意見は一致した。
――――あれは、この世の生物ではない。
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