第27話 ネクロマリアに顕現した女神②



 汚れた空気。

 魔力の無い荒廃した台地。

 いつまでも雨の降らない曇天の空。



 ここはネクロマリア大陸の西端、ラクス王国。


 活気と無秩序が混ざり合うこの都市国家は、狭い防壁の中に作られていた。



 元々は国ではなく、前線の砦だった。そこに人々が集まった事がラクス王国の始まりだ。そのため王城に堀などは無く武骨。他国からは『無駄に頑丈に作られた領主の家』とも皮肉を言われていた。


 王城の周囲には小さな貴族街がある。そして王城と貴族街を円で囲むように大通りが一本通っており、大通りの外は一般居住区と商業区。さらに外は防壁。町の作りはシンプルだ。



「この混沌具合。帰って来ましたね」


 朝っぱらから道端でオロロロと嘔吐するおじさんがラクス王国の名物だ。魔族の領土に比較的近いこの国には、腕自慢の冒険者が多く集まり酒を飲み交わす。


 おかげで町はいつも沸き立っていた。やれ勇者が大型魔族を倒した、やれ滅び町を取り返したなど、スリリングな情報には事欠かない。



 そんな人々で密集する大通りを、エスティはフードを被って縫うように歩く。


 若い女性というだけで声を掛けられるこの荒れた町では、男も女も図太い性格となっていった。美しい情景や文化的な生活などには縁も無く、繊細な人達はどこか他国へと流れて行くのだ。



 エスティは狭い道を蛇行しながら歩き続け、ようやく自宅へと辿り着いた。


「ふぅ……ただいま」


 ベッド2つ分の広さしか無い、6階建ての4階の一人部屋だ。家賃は兄弟子が【弁当箱】の売上から差っ引いて払っていてくれたらしい。


 部屋の埃を払い、戸棚から荷物を取り出していく。これと言ってお金になる物は置いていないが、どれも思い出が宿っているものばかりだ。孤児院を出てからずっとこの部屋に住んでいたエスティは、少し懐かしさを感じていた。



 エスティは空間魔法が使えるという運に恵まれ、駆け出しの頃から多くのパーティで荷物持ちをやっていた。


 けれども、この容姿のせいで一つのパーティに定着する事は無かった。勇猛果敢な男達の心を乱すのだ。


 だからあえて開き直り、この性格を前面に押し出しながらラクスで生き延びてきた。『自分は一生独身で酒飲みで、誰ともつるみません』と。そして、気が付けば変人呼ばわりだ。



 出会った冒険者たちは皆、覚えている。


 一度冒険に出れば、その後は酒場で気軽に挨拶する仲になる。孤児のエスティを娘のように扱ってくれた、気の良い冒険者ばかりだった。



 本当に、色々あった。


「悪い日々では無かったですね」


 命掛けだったが、それがこの世界では当たり前だった。命の重さは軽く、それゆえに性にも奔放。そんな町で、周囲の人々の世話になりながら暮らしていたのだ。



「……飲みましょうかね」


 昔の思い出に浸りたくなったエスティは、朝から酒を飲みに行くことにした。



 やって来たのは、町の北出口のすぐ傍。仕事終わりの行きつけだった酒場で、冒険者が朝から晩まで居座っている。情報交換やパーティの呼びかけなどが頻繁に行われている、拠点のような場所だ。



 この地を離れて数ヶ月だが、懐かしく感じる。エスティはフードを取り、店の中へと入った。



 途端、騒々しい酒場の空気が一変する。


 いつもの事だ。



 女性一人が荒々しい酒場に入ると、男達は妙な勘違いをする。だがそれがエスティだと分かると、誰も何もしてこないのだ。だからさっさとフードを取った。



 今日も、そのはずだった。




 ――――だが、異変が起きた。




「あ……が……!」


 一人の異国風の聖職者が、エスティを見て息苦しそうに喉を押さえ、そして跪いた。



 何が起こったのか分からない。

 だがあの尊き女性に対し、頭を上げる事が出来ない。


 ――あの女性は、人知を超えた何者かだ。



 そしてそう感じたのは、聖職者だけでは無かった。


 エスティを見た者達が次々とジョッキを落とし、呼吸しようと必死で悶えだしていた。まるで、毒を盛られたかのように。



「――――そいつを見るな!! 全員、すぐに目を伏せろ!!!」



 凛とした声が酒場に響いた。

 反応した冒険者たちは、咄嗟に顔を伏せて身を守る。



 声を上げた人物は、女騎士ムラカ。


 エスティが店に入った瞬間、ムラカは危機感を感じて反射的に剣を握っていた。だが、切りかかる事は出来なかった。体が凍り付いたかのように動かないのだ。


 最前線で多くの魔物を切ってきたが、こんな事は初めてだった。


 得体の知れない恐ろしい存在が目の前にいる。清らかさと尊さを感じると同時に、これが世界を滅ぼす魔王だと言われても違和感は無かった。


 恐怖で殺される。

 ムラカは黒い長髪を乱しながら、本能で怯えていた。


「ぜ、全員そのままだ! 決して顔を上げるな!」



 こんなに焦っているムラカを、エスティは見たことが無かった。エスティは異様な雰囲気の中、場を制しようとしているムラカに話しかける。


「お久しぶりですねムラカ。これは一体何事でしょうか?」


 エスティはムラカをじっと見つめた。


 ムラカが剣を握る手は、鞘から音が鳴るほどにガタガタと震えていた。強い精神耐性を持つムラカがだ。いずれ彼女達には謝ろうとは思っていたが、こんなに怯えられては何だか落ち着かない。


 そして、ムラカはエスティの顔を見ようとしない。ロゼが言っていたが、自分はそんなに目立つものなのか。



 ムラカは俯いたまま、再び声を上げた。


「ミア!! エスティが見れるか!?」


 エスティは、近くの床に座り込んでいた聖女ミアを見つけた。


 ミアは顔面蒼白で両肩を抱え、震えあがっている。ただただ何かに怯え、ギリギリで意識を保っているようにも見える。


「むむ、むり……無理…………!」


 返事をするのがやっとだった。



「どういう冗談ですか、これ……」


 エスティはただお酒を飲みたかっただけ。なのに、どうしてこうなった。エスティは飲む気分ではなくなっていた。


「え、エスティ、フードを被れ!」

「フード?」


 ムラカにも何が起きているのか分からない。とにかくエスティを見たくない。あの姿見が原因だと騎士の勘が告げていた。


 エスティは言われるがまま、フードを被る。



 その瞬間――。



「っぶはぁ……はぁ……!」



 店内にいた冒険者たちは緊張が解けたかのように崩れ落ちた。


 そして、酒場が呼吸をし始めた。

 全員が汗をかいて疲れ切っている。


「ふぅ……死んでる者はいないな? さすがは……ラクスの冒険者だ……」


 ムラカは床に膝をついた。

 体の震えは消え去った。

 エスティも前と同じに戻っている。


「一体どうしたんです、ムラカ。飲み過ぎで震えてるんですか。ほらこの指の数、何本あるか分かります?」

「……10本だ。相変わらずだな、エスティ」



◆ ◆ ◆



 エスティとムラカ達が去った後。

 酒場に喧噪が蘇る。


 冒険者たちは、妙な胸の高鳴りと恐怖を覚えていた。


「ありゃ、酒飲みエスティだよな?」

「顔は見た、間違いねぇ。だがよ……」

「……王子様の吹聴してるあれだろ。そうとしか思えねぇ」

「同感だ。あの輝きに圧力。ありゃまさに」



 女神。


 美しきエスティが現れた。



「――その話、詳しく聞かせてくれ」


 最初に倒れた異国風の聖職者が、冒険者に尋ねた。



 この日の出来事は、ラクスに女神が顕現したという物語に形を変えて、後の伝承に書かれる事になる。


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