第61話 その心を忘れるな
俺はすぐさま飛び起きて、修行をしていた庭へと駆け下りて、そして目を見張る。
そこにはなんと、練習用の的にといつも使っていた空き缶が倒れてる姿が‥‥‥。
「どうよ星夜! 俺はついにサイヤ人としての一歩を踏み出したんだ! これから七個のボールを探す旅が始まるんだ!」
今なら分かる。それはもしかしたら無垢なる心が欠けて忘れそうになってる俺に、父さんは『かめはめ波』という、ロマンティックで壮大な嘘によって、諦めない心の大切さ、たゆまぬ努力のすばらしさを教えようとしていたのかもしれない。
もしくは単に、父親としての威厳を保とうとして引けに引けなくなった結果の自作自演だったのかもしれないし‥‥‥それか、つむじ風が吹いて倒れたところを寝ぼけて勘違いしたのかもしれない‥‥‥ただの馬鹿の極みだったのかも。
「やったね父さん!」
俺はたぶん子供ながらに、そうやってはしゃいでおくだけでやめて置けばよかったと今なら思う。きっとそれが正解だったから。
けど、当時の俺はそんなことなど分かろうはずもなく、しかも父さんのおかげで欠けた無垢な気持ちがパズルのピースの様にハマりそうになってた俺は、その後いったいどうなるのかなんて考えないで、純度百パー、悪意無しで決して言ってはいけない残酷なことを言ってしまったのだ。
「父さん凄い! ドラゴ〇ボールが集まったら、ちぇんろんにお母さんの病気を治してもらえるね! もう一回見せて!」
‥‥‥と。それを聞いた瞬間の父さんは、いったいどんな表情をしてただろう‥‥‥今はもうわからない。
それから、父さんは息子の気持ちに応えようと、必死に頑張ってくれた。
何千回、何万回と『かめはめ波』出そうとしてくれて、汗だくになって、上着を脱ぎ棄て、ズボンを脱ぎ棄て‥‥‥精も根も尽き果てるほどに、声がカラカラになるまで叫んだ。
「かぁ~~っ‥‥‥はぁ、はぁ‥‥‥っ! めぇ~~‥‥‥はぁ~~!⤴⤴ めぇ~~っ‥‥‥波ぁあぁあぁぁぁぁっ!! ‥‥‥はっ、はっ‥‥‥ちくしょうっ!!」
「もうやめてよ! 父さん!」
「黙れっ!」
あの時、膝をついて荒い呼吸を繰り返す父さんがあまりにも不憫に感じて何度もそう言ったけど、父さんは一度として聞いてくれなかった。
パンツ一丁になって、庭で「かめはめ波っ!」と、叫び続けるいい歳したおっさん予備軍と、それを見守る一人息子。
まさに世紀末を感じさせる光景だった。
というか、なんで父さんはこんな人生の恥みたいな黒歴史を、いかにも武勇伝の様に月菜に語っちゃってんだよ‥‥‥やっべ、恥ずかしくなってきた。
まぁ、たぶんこの時が一番最初に俺が無垢なる心を無くしたきっかけだと思う。
でも、その代わり一つ、生きていくうえでとても大切なことを学んでた。
人間、諦めが肝心だということと、庭で馬鹿みたいに大声を出すのは良くないってこと‥‥‥特に前半は強く強く心に焼き付けられたと思う。
だからさ、ごめんよルカ〇オ‥‥‥そこから復帰することは、無理だ‥‥‥。
——ずっどぉぉおん! ゲームセットッ!
「あぁぁーー! 星夜にーちゃん、へたくそ~!」
そう言って、あられはぐで~っと俺に被さるようにのしかかってくる。
もちろん、背中にみぞれほどじゃないにしても、中学生にしては立派なものが押し付けられるけど、無垢の残酷さについて考えてた俺は、ある種悟りを開いたような心境になってて、下心なんてものより尊さを感じた。
「うん? 星夜にーちゃん? どうしたの?」
「あられよ‥‥‥その心を忘れるな」
「うん? わかった!」
意味は良くわかってないようだけど、純真満点の笑顔を向けてくるあられに俺も微笑み返す‥‥‥守りたい、この笑顔。
にしてもあれだな、兄的な存在である俺だからいいけど、もしもあられのこの態度が同級生の男どもにも変わらないのなら、勘違いボーイが量産されそうだ。哀れ。
ここは兄として、少し他のやつらにこんなことしちゃだめだぞって教えて‥‥‥え? 俺にはいいのかって? だって、それでなんかよそよそしくされると、星夜にーちゃんちょっと寂しい。
「それと‥‥‥って、しぐれは何してるの?」
「んしょ、んしょ‥‥‥」
後ろを向いてあられと話してると、急に膝の上が重くなったので視線を戻せばしぐれが俺の上に乗ってた。
「これは勝者の特権、星夜にぃの膝の上! ‥‥‥あっ、ここは‥‥‥もうっ、星夜にぃ//」
はい、自分の名誉のためにしっかりとここに宣言しておきますが、俺のイチモツは決して大きくなったり、硬くなったりとかしてません!
というか、ポジショニングよ! もうっ、って頬を染めてしぐれは恥ずかしがってるけど、このポジショニングちょっと探しただろう! あの子は確信犯です!
はぁ‥‥‥なんてこった、しぐれがこんな煩悩まみれだったとは‥‥‥心のよりどころが堕天してしまった。
「あぁー! しぐれちゃんずるい! あたしも星夜にーちゃんの膝の上座りたい! ちょっとずれて!」
ソファーからぴょんっと飛び降りて、本当にただそれだけの裏の感じられない声でそう言うあられ‥‥‥頼むから、変わらないでね!
んで、そう言われたしぐれはというと。
「残念だけど、星夜にぃの膝の上はゲームで勝ったことによる正当な権利。アラにも譲らない!」
いや、別に勝ったら座っていいよってことなんて一言も言ってないけどね?
「へぇ? それじゃあ、あたしが勝ったらしぐれちゃんをどかしてあたしが座ってもいいよね」
「もちろん、受けて立つ!」
「ならば尋常に‥‥‥」
「「いざ! 勝負!」」
片や、俺の膝の上でちょっと頬を染めながら挑発的な笑みを浮かべるしぐれ。片や、その目の前でしぐれを指さしながら挑戦的に睨むあられ。二人の間には、見えない火花が散っていた。
‥‥‥あぁ、うん。まぁ、二人も大狼家だからね、こういう突拍子もないことを始めるのは日常茶飯事だからいいんだけどさ。
とりあえず、俺をトイレに行かしてくんねーかなー。
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