第56話 好きでいることは許してね?



 それから、何分たっただろう。


 五分? 十分? いつくかはわからないけど、俺はただただ頭を下げ続ける。


「星夜、顔上げて」


 やがて、まだ少し湿っぽさの残る声で月菜にそう言われて、頭を上げた。


「星夜の返事は分かった。‥‥‥うん、なんとなくわかってたけど、やっぱり言葉にされると応えるね」


 視界に映るのは、瞳を潤ませて儚く微笑む月菜。


 その姿を見た瞬間、せき止めてたダムが崩壊したみたいに罪悪感が一気に溢れだしてきて。


「ご、ごめ——」


「謝らないでっ!」


 しかし、思わず出てきかけた言葉は、それ以上の月菜の強さで押し戻された。


「謝っちゃダメ‥‥‥私は別にそういうことが聞きたいわけじゃないからさ」


「あぁ‥‥‥」


 ほんとに、なんて俺は情けないのだろうか。これじゃあ、父さんのこととやかく言うことなんてできないな。


 この押しつぶされそうな罪悪感は、俺が受け入れる罰だ。それを軽くしたいがために、謝ろうとするのは間違ってる。


 リビングを満たす沈黙はとても居心地の悪いものだった。


 なにか言わなきゃとは思うものの、どんな気が利いた言葉をかければいいのかもわからなくて。


 そして、再び口を開いたのは月菜の方だった。


「‥‥‥でも、これだけは聞かせてほしい」


「うん?」


「どうしてダメなのか、理由が知りたい‥‥‥やっぱり、私が妹だから?」


 少し震える声で俺に聞いてくる。


 それに俺は首を振って。


「違うよ。妹だからとかじゃない‥‥‥でも、だからと言って月菜のせいでもない。これは俺の問題なんだ」


「どういうこと?」


「返せないんだよ」


「? ‥‥‥なにを?」


「俺さ、恋愛感情としての好きがよくわからないんだ。だから、ここで付き合っても同じものを返せないと思う」


 とりあえず付き合ったらいつの間にか好きになってるって、そういう人もいるかもしれない。


 確かにそういうこともあると思う。けど、それは俺には合わなかったことを数年前に思い知ってる。


 中学生の時に初めて異性と付き合うってことをした。


 ただ、その人のことが嫌いだったわけではないけれど、相手から向けられる感情が俺には無くて、それがなんだか心苦しく感じて申し訳なくて、結局一週間くらいして別れた。


 たぶん、俺は自分から好きになった人としか付き合えないんだなって、なんとなくそう思ったのを覚えてる。


 そういうことを月菜に説明して、俺は改めて頭を下げた。


「これは完全に俺の問題なんだ。だから、俺は月菜に謝ることしかできない。本当に、ごめん」


「‥‥‥はぁ、なんだ~。それなら、私がすることは変わらないね」


 怒られて罵られるか、失望されて百年の恋も冷めるかと思ってた俺に帰ってきたのは、そんなどこか安堵を含んだようなため息だった。


「ていうか、星夜。彼女いたことあったんだ」


「うん? まぁ、ほんのちょっと間だったけど‥‥‥って、え? 月菜、俺に怒らないのか?」


「怒る? どうして?」


「いや、だって‥‥‥」


「星夜の気持ちは分かったよ。つまり、あれでしょ? 星夜に私を好きになってもらえばいいってことだよね? なら、私のすることは変わらないよ。観覧車で言ったように、いつか必ず星夜に私のことを好きだって言わせてみせるから」


 予想が外れてうろたえる俺に、月菜はにこりとさっきまでの表情とは打って変わって、柔和な笑みを浮かべる。


「それに、星夜は好きが分からないって言ってたけど、そんなことないよ。星夜はちゃんとわかってる。ただそれに気が付いてないだけ」


「気が付いてないだけ? そうなのかな?」


「そうだよ。だから、星夜。私があなたに気づかせてあげる! それに気づいたその時、星夜はもう私にメロメロよ」


 茶化すようにそう言ったのは、きっと月菜の気遣いなんだと思う。


 俺が必要以上に責任を感じないためと、これからの関係がぎくしゃくしないための。


「だから、さ。星夜を好きでいることは許してね?」


「‥‥‥分かった。というか、流石にそこまでは強要できないよ」


「よかった、星夜が許してくれるなら私は頑張れる!」


「‥‥‥月菜は強いな」


 なんていうか、素直にそう思った。


「そりゃあ、私は吸血鬼だもん。それに恋する乙女だから、強いよ! えへへっ!」


 しっかりと前を向いて微笑む月菜は、自身に満ち溢れてるようだった。


 はぁ‥‥‥これじゃあ、ほんとにどっちが上かわかったもんじゃない。今度から、恋愛ごとに関しては月菜のことをお姉ちゃんって呼ぼう!


 月菜の笑顔を見てたらだんだん調子が戻ってきた。


 俺もそれにつられるように笑って、二人で食事を再開する。


 そこにはもう重たい空気は存在しない。


「ねぇねぇ、さっき言ってた星夜の元カノってさ、どんな人だったの?」


「え、う~ん‥‥‥なんというか、普通の女の子? って感じ?」


「何それ? っていうか、なんかそれじゃあ、私が普通の女の子じゃないみたいじゃん」


 いや、うん。少なくとも、吸血鬼な月菜は普通の女の子ではないと思うなぁ。


 そんなこと思いながら、今夜の夕餉の時間は過ぎて行った。



 ■■



「星夜、聞き忘れてたんだけど。何か欲しいものある?」


 カレーを食べ終わって、二人分の食器を洗ってる時、お風呂から上がった月菜がそう聞いてくる。


「欲しいもの? どうしてそんな急に?」


「だって、来週は星夜の誕生日でしょ?」


「え?」


「え?」


 月菜に言われて、冷蔵庫に貼ってあるカレンダーを見て見れば…‥‥俺の誕生日、四月二十四日は来週に迫ってた。


「‥‥‥もしかして、忘れてた?」


「いや、だって最近はほんとに色々あったから‥‥‥ていうか、やべっ! まだ準備してないぞ!」


「準備って?」


「みぞれのプレゼントだよ」


 そう、俺が誕生日ということは、同じ日に生まれたみぞれも誕生日な訳で。


 そして、あのみぞれが普通のものを欲しがると思うだろうか? いや、無い(反語)。


 確か去年は、でっかいケーキが食べたいとかで、それこそウエディングケーキもかくやの大きさのショートケーキを作らされたものだ。


 とにかく、明日の朝一で今年は何が欲しいのか聞かないと。


 それで、土日で材料を買ってきて準備だな。


「で、星夜は結局何が欲しいの?」


「えーっと‥‥‥」


 誕生日って、何が欲しいかって聞かれても、なんだかちょっと答えずらいよね。



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