第54話 ふぁいほーふ?



「いいか? 包丁の持ち方はこう、それで柄の付け根の部分も抑えるとぐらつきにくい‥‥‥そう、そんな感じ」


 私がちょっと妄想してる間もお構いなしな星夜は、そのまま私の包丁を持つ手に上から重ねてきて切り方を教えてくれる。


「んで、にんじんを切る時は、まずはヘタの部分を切ってからな。その後はさっき月菜がやった見たいに縦に切って、横に厚さ三センチくらいのいちょう切りでいい‥‥‥あ、反対の手は猫の手な」


「分かったにゃん」


「語尾は猫にならなくていいぞ」


「は、はい」


 う、うぅ‥‥‥なんかぽわぽわしてるせいで、思考能力が低下してく~。


 そもそも、そんな耳元で囁かれたら集中何てできない!


 背中にぴったりくっつかれて、右手も左手も掴まれて身動きが取れない私は、このまな板の上に乗ってるにんじんと同じ、やっぱり星夜に支配されてるようなものだった。


 目の前がチカチカしてくる、振り向いて噛みつきたくなってくる……でも、今は料理をしてるんだし、そう何度も何度も吸血するべきじゃない、我慢しないと。


「切る時はさっきみたいに叩きつけるみたいじゃなくて、こんなふうに押し切る感じに‥‥‥そうそう、うまいぞ」


 きっと今、私の瞳と毛先は吸血鬼の姿になってる。


 けれど、そんな私の変化に気が付かない星夜は私の手を優しく操ってにんじんを切り終わると、また自然な感じに離れて行った。


「あっ‥‥‥」


「それじゃあ、残りもそんな感じに切ってって、次は玉ねぎをよろしく」


 そう言って、星夜は戸棚から私が出したやつより少し小さめの鍋を出して、冷蔵庫から豆腐、厚揚げ、だいこん、わかめを取り出すと、別の包丁を使ってそれらの材料を切ってく。


 どうやら、たぶんお味噌汁を作ろうとしてるみたい。


 というか、むぅ‥‥‥もうちょっとくっついて教えてくれても良かったのに。星夜からくっついてきてくれることなんて滅多にないから、結構嬉しかった。


 そんなことを思いながら星夜とキッチンに並んで私は、にんじんをトントンと切ってく。星夜とやったのより、厚さがバラバラで不格好だけど、最初よりはマシじゃないかな?


 それから次は玉ねぎを‥‥‥あ、そうだ!


「ねぇ、星夜」


「ん~? どうした?」


「玉ねぎの切り方、教えてくれない?」


「玉ねぎ? えっと、玉ねぎは繊維に——」


「さっきみたいに! 教えて欲しい‥‥‥だめ?」


 そう、お母さんに教えてもらった、自分が一番可愛く見える上目遣いを実践しながら頼めば。


「はっ!? ‥‥‥ま、まぁ、いいけど」


 やったー! どうよ? これぞできる女! 


 まぁ、そんなわけで再び、ぴたりと二人でくっついて。


 優しく手をとられ‥‥‥数分後。


「ふぇっぐ‥‥‥ううぇ~ん、目がぁ! 目がぁ!」


「玉ねぎだからな、そりゃ繊維に沿って切っても普通に切れば染みるわな‥‥‥って、危ないから瞑ってないでちゃんと目で開けて切って!」


「む、無理無理! 痛くて開けられない!」


「んじゃ、交代しような。こっからは俺が切るから」


 ‥‥‥はい、結局星夜が切ることになりましたとさ。



 ◇◇星夜side◇◇



「それじゃ、残りも全部切っちゃうからその間に月菜は鍋にサラダ油をなじませといてくれる?」


「ひぐっ‥‥‥わ、わがっだ」


 盛大に玉ねぎにやられたらしい月菜に鍋のことを頼んで、俺はぱっぱと残りの玉ねぎとじゃがいもお肉を手際よく切ってく。


「星夜、できたよ」


「おけ、そしたらまずは玉ねぎから、その後にんじん、じゃがいも、肉って順に入れて玉ねぎがしんなりするまで炒めて」


「わかった! 任せておいて!」


 そう威勢のいい声と共に、月菜は鍋で野菜を炒め始めた。


「玉ねぎがしんなり~、玉ねぎがしんなり~」


 ‥‥‥あはは、そんなに正確にやろうとしなくても、だいたいでいいのに。


 鍋の中をじっと見つめながら炒める月菜を尻目に、俺は味噌汁の具の下処理をしていく。


 それにしても今のこの月菜との感じ、すっごい兄妹っぽくない?


 なんだか最近‥‥‥こう、キスとかしちゃったりしたけど、やっぱり月菜との距離感はこれくらいがちょうどいいような、そんな感じがする。


 そう感じるってことは、やっぱり一度ちゃんと言うべきだと思うんだけど‥‥‥。


「はぁ‥‥‥」


「星夜! 玉ねぎしんなりした! これでどう?」


「ん? おう、そしたら今度は水を入れて——ぃつ!?」


 次の指示を出そうとしたその時、指先にピリッとした痛みが走った。


 考え事をしながらやってたせいか、珍しく手元が狂って包丁の刃先が指を掠めてしまったみたいだ。


 指先にできたほんの一センチほどの赤い傷跡からはじわじわと血の雫が浮かび始める。


「いっ、てぇ‥‥‥」


「せ、星夜!? ちょっと、大丈夫!? ‥‥‥ごくり」


 それを見た月菜がさっきまでの上機嫌だった表情を少し青くして、慌てはじめる。


 あれ? いつも月菜が飲んでる血だけど、もしかして月菜はあんまり他人の血に免疫がないのかな? まぁ、確かに吸血するときは一切赤を見ないから。


 少し大げさな月菜の反応だけど縫うほどのものでもないし、洗い流して絆創膏貼れば明日には血も止まってるだろう。


「あぁ、うん。これくらいなら、昔はいつも切ってたから大丈夫だよ。とりあえず洗い流して——」


 そう、身体をプルプルと震わせてる月菜に言って、シンクで洗い流そうとしたその時。


「もったいない! ——あむっ!」


 月菜が俺の手をがしっと掴み、そのまま口に咥える。


 そうしてそのまま、赤ん坊がするように指先をちゅうって吸われる。絡めとるように這う生暖かい舌が妙に官能的だった。


 月菜は、いつの間にか姿を銀髪紅眼にしてて、上目遣いで問いかけてくる。


「ふぁいほーふ?」


「う、うん。大丈夫だから、そろそろ‥‥‥」


 月菜の舌使いに背筋がゾワゾワしてきて、なんだか背徳的な気恥ずかしさを覚えた俺は、もうすっかり指の痛みなんかどこかにいってしまった。


「——ぷはっ! もう! 流れ出た血を洗い流すなんて、どういう了見なの!? 我慢できなくて身体震えちゃった」


「あ、はい‥‥‥すみません」


 なんか指を離した月菜に強めに怒られて思わず謝ってしまう。


 って、震えてたのはそういう理由かー、そりゃま血が見れない吸血鬼なんていないわな。


「それに星夜が怪我するなんて珍しいから、びっくりしちゃったよ‥‥‥」


 そして反転、打って変わって不安と心配が入り混じったように瞳を伏せた月菜は、シュンとするもんだからなんだか居たたまれない。


 みぞれと月菜と、この二人には何かと振り回されてばっかりだな、俺は。


「ごめんごめん、次は気を付け——って! 月菜、鍋焦げてる焦げてる!」


「ふぇ? あっ‥‥‥水っ! 水っ!」


「わぁぁー! 待って待って! あっつい鍋にそんな勢いよく入れたら——」


 ——ジュウゥゥゥゥーーー!


「きゃあっ! あちっ!」


「‥‥‥言わんこっちゃない」


 幸い月菜に火傷はありませんでした。


 ただま、当分はまだ月菜に一人でキッチンを絶たせることはできないな。



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