☆8‐12 朱将side
「ただいま」
言うが早いか、朱将は靴を脱ぎ捨てて、和室の襖を開いた。やけに騒がしいと思ったからだ。そこでは案の定、マッド=グレムリンのチビと、ユウレカの男が何やら言い争っていて、
「っ、この野郎、氷漬けにしてや――」
チビが手を振りかざそうとした瞬間、強烈な蹴りが二人の間を稲妻のように走り抜け、柱にぶち当たり、家中を鳴動させ人々に沈黙をもたらした。
「別に、」
ポツリと大粒の雨が落ちる。
「ただの殴り合いなら止めやしねぇけど。
何をと言わない辺りが、そして言われなくても分かるほどに、恐ろしい。殺気が発言を完全に制し、当事者二人はがくがくと壊れた赤べこのように首を振るしか出来なかった。恐怖政治とはかくあるべし。山瀬が見なかった振りをして天井を仰ぎ、牧野は全身を震えさせてそっと後退った。
朱将はゆったりと足を戻して、ふと気が付いた。
「あぁ、お前、目ぇ覚めたのか。ちょうどよかった」
「……へ?」
ユウレカの男は朱将に肩を掴まれて、大袈裟に肩を跳ね上げた。
「なぁ、ちょっと聞きてぇことがあんだけど――」
図らずも手に力がこもる。どちらかの骨が軋む音を立てた。
「――うちの弟、刀堂青尉を誘拐したのは、お前らだな?」
背後で聞いていた山瀬が「誘拐っ?」と声を上げた。
「誘拐って君……っ!」
「黙ってろ山瀬。てめぇには話してねぇ。――で、どうなんだ?」
再び、骨の軋む音がした。今度はすぐに分かった――掴まれている肩の方が、悲鳴を上げている。肩の所有者である男の方も、悲鳴を上げたくて仕方がなかった。しかし、心拍数の急上昇とそれに伴う過呼吸――即ち恐怖――がそれを邪魔して、奥歯を鳴らすことしか出来ない。
パキッ……と、何かが割れるような音がした。朱将が拳を固めたのだ。
「どうなんだ?」
刀に匹敵する凶器を片手に、言わなければ殺すと視線で明言しつつ、ゆっくりと聞かれて、それでも口をつぐんでいられる猛者がいるのなら会ってみたいものである。男は喉を鳴らして、
「――っ、そ、そうです! そうです僕らが、誘拐、しま、した……」
「そうか。で?」
「はっ、はいっ、はいっ? あの? えっ?」
「どこへ連れて行った?」
「お、ああ、お、お、おそらく、ま、M=Cの、第一支部、だと、思います……」
「へぇ。……嘘は、無いな?」
男はものすごい勢いで首を縦に振った。しばらく黙っていた朱将が、
「……そうか、じゃあいい」
と肩を放すと、男はずるずると畳に崩れ落ちた。
朱将は踵を返して、何か聞きたそうにしている山瀬を無視し、居間の扉を開けた。
「辰生。ユウレカの奴から証言取れた。M=Cの支部にいるんだと。黄佐はまだ帰らないのか?」
「あっ、いえ、もうすぐ帰ってくると思います――」
辰生は首だけで振り返って、朱将が立ち去るより早く言葉を繋げた。
「――M=C支部ですけど、ユウレカの援軍がそちらに合流しようとしています。たぶん、合流し次第、少尉――青尉を連れて移動するんじゃないかと」
朱将は寸の間考えた。
「……拓彌たちは?」
「さっき、ポイント十の制圧を完了したと連絡がありました。片付け終了次第、こちらに帰ってくる予定です」
「怪我人はそのまま帰ってこい。怪我のない奴は動け。んで、そいつらが合流しないように邪魔しろって言っといてくれ。無理のない範囲内で」
「分かりました!」
明白な返答には信頼がおける。朱将は居間の扉を閉めて振り返り、
「それで、誘拐されたというのは?」
山瀬の当然といえば当然の問いに、顔をしかめた。
「そのまんまの意味だよ。青尉が昨日の夜、ユウレカとかって連中に誘拐された。今から助けに行く」
「どうして警察に相談しない?」
「そりゃ、あんたらがいなければ相談してたんだけどな」
朱将は山瀬を睨むように見た。
「それに、相談したところで何も出来ないだろ、お前らには」
「戦力にはなれる」
山瀬は即答した。
が、それを予期していたかのように、朱将はさらに即答を返した。
「いいや、なれないな」
「何を根拠に」
「実際問題、お前らは今の情勢をどこまで知ってる? マッド=グレムリンが来た時、お前らは何をしてた?」
聞いてから、朱将は思い出した。
(そういや、俺が西浦さんに止めといてくれって頼んだっけな……まぁいいや)
「能力者たちの潜伏先を片っ端から潰していけるのか? 俺たちみたいに」
「……待て、潜伏先を潰す、ってどういう……」
困惑する山瀬に、朱将は「まぁ、とりあえず上がれよ。お前らは全員そっちな」と和室を指差した。
「そうだ。ここにいる間のルールを伝える。一つ、能力の使用禁止。二つ、電子機器の使用と所持禁止。三つ、一般人と怪我人への手出し禁止。四つ、俺ら刀堂の命令に従うこと。んで、お前らは特別に五つ目、警察権力の行使禁止。以上。守れねぇなら帰れ」
何故そんなことを命令されなければいけないのか、と思った山瀬だったが、和室の中を改めて見て、納得した。納得した上で、尋ねた。
「……おい。どうして、マッド=グレムリンがいる?」
「さぁな」
朱将は平然と返した。
「何だ、そいつら、能力者だったのか? それは驚いた」
「何を白々しい……っ!」
「お前の基準で言えば、能力者を倒せるのは能力者だけ、だったな。つまり、俺らみてぇな一般人に倒せたってことは、そいつらは能力者じゃないってことだろ」
山瀬は深々と溜め息をついた。
「意外だな。君は屁理屈なんて苦手だと思っていたのだけれど」
「それは残念、見当違いだったな」
飄々と言い返し、朱将は玄関先にあぐらをかいた。
「山瀬、お前を連れてきたのは、全部が済んだ後にこっちの要求を呑んでもらうためだ。それまではそこで大人しくしてろ」
「へぇ、随分な言い草だな。何様のつもりだ」
山瀬が相手だといつもこうなる――朱将くんが相手だといつもこれだ――と、お互いが思いながら、睨み合うのをやめられない。絶対にコイツには負けたくない、という謎の意地が働いていた。
その時。
「朱の大将ッ!」
「朱将さん!」
玄関と居間の戸が、ほぼ同時に勢いよく開いた。何かを言いかけた辰生が、良平を見て口をつぐむ。外から駆け込んできた良平は、辰生には目もくれず、上がり框に両手をついて、
「た、大変ッス! 黄佐がッ……!」
「黄佐が、どうした?」
「ええッと、何て言ッたッけ? 何か、幽霊みたいな名前の連中に――」
「ユウレカ?」
「そうッ! それッ! そいつらにッ――」
聞きたくない、と正直朱将は思った。思ったが、聞かないわけにもいかない。聞かずとも分かるが。嫌な予感に全身の産毛が逆立つ。吹き込んできた冬の風が汗を一瞬で冷やして、初めて自分が汗をかいていると気が付いた。
「――捕まッちまッたッス……!」
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