☆7‐2 朱将side
朱将と話し合って決めた作戦は、実に明瞭かつ効果的なものだった。
すなわち、人海戦術を駆使した先手必勝である。相手は卑怯な得物持ちだ、数で囲って遠慮なく叩きのめせ、と。先んずれば人を制す。能力者だって――能力を使わせる暇さえ与えなければ――ただの人間なのだ。能力者を弟に持つ朱将ならではのアドバイスである。
しかしそれでも――
「ふぅ~うっ! やってくれたねェ、一般人のくせにさァ」
「っ……」
――たった三人しか倒せないとは。単純計算で、能力者一人につき十人が必要になったことになる。
拓彌は地面に氷で縫い付けられた状態で臍を噛んだ。
「ねェえ、あんたがリーダー?」
童顔の男が拓彌の腹に片足を乗せ、煽る口調で言った。
「ま、一般人にしちゃあ頑張った方だろゥけど。ちょォっと足りなかったねェ、ざァんねん。最初っから大人しく僕らの下に来ればよかったのに。無駄な怪我人が増えただけじゃん、これじゃあ。ね、名誉ある降伏って選択肢、分かってたでしょ?」
「はんっ、降伏に名誉もクソもあるか。負けは負けだ」
「あっそ。じゃあ」
「それにな」
と、拓彌は、組み伏せられた者に持てる最大の睨みを利かせた。
「こっちにゃまだ最終兵器が残ってんだよ。勝手に負かすな、アホ」
「最終兵器?」
胡散臭そうにそう言って、童顔男は嘲笑する。
「こーいう場合のそーゆうのって、役立たずって相場が決まってんじゃん。っていうか、全滅してからじゃあ兵器の意味無いよねェ」
「分かってねぇな、クソガキ」
片頬を上げて嘲笑を返したが、実を言うと拓彌はもう限界に近かった。一月の深夜に後ろ半身を氷で覆われて半ば凍傷になっている状態とあれば、誰だって痛みに泣き叫びたくもなる。
拓彌がそうならなかったのは――もはや痛みも感じないほど神経が麻痺していた、ということも理由の一つだが、それ以上に――まだ小さかったが、懐かしささえ覚える地響きを全身で聞き取っていたからである。その音はまるで氷を突き崩すように地面を震わせ、凍りつつあった拓彌の血までも再び滾らせた。
しかし、童顔男は地響きなどには気が付いていなかった。
拓彌とはまた別の理由で、そんなこと気にならないほど血を滾らせていたからである。
「くそ……ガキ? あんた今、ガキっつった? 僕のこと?」
「はぁ? おめぇ以外に誰がいるってぇんだよ、ガぁキ」
「……」
二度も“ガキ”と呼ばれた彼はのっぺりとした能面のような顔になった。そして、容赦なく拓彌の腹の上に両足で飛び乗った。
いくら小柄といえども一人の男の体重。拓彌は無様な呻き声を上げて、轢き潰されたカエルに想いを馳せた。
「ねェー、片倉さァん。一人っくらい殺っちゃっても問題ないっすよねェ」
片倉と呼ばれたその人は、この集団のリーダーである。売店の前のステップに腰掛け呑気に煙草をふかしたまま「ん? んー、いいんでねぇの」と適当なGOサインを出した。
「うっし、お許しが出たんでェ……」
真っ白だった能面が、鬼へと鮮やかな早変わりを見せた。
「……全身凍結、いっちゃいましょうかァ」
あらゆるものを凍り付かせる男の手が、拓彌を餌食にせんと迫りくる。
(人間って凍ったら死ぬのか? そりゃ死ぬよなぁ、ほとんど水分なんだもんなぁ……)
などと拓彌は思いながら、死神と形容するには小さすぎる手を睨んだ。
その時、ヘッドライトの光が二人の間を引き裂いた。
朱将のバイクだ。
勝負というものは一瞬。すべてが一瞬で決まる世界だから、不思議とあらゆる判断も無意識下で刹那の内に行われる。
朱将は倒れている人間とその上に乗っている小さいのを一瞬で認識し、車体を傾けた。巧みな体重移動でドリフト。最低限の動きで方向を調整すると、フルスロットルで拓彌のすぐ傍を駆け抜ける。
頭頂部の数ミリ上を高速回転するタイヤが焦がし、拓彌が「ひぃっ……!」と引き攣った呻き声を上げたが、朱将には聞こえなかった。
すれ違いざまに上の小さいのを片手で乱暴に引っ掴んで、もう一度、今度はさっきと反対方向にドリフトをかける。描いた弧の頂点で振り回していた敵から手を放すと、慣性の法則に従って、別段朱将が何をするまでもなく、敵は吹っ飛ばされていった。
ガードレールか何かにぶつかった音を最後に、暗闇から帰ってくるのは沈黙のみとなる。これぐらいのことをしても死にはしない、とは経験則である――その基準は『一般的』とは言いにくいが。
とにもかくにも早々に敵を一人片付け、朱将は徐行運転に切り替えた。
「おーい、拓彌、大丈夫かー?」
拓彌は氷に自由を奪われたまま震えていた――怒りに、わなわなと。
「ぁああーけまさぁああああああっ! ってっめ、ふっざけんなよっ?! こんなっ、こんっ……このっ、ど阿呆ぉっ! 俺を殺す気かぁオラァッ!」
「そんだけ騒げんだったら問題ないな」
「てめぇ後でマジでぶん殴っから覚悟しとけよ」
「返り討ちにしていいならいつでも来い。で――」
と、朱将は売店の方でかったるそうに立ち上がった巨漢を見遣った。
「――あれが、最後か」
「あぁ。……気を付けろよ朱将」
拓彌はどうにか頭だけを持ち上げて、朱将を見た。
「アイツ、金属バットで殴ったらバットが折れたし、単車で突っ込んだヤツぁ逆に撥ね飛ばされたからよ」
「へぇ、なんだそれ。面白ぇ」
「いやお前、面白ぇってレベルじゃあ――」
――ねぇよ、と言いかけて、拓彌は口をつぐんだ。
朱将が繰り返し「……面白ぇ」と呟く。
拓彌はぞっとした。朱将は真っ直ぐ前を見て、笑っていた。いや、果たしてこれを“笑う”と言っていいのだろうか。顔の状態だけを並べれば、それは確かに“笑う”という行為である。
しかし、拓彌にはソレが闇夜で血を啜る鬼のように見えた。
赤鬼――その二つ名を付けたのは誰だったろうか。
「拓彌」
朱将が静かに口を開いたので、拓彌は柄にもなくびくりと肩を震わせた。
「怪我人と敵ども全員連れて、俺ん
「おっ、おう……」
「敵はきちんと拘束しとけよ。……アイツは、俺がやる」
拓彌は無言で目を逸らした。言われなくとも、手を出すつもりは最初からない。
朱将は返事など求めていなかった。もとより、命令には承諾しか返せないものだ――たとえ、命令しているという自覚がなくとも。
ストリートファイトにゴングは無い。
巨漢の男・片倉と、朱将は、ほぼ同じペースで互いの距離を詰めていった。彼我の距離が縮まるほどに、まるで磁石の同極を無理に近付けているかのように、緊張が高まっていく。
「ぅおらぁっ!」
先に沈黙を破ったのは片倉だった。
あまりにも無造作に放たれた前蹴りは朱将の太腿の辺りを狙っていたが、朱将はそれをあっさり見切って躱す。攻撃のスピードは巨体に見合って鈍重だった――重いかどうかは受けてないからまだ分からないが、体格から推測すると体重は百キロに近いだろう。とすれば、軽いということはあり得ない。
そもそものガードも硬そうだし、能力のこともある。
朱将は一歩を大きめに踏み込んで懐に潜り込むと、相手の鳩尾へ正確に拳を叩き込んだ。過去の喧嘩や農作業によって鍛えられて、かなりごつくなっている朱将の拳。プロボクサーのような鋭さはないが、この距離からこの威力でぶち込めば大概の奴は悶絶する。
しかし、片倉はニタリと笑って拳を受けた。
「っ……!」
対する朱将は息を飲んだ。衝突した瞬間、まるでレンガか何かを殴ったかのような感触がして、拳が裂けたのだ。明らかに硬さで負けている。
朱将は咄嗟に飛び退いた。
「っ、らぁっ!」
誰もいなくなった空間を片倉の膝蹴りが切り裂く。
どうやら、“そういう能力”であるらしい。そう判断して朱将は戦法を切り替えた。
威力はありそうだが、如何せん遅い片倉の右ストレートを左手で往なして、そこを起点に絡め取る。両腕を使って片倉の右腕を抱き込み、地面を蹴って一気に全体重を掛ける。相手の腹の辺りに右膝を、喉仏に左足を引っかけて頭を下に、思い切り投げ倒す。
飛び付き腕十字。
「うおわっ?」
おそらく、人生で投げられたことなどろくに無かったのだろう。片倉は一瞬で回転し空を仰ぐ格好になった視界に驚きの声を上げた。そして為す術もなく、道路にひびが入ってもおかしくないほど豪快に背中を打ち付け、夜空に硬質な音を響かせた。
打撃が効かないのだったら極め技だ。朱将は素早く手首を捩じり上げた。タイミングも流れもばっちりで、完全に極まったはずだった。
が、そこで違和感に気付く。
(なんだコイツの腕。鉄パイプみてぇな――)
「俺を投げれんのは凄ぇけどよ、残念だったな」
関節技というものは、関節の可動域を締め上げ、本来の動きとは逆方向に捩じり、靭帯を損傷させるのが目的である。怪我をさせるまではいかなくとも、完全に極まった時の痛みは尋常なものでなく、殺さず、傷つけず、相手を戦闘不能へ追いやるには最適の技であるのだが。
朱将が全力で締めようともびくともせず、片倉は余裕の表情を浮かべて言った。
「皮膚が鋼鉄だったら、意味ねぇよなぁ?」
そもそも“締め上げる”ことが出来ない身体の人間相手に、どうして関節技が極まろうか。
朱将は動揺して離脱が一瞬遅れた。その隙に片倉が朱将の顔を掴む。そして「よっと」などという気の抜けた声で――まるで、ベッドから起き上がるために反動を付けるように気軽に――朱将を道路に叩き付けた。
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