【第二夜】刀堂青尉とマッド=コンクェスト

☆2‐1

 翌朝の青尉あおいは、当然のことながら非常に不機嫌だった。身体のあちこちが痛い。目立った外傷は無いが、青アザになっている箇所がいくつもある。眠いのはいつものこと。


「おはよう、青尉」

「おっはよ~!」

「……はよ」


 悔しさは消えていないが、眠気に負けて影を潜めている。青尉は兄たちの挨拶に寝ぼけ眼を向けもせず、短く返して食卓についた。

 金髪をハーフアップにし青い眼鏡を掛けた黄佐きすけが、新聞から顔を上げた。


「具合はどうだい? 青尉く~ん」

「……眠い」

「あははっ。そっか、だいじょぶそうだね~。良かった良かった」


 黄佐は呑気に笑いながら新聞紙を器用に畳んだ。

 青尉は大きく欠伸をして、涙を滲ませた目を瞬かせると、誰にともなく聞いた。


「親父は?」

「まだ起きてない。昨日飲みすぎたのが響いてるみたいだ」


 朱将あけまさが答えながら、鍋とフライパンを両手にやってきた。鍋を置き、目玉焼きを手早く大皿に乗せながらぼやく。


「今日は使い物になんねぇな、あのバカ親父。ったく……だから飲みすぎんなっつってんのに」


 黄佐が手慣れた様子で味噌汁を取り分ける。


「ま、たまには休んでもいいんじゃない? あんまり毎日やり過ぎると、腰にきちゃうじゃん」

「まぁな……とはいえ、このままだと腰より先に、肝臓が駄目になりそうだけどな」

「あ~、うん。それもまた然り、かな。んじゃ~、休肝日と休腰日をそれぞれ作るべきだね、きっと」


 青尉は二人の会話をぼんやりと聞きながら、三人分の箸を取って配った。

 朱将がご飯をよそってそれぞれの前に置く。


「んじゃまぁ、食べましょーか! いっただっきま~すっ!」


 黄佐がきちんと両手を合わせて、無駄に明るく宣言した。


「いただきます」

「……いただきます」


 朱将も、まだまだ眠そうな青尉もちゃんと手を合わせた。彼らの身体に染み付いている習慣である。

 黄佐は味噌汁を一口すすってからふと思い出して、


「あ、そーだそーだ、青尉?」

「……なに? 黄ぃにぃ。」

「今後、もし昨日の敵に遭ったとしても、いきなり掴みかかったりしちゃ駄目だからね。戦いにおいては感情的になった方が負けやすいから。漫画とかでもよくあるでしょ? “お前っ、お前は、この間のっ……よくもやってくれたな! てりゃあっ!”ドーン!“……ふんっ、まったく成長していないな貴様”“な、何?!”“せっかく永らえた命を無駄にするとは……愚かなことよ”バチバチバチッ“う、ぐあぁぁぁぁあっ!”みたいな展開」


 と、黄佐は臨場感たっぷりの一人茶番劇を披露した。


「実力差があっても冷静であれば、負ける可能性は格段に下がるからね。いいかい? とにかく、冷静であるんだよ」

「……わかった」

 小さく答えて、青尉はご飯を口に運び、黄佐の言葉と一緒に咀嚼した。



 青尉は早く起きるのが苦手なのだが、七時にはどうにか起床する。そうしないと、朝飯を食いっぱぐれてしまうからである。七時に起きるのならば、余裕を持って学校へ行けるはずだ。それなのになぜ、遅刻ぎりぎりに学校へ駆け込むことになるのか――それは、完全に覚醒するまでがとても長いからである。無理して眠い状態のまま家を出た時、電柱にぶつかって大怪我をしたことがあるくらいだ。

 青尉はパジャマのまま、テレビの前に座り込み、ストーブにあたってぼんやりとしていた。チカチカと光り無遠慮に流れていく画面の中で、テンションの高い連中が朝の挨拶を交わしている。青尉は見るたびに同じことを思う。何て風情の無い光景なんだろう。毎朝毎朝まったく同じで変わりなく、どこの局も似たようなものだし、何の面白味もない。


『毎朝恒例、星占い! いってみよ~!!』


 トランペットと思しき音色のファンファーレが鳴り響き、ファンシーなキャラクターたちが踊り出した。占いなんてものに興味は無いが、何となく注目してしまうのは人のさが


『今日の一位は、うお座のあなた! 何をやっても上手くいく、最高の日になるでしょう! 特に恋愛運が最高です! 気になる人がいる方は、積極的にアプローチしてみては? ただ、油断は禁物です。お気をつけて! 二位は、おとめ座のあなた――』


 何を基準にしているのか、まったく分からないランキングが上から順に公表されていく。


『――さそり座のあなた! 大きな仕事を任せてもらえそう。ただ、気を付けてください、口は災いの元です。五位は、しし座のあなた! 体調を崩しがちになりそうです。年長者からの助言を、参考にしてみては? 六位は、みずがめ座のあなた! 気を抜くと大きなミスをしそう。でも、助けてくれる人がいるはずです! 七位は、かに座のあなた――』


 青尉はいちいち添えられるアドバイスに“余計なお世話だ”と突っ込みを入れながら、自分の誕生日と星座を思い出していた。四月の四日生まれは確か、おひつじ座だったか?

 おどろおどろしい効果音とともに、羊のキャラクターが画面上でうなだれる。


『今日の十二位は……ごめんなさ~い、おひつじ座のあなた~! 今日は一日、不運なことが続きそう。思いがけないハプニングに見舞われるかもしれません。怪我にも要注意ですよ~!』


 どうして必ず“ごめんなさい”と言うのだろうか? 謝るくらいなら、最初からやらなければいいのに、と青尉は顔をしかめた。


(っつーか、思いがけないハプニングって何なんだよ。縁起でもねぇ。こちとら、“ハプニング”にはもう飽き飽きなんだ。ったく……)


『でも大丈夫! いつも通りの――』


 最後まで聞かずに、青尉はテレビの電源を落とした。ハイテンションな甲高い声が闇の向こうに掻き消える。

 信じていないとはいえ不吉な予言を聞いてしまい、すっかり目が覚めてしまった青尉。いつもより少し早いけれど、覚醒したならこれ以上ぼんやりと時間を潰す必要はないと判断して、着替えるために立ち上がった。


 見る人がいなくなったテレビの向こうでは、相変わらずのテンションで、安っぽい開運法が語られていた。

 もしかして聞いていれば、何か違った一日が送れたのかもしれないが、聞かなかった青尉には分かりえないことだった。


『――いつも通りの行動を心がけてください! お友達や身近な人に、日頃の感謝を伝えると、運勢がアップするでしょう。ラッキーアイテムは、シャープペンの芯です! それでは、今日もよい一日を~!』




 時間に余裕のある青尉は、いつもより気持ちゆっくり自転車を走らせていた。

 余裕のある登校が精神的に楽なことは確かで、青尉もそのことは重々承知しているのだが、長年の習慣とはなかなか崩せないものである。だからこそ、たまにこうして早く出たりすると、そのありがたみが心に染み入るのだが。

 冷たく乾いた風が青尉の進行を待ち構え、両手を広げて伸びてきた黒髪を乱暴に掻き撫でた。

 青尉は目を細め、走りながらネックウォーマーを片手で引き上げた。鼻の頭をすっぽり覆い隠す。少々息苦しい上に怪しいのだが、寒さを和らげるためだ、仕方がない。外に行けなくなった息が首もとに下りてきて、少しくすぐったかった。

 道のりは平坦である。家から路地を抜け駅前の大通りへ、大通りから土手へ入り、土手を抜けると学校だ。

 その大通り、建ち並ぶ高層ビルや店と、六車線の広い道路との間を走っていく。街路樹が整然と並ぶ歩道は綺麗な上に広く、自転車が四台並走しても余裕がある。後ろから走ってきた二台の五トントラックが青尉を追い抜いて、歩道橋の手前と向こうの道路の脇に停まった。その運転席と荷台から、ごく普通の格好の人たちが四、五人ずつ出てきて、すぐ近くの路地へ入っていったのが見えた。一瞬、その人達の胸元に見覚えのある模様を見た気がしたが、青尉はそれが何なのか思い出そうとしなかった。

 そのまま青尉はトラックの横を素通りし、大通りを南下。突き当りの大きな丁字路を左へ曲がった。

 いや、曲がりかけた、その時である。



 巨大な爆発が平凡な朝をぶち壊した。



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