☆1‐6 兄貴たち
数十分もしない内に、青尉の兄二人が訪ねてきた。どちらも青尉とよく似ていて、黙って睨むとかなり怖い顔立ちをしている。凛々しい眉に真っ黒な瞳。はっきりした二重の目は、目尻がすっと尖り冷たげである。青尉との違いと言えば、一人は青尉よりも髪が短く、威圧感がある顔立ち。もう一人は髪を金色に染め、青尉より愛嬌がある顔立ちをしているというくらいか。
金髪で愛嬌のある方が親しげに片手を上げ、誰より早く話し出した。
「やぁーどもども、こんばんは先生方。うちの愚弟がとんだご迷惑をおかけしました! それにしても、教師ってのはなかなかに大変ですなぁ、こんな夜遅くまで、って言ってもまだこの時間じゃあ“遅い”の内に入りませんかね。まぁとにかくこんな夜にバカな男子生徒に付き合って居残りたぁやってられませんよね? いやはや、こんなお綺麗なお姉様までとばっちり喰らわされていらっしゃるとは、なんと罪深き我が弟かな。ところでっ」
マシンガントークが不意に途切れたのは、もう一人が機関銃の頭をはたいたからだ。
「
「へーい」
「すみません、うるさくて」
と、彼は頭を下げた。彼が電話口に出た方だ。
「俺は、刀堂
「はぁ……そうなんですか」
黄佐のトークに圧倒されていた杜本先生が、どうにか相槌を打った。主導権を完全に刀堂兄弟に握られてしまっている。気付いてはいたが、どうやったら取り返せるかも分からない。
イニシアチブを手にした朱将はさっそく本題に入った。
「それで、青尉は?」
「あぁ、えっと、」
杜本先生が青尉の寝ているベッドの方をちらりと見ると、刀堂兄弟はすかさず先生方を押し退けてそこに駆け寄った。
その少し前に目を覚ましていた青尉は、兄たちが駆け寄ってくるのを見て少しだけ表情を曇らせた。
「青尉、大丈夫か? 具合は?」
「……ちょっと、ぼーっとする……怪我は、ない……」
「そうか、なら良かった」
朱将がまず青尉の無事を確認し、安堵の表情を浮かべた。
同じように安心して、黄佐のつぐんでいた口が緩む。ベッド脇の丸椅子に座り、青尉の腹の上に軽くのしかかった。
「青尉よぉ、お前さん油断しただろー。兄ちゃんがあんだけ教えてやったのによ~」
あえて軽薄な口調で言う。
「まだまだ、修行が足りませんなぁ~」
「……うん」
黄佐と話している内に覚醒してきて、自分の意識が途切れたシーンを思い出したのだろう。青尉の目つきが急に剣呑な光を帯びた。
「――負けた」
ベッドの上で握った拳に力がこもる。悔しさやら怒りやら、炎のような重たい感情が役目を思い出したように燃え上がる。青尉は歯を食いしばって天井を睨みつけ、血を吐くように言った。
「手加減された上に、負けた。……あの野郎……っ!」
青尉の様子に本当の無事を確信して、黄佐は起き上がり、朱将と顔を見合わせ互いに苦笑した。心は身体ほど傷ついていないらしい。身体より心の方が治りが遅いことを黄佐も朱将もよく知っている。
黄佐は青尉の額を軽く撫でるように叩いて、軽快に立ち上がった。
「ま、大した怪我がなくて良かった良かった。生きてりゃいつか、汚名返上できるし、な」唐突に、黄佐は口調を重たくした。「あんまり心配かけるんじゃねぇよ、青尉くんよぉ~」
「うん……」
青尉は幼い子供のように頷き、泣きそうな顔になった。そして小さな、蚊の鳴くような声で言った。
「……ごめん」
その様子を見た先生方は心底驚いた。青尉のあんな顔は見たことがない。いつも自信ありげで、不敵で、頭が良いだけにふてぶてしくて生意気で、絶対に弱みを見せない彼が。
朱将が怖い顔を優しく微笑ませ、青尉の額に手を置いた。
「気にすんな。無事で本当に良かった。もう少し寝てろ。親父には俺から言っといてやるから」
「うん……ありがとう……」
「ほらほら、とっとと寝ろ寝ろー。後は兄ちゃんたちに任せとけい!」
再びとろんとし出した目を何度かしぱしぱさせて、青尉は静かに眠りに就いた。苛立ちも悔しさも、今だけは何もかもを忘れて。
「黄佐、車」
「うーい」
「自転車も積んどいてくれるか?」
「へいよ」
無造作に放られた車の鍵をキャッチして、黄佐は保健室を出ていった。
「さて、」わざと保健室に残った朱将は、勿体ぶった仕草で振り返って、先程から沈黙を保っていた先生方を見回した。「少々お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
許可を求めるというよりは異論を認めないというような口調でそう切り出し、杜本先生を見据えた朱将。
杜本先生は少しだけたじろいで、しかしすぐに持ち直した。こんな若造に気圧されてどうする。杜本先生は腹に力をこめた。
「お聞きしましょう。なんですか?」
「今日、青尉を襲ったのは誰ですか?」
「『stardust・factory』という新興組織に属している二人です」
「昨日は夜遅くまで追いかけられていたと聞きましたが、それは?」
「また別の組織ですね。確か昨日は『マッド=コンクェスト』という、過激派で知られる七大組織の一つだったと思いますよ」
「先生方は何か組織に?」
「『賢老君主』という組織に。あまり争い事は好まない組織ですが、老舗組織なので、それなりの権力は持っていますよ」
だから入るとお得ですよ、と言外にそれとなく匂わせておく。意味は無いかも知れないが。実際、朱将はほとんど何も聞かずに質問を続けた。
「その『賢老君主』さんも、青尉を勧誘しているそうですね。何故ですか?」
「彼の力は、組織にとって重要なのです。一騎当千の能力者が一人いれば、組織の威光は保たれますから。能力自体はそれほど強力なものではありませんが、彼は運動神経も良いのでね。その武力は組織としては放っておけないのです」
「それだけですか?」
朱将は鋭く切り込んだ。
「それだけなら、こんなに多くの組織が、こぞってたった一人を追い回したりはしませんよね。先生が今言った通り」ちょっと言葉を切って、杜本先生を見据える。「組織には、“最強”が“一人”いれば充分なんでしょう?」
杜本先生はぞくりとした。暖房が切れたのか? やけに背筋が寒いのだが。
「青尉が狙われる“本当の理由”は何ですか?」
「……それは、お教え致しかねます」
「つまり、知ってはいる、と」
「ええまぁ、一応は」
杜本先生はできる限り短い応答を心掛けた。これ以上墓穴を掘るわけにはいかない。喰えない笑みを浮かべてみせる。
「把握していますよ」
「……そうですか」
杜本先生の飄々とした態度をどう見たのか、朱将は不穏な空気を纏って頷いた。
「ま、どうでもいいです。何にせよ、俺たちの対応は決まってるんで」
ちょうどその時、保健室の外扉が開いた。黄佐が柄の悪い立ち姿で扉に半身を寄りかからせ、「おーい、準備できたよー。」と朱将を呼んだ。
朱将は青尉を背負った――とても軽々と。農業に従事している朱将にとって、この程度の重量は大したものではなかった。
神島先生はそれを見て、負けた、と思った。二人の年齢差は三つもない。
「この程度の怪我なら見逃しますが」
出ていく間際に朱将は振り向き、鋭利な眼光で刺すように言った。
「青尉に何か万が一のことがあったら、相手が何であろうが確実に潰すんで。」
刺された方は――言語中枢か声帯かどちらか、あるいはその両方をやられたのだろう。それで――言葉を失った。彼は本気でやるだろし、実際
朱将が先に出ていって、しかし黄佐はそこに残った。凍り付いた空気を見て愉快そうに鼻を鳴らす。そして誰に問われるまでもなく勝手に喋りだした。
「朱兄は農業やってんだ。うち農家だからさぁ、朱兄長男だし、家継ぐの。まぁ、もう主戦力になってるんだけどね。んでもって俺はぁ、こう見えてもインテリ君でね~、医大生やってんだー。一応、立派な医者の卵、ってわけですよ。さぁここで問題です。“この世で一番怖い職業ってな~んだ?”なぞなぞじゃないよ? ヤーさんとかポリ公とか、ミリタリー系ってわけでもない。もちろん、能力者なんて目じゃないね。俺が思うにさぁ」
不意に黄佐は姿勢を正し、一番近くにいた神島先生に顔を近付けた。神島先生は不覚にも一歩後退った。
黄佐の瞳がゆらりと炎を纏う。
「この世で一番こわ~いのは、医者と農家なんだよね。どっちも、命を扱う職業だから。直接的に、さ」
脅すような声で囁き、神島先生の目に怯えを認めると、黄佐は楽しそうに神島先生と肩を組んだ。軽薄な笑みと口調でつらつらと捲し立てる。
「医者は、人の救い方を知ってる。裏を返せば殺し方も知ってるってことさ。農家は、虫の殺し方を知ってる。つまり、使い方次第で人も殺せるってわけ。まぁもちろん、知っててもやらないんだけどね。どっちも、命の大切さを何より重く理解してるし。――せんせー方に分かってほしいのは、俺が医者で朱兄が農家で、それぞれの職に見合った理性を持ってるけど、大切なもののためならそれを捨てるくらい造作も無いんだぞ、ってこと。まぁー、なんつーの? 生々しいこと言うとさぁ、俺も朱兄も薬品とか使い慣れてるわけよ。それも、劇毒って呼ばれるようなものまで。家にもいくつかあるから、何処へでも混入させ放題! さらに言うと、朱兄は機械関係強いから、どんな乗り物でも大抵乗りこなすし、チェーンソーとか物凄くでかい剪定鋏とか、簡単に扱えちゃうのさ。俺に関しては、まぁ、ね。実は俺、古今東西さまざまな戦闘に興味があって、暇さえあれば格闘技とか戦争とかいろいろ調べて検証してるわけよ。なんで、大抵の輩には勝てる自信があるのです。ちなみに、青尉に戦い方を教えたのは俺なんだな~」
外で車のライトが点いて、クラクションが二度鳴った。「おぉっと、朱兄に怒られちまう」黄佐は神島先生を解放して、「うん、それじゃ、そういうわけで。ちなみに今のは脅しだから、肝に銘じといてね!」と実に明るくピースサインを決めると、スキップするように出ていった。
重いエンジン音が空気を震わし、やがて遠ざかっていく。それが完全に消え去るまで、保健室の中の人々は微動だに出来なかった。
長い溜め息が聞こえた。杜本先生が額に手をやりながら椅子に深く腰掛ける。
「兄弟揃って……」
続く言葉を見失う。しかし、あとの二人には通じたようだ。ともに頷きながら呆れと諦めに首を振り、しこりのように残る恐怖を追い払った。
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