29. 信じる者


「──なぜ、私が貴様の言うことを聞かなければならない?」


 イルシェーラは首を傾げる。

 それは本気で意味がわからないと、そう言っているようだった。


「忘れているようだから教えてやるが、貴様は口出し出来るような立場ではない。少し力を加えれば枯れ木のようにその命を失う矮小な存在だ。なぜ私が、そんな貴様の言葉を聞かなければならないのだ? ──なぁ、答えてくれ。なぜだ?」


 気が付けば、イルシェーラの手には短剣が握られていた。


 血を吸ったように赤く染まった悍ましい物を、ぐりぐりと腹に押し付けられる。


 ゆっくり肉が斬り裂かれる感覚と、じんわりと体内に異物が侵入してくる感覚。二つの激痛が一度に襲い掛かり、リーゼロッテは声を我慢出来なかった。


「痛いか? 苦しいか? ……もっとだ。私達の痛みは、この程度のものではない」


 喉に込み上げるものを吐き出す。

 どろりとした液体は正面のイルシェーラにぶち撒けられ、赤く染まる。


「……ハッ! 無礼な女だ。見ろ、汚れてしまったぞ」


「げほっ、も、申し訳、ありませ、っ、ぁあああああ!」


 短剣が乱暴に引き抜かれる。

 そこから血が吹き出し、更にイルシェーラは赤色に染まった。


「なぁに、謝る必要は無いさ。なぜなら私は怒っていないからな。むしろ心地良い」


 血を吐き出す。呼吸が霞む。命が削られている。

 リーゼロッテの死を望むイルシェーラにとっては、何よりも嬉しいことだ。




「…………だが、気に食わないな」


 不満だという気持ちを隠さずに、それは呟かれる。

 その理由は、リーゼロッテが宿す瞳の色だった。


「その目、生意気な目だ。……まさかとは思うが、助けが来ると思っているのか?」


 リーゼロッテは答えない。

 沈黙は肯定と同じだ。


 そうか。そういうことかと、イルシェーラは笑った。


「助けは来ない。絶対に、な」


 ──なぜだかわかるか?


「ここはイルフレイムだ。人間では決して辿り着くことは出来ない深遠に眠っている。貴様らが見捨てた灰都がやがて災いとなる。自業自得であろう?」


「……それ、は」


「おっと、言っておくが脅しているつもりはないぞ。私は貴様が大嫌いだが、嘘は言わない。助けが来ないというのも、残念だが真実だ」


 思い浮かべたのは、アッシュの顔。


「アッシュは来てくれる」


「無理だ。あいつでは私に届かない」


「来てくれます。彼ならば、きっと……」


「いい加減、耳障りだ。なぜあの男を信じる。あれは全てを偽っていた。貴様ら人間を殺す灰人だ。たった一日程度の付き合いで、なぜそうまでしてあの男を信じられる?」


 それでも彼は、自分に言ってくれた。



『──俺が守るよ』



 あの言葉が嘘だとは、とても思えなかった。

 正体を偽っていた彼だが、あの言葉だけは信じてもいい。


「彼は、私の友人です。……私は、彼を信じています」


「友人だから、信じるとでも言うのか? 貴様らの敵である、灰人を?」



 ──くだらん。


 イルシェーラの手元から短剣が消える。

 それと入れ替わるように出現したのは、何一つの装飾も無い無骨な直剣だった。


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