16話:探し求めた公園

 レタは普段の癖で、起きて最初に音で周囲を探る。外からの喧騒がなく、昨日の出来事を思い出す。ケイジの家のゲストルームだ。


 ベッドから体を起こして真っ先に気づいたのは、部屋に仕掛けておいた罠が動いていることだ。夜の間に誰かが部屋に入り、罠をそのままにする。気づかれることを恐れていない。


 仕掛けた罠は音を立てて接近を見つけるものだ。これまでならいつでも目覚めていた。気づかなかった理由として目立つのは、まず寝心地がある。深い眠りで全身を休めていた。これまでも同程度に思っていたが、どうやら勘違いだったと思い知らされた。寝具の柔らかさに加えて、風呂で体を温めた影響もある。


 まずは荷物を確認する。変化はない。破損や汚損も一切ない。何より、命が残っている。


 寝る前との違いを一個だけ見つけた。枕元のサイドテーブルに手紙がある。印刷用紙を軽く折っただけの伝言メモだ。


 内容は主に三つに分かれている。まず募金に対するお礼。次に今はもう安心であること。そして最後に、レタが近くに来ていると把握していること。


 レタは初めに、本物かどうかを疑った。何らかの方法で情報を得たら、この手紙で誘き出せる。一度でも渡せたならば、自分たちに有利な場所で袋叩きにできる寸法だ。


 そうでないと考えるに足る理由も書かれている。ケイジの親族を辿ると、やや遠いものの交流がある。ケイジから見て、母の、姉の、配偶者の、妹だ。


 この情報は誰かに確認するだけですぐに裏が取れる。加えてこの地は、普段ほどの疑念を持たずに生きられる。外での常識はここでは非常識になる。


 感傷に浸るのはすぐに終えて、動く準備をした。罠を片付けて荷物にまとめて、部屋の扉を開ける。ちょうどケイジが部屋の前まで呼びに来ていた。


「おはよう。朝食は食べていくでしょ。そのあとはやっぱり、すぐに出るの」

「ええ」

「だよね。じゃあさ、見せたい場所がある」


 ケイジはお楽しみにするよう言うので、深くは聞かずに、食事を取った。


 ケイジは食事中に、レタが手元で動かす食器の使い方を注視していた。ナイフもフォークも丁寧に動かしている。食後には自然に、皿の上に束ねて置く。


 これまでの印象に反して、実は良い所の生まれではないか。見せたい場所とやらへ向かう道中でそのように切り出した。


「私には何もないよ。故郷の街ぐらいなら海の底に残ってるかもしれないけど、私にはもう何もない。残ったものは、もう見せた分だけ」


 ケイジが言葉を続けられない様子を見て、レタは今となっては些事だと表情で示した。


「火事のおかげで、早い段階で地域を離れられた。おかげで生き残れたんだよ。漫画を教わったからそれまで楽しかったし、その後も生きていられた」


 時は流れ、情勢は変わり、この街の上空ではドローンが警備している。銃を持たずとも、ドローンたちのカメラが抑止力になる。大規模なことはまずできない。突発的な略奪は、裕福な者はそんな必要がなく、仮に起こってもすぐに対処できる。監視によって見守られている。レタの故郷も、もし残っていたならきっと、同等になっていた。


 ケイジが「着いた」と示す。真っ直ぐに伸びる道は左右に木々が並び、公園の奥へ進む者を見守っている。最奥の広場には、中央に扉がない小部屋が佇んでいる。


 柵で区切られた空間に、屋根とベンチと、小さなテーブルがある。大人の身長ではテーブルが椅子らしい高さになる。ここに座ると、柵にびっしりと絡み付いた蔦が日光を遮ったり通したりして、鱗模様を全身に落とす。


「漫画の世界に来たみたいね」


 感慨深くつぶやいた。手元にはない単行本に同様のシーンがある。ケイジは静かに「ここをモデルにしたそうだよ」と説明する。


 作中では、デルタとガンマが約束を交わすシーンで登場した。五年の大仕事に出るデルタに対し、ガンマが「三年では済まないか」と要求する。単独行動ばかりのデルタは、資金や資材の確保にも時間と体力を使う。そこでガンマが援助を申し出る。


 レタは何度も読み返した。たったの三ページ半だが、物語の転機となる重要なシーンだ。


 どこかにモデルとした場所があると明言されて、少しずつ紹介していたが、このシーンが紹介される順番の前に、レタはそれどころでなくなったのだ。


 生存がどうにか安定してきたころに運び屋ギルドと契約した。稼ぎを兼ねた移動で、すでに読んだ場所を巡っていた。それでもこの公園だけは、所在地がわからずじまいだった。


 憧憬を味わったら、尻が張り付く前に立ち上がる。出発できなくなる前に、精神力を使ってでも、出発しなければならない。同時に「待って」とケイジが引き止めた。


「確認だけど。ギルドのルールと街の方針の都合で、仕事が済んだらすぐに退去する必要がある」

「そうね」

「だったらさ」


 ケイジは右手を差し出した。


「結婚をしよう。ギルドのルールと離れても生活できるように。きっと不自由なんてしない。僕がさせない」


 レタは、プロポーズを受ける日が来るとは思っていなかった。今日まではいつでも、起こりうる出来事すべてを想定してきた。純然たる想定外はこれが初めてだ。ロマンチックに整った場がある。相手は信用できる人間だ。住居は安全でもあるし、財産もある。


「ケイジ」


 ひと呼吸の間に様々な考えが浮かぶ。名前を縮めずに呼ぶのも久しぶりだ。この場でなら時間を気にせずに話ができる。


 レタは答えを決めて、ゆっくりと伝えた。


「結婚はしない。私への条件はいいけど、君は若すぎる。もっと他の人間も知ってからにすることね」

「その後でなら、受けてくれる?」

「五年後に同じなら、改めて返事をするわ」

「そっか。『遠いな。三年じゃあだめかい』」


「言うね。『いいよ、三年で』」

「待ってる。それと今日は『最後に一個、仕事を頼む』よ」


 ケイジはポケットから手紙を取り出した。ノートの一部を切り取って折っただけで、おおよそ重要とは思えない。注視するまでもなく中が透ける。たったの一言が書かれているだけだ。


 重要なのは外側の、宛先にある名前だ。レタの口角を上げるに十分な人物を示している。


「仕事としてなら、立ち寄れる。そうだね」


 レタは大きく頷いて、その手紙を鞄にしまった。


「『引き受けます。ありがとうね』」


 レタは振り返って足を進める。長い道を進むほど縮んでいく後ろ姿をベンチから見送った。

漫画にも、そういうシーンがあった。


(了)

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