第18話

               △△△△△


 スマホから流れていた音声が終わり、教室内が静寂に包まれる。夏月はスマホを手に取ると、紗雪に視線を向けた。


「これが真実。太一はゼロ型じゃない。紗雪ちゃんがゼロ型なの」


 夏月の言葉に太一は開いた口が塞がらなかった。周囲のクラスメイトも、太一と同様の反応をみせている。

 教室内が再び静寂に包まれる。紗雪がゼロ型だということが、皆信じられないみたいだ。


「やっぱりね。私はずっと怪しいと思ってた」


 静寂を破ったのは有香だった。人集りをかきわけ、太一達の前に現れる。


「だいたい紗雪って、皆とは違ってる部分が多すぎでしょ。いつも一人でいること多いし、紗雪の方から話しかけられたこともないし。ゼロ型って異性との繋がりがないって言われているけど、紗雪の場合は同性にも当てはまるんだよね。どうしてこの学校にいるのか、本当に不思議で仕方がない。私達を馬鹿にしてるってずっと思ってた」

「そーよ。紗雪の態度って、前から許せない部分がたくさんあった」

「私達を馬鹿にして、高見の見物してるんじゃないよ」


 有香の取り巻きである成瀬と宮井が乗っかるように声を発する。教室内が紗雪についての不満で溢れかえる。


「それは違うよ」


 有香の発言に首を突っ込んだのは夏月だった。


「夏月は紗雪を庇うんだ」

「庇うとかじゃない。私、紗雪ちゃんがこの学校に来た理由を知ってる。紗雪ちゃんがこの学校に来たのは――」

「やめて!」


 夏月の言葉を遮るように声を発したのは紗雪だった。


「もう……やめて」

「ちょ、紗雪!」


 太一の声に耳を傾けずに、紗雪は人集りをかき分け教室を出て行ってしまった。太一はその後を追いかけようと後に続く。


「待って!」


 太一の手を強引に引いたのは夏月だった。


「放せよ」

「やだ」

「放せって」


 太一は夏月の手を振りほどき、教室を出る。今は紗雪を追いかけないといけない。


「太一の馬鹿!」


 廊下に夏月の声が響き渡る。廊下を歩いていた生徒が、二人の様子を窺うように視線を向けてくる。太一は足を止め、夏月の方に身体を向けた。


「太一は騙されてたんだよ。紗雪ちゃんが嘘をついていた。太一を陥れようとしたんだよ。それなのに、どうして行こうとするの?」


 夏月の言いたいことは太一にも理解できる。でも太一はずっと思っていたことがあった。紗雪が偽りの関係を始めようとしたとき。あの時に紗雪は言っていた。


 ――今はまだ言えない。


 その言葉に嘘をついた理由が隠れているなら。まずはそれを聞くしかないと思った。


「俺は……紗雪の彼氏だから。放っておけるわけがない」

「太一……」


 夏月に背中を向けた太一は、紗雪を追って廊下を走った。

 紗雪の行く場所は何となく予想できた。誰も行くことができない場所。それを考えれば太一にはすぐにわかる。


「おい、月岡!」


 目の前に高野先生が現れ、太一は足を止めた。


「先生。今は話してる暇ないんです」

「朝のホームルームの時間だ。抜け出そうとする君が悪い。教室に戻るぞ」


 高野先生の手が肩に触れた。太一はその手を払いのける。


「紗雪が空き教室に向かったんです」

「空き教室に……何かあったのか?」


 太一は先程の出来事を簡潔に説明した。高野先生の表情がみるみるうちに険しくなる。


「なるほど。しかし星野がそんなことを知っていたとは……月岡」

「はい」

「とりあえず、今は見逃してやる。一限の先生にも伝えとくから、とにかく森川から目を離すな。今の森川の状況、君ならわかるだろ」

「……はい!」


 太一は高野先生に頭を下げて、紗雪の向かったと思われる空き教室に向かう。

 紗雪だって人間だ。先程夏月が言っていたことが事実だったら。一度経験したことがある太一には、紗雪が背負うかもしれない重さが理解できた。

 太一にしかできないことがある。これは紗雪の彼氏として、紗雪の理解者として求められたと言っても過言ではない。

 空き教室の前に着いた太一はいつもと違う変化に気づいた。いつもは閉鎖されているドアが少しだけ開いていたのだ。いつもの紗雪なら、必ずドアに鍵を閉めて誰も入れないようにするはずなのに。今の紗雪は明らかに判断力を欠いているのが太一にはわかった。

 ドアに手を伸ばしゆっくりとスライドさせる。目の前にはいつもと変わらず、机と椅子が二脚ずつ置かれている。しかしその席に紗雪は座っていなかった。一瞬見当違いの行動をしていたのかと思った。それでも静謐な空間に、微かに響く音を太一は聞き逃さなかった。

 空き教室に入り、ドアを閉めて鍵をかけた。そしてゆっくりと黒板前にある教卓へと歩を進める。教卓の下を覗き込むと、そこには体育座りをして膝に顔を埋めている紗雪の姿があった。


「夏月の言ってたことって本当なのか?」


 太一の問いかけに、紗雪は何も答えようとしない。あの氷の嬢王と言われていた紗雪が、自分を見失う姿を太一は初めて目の当たりにした。それと同時に、もやっとした感覚が太一の中で芽生え始める。


「ゼロ型は俺ではなくて紗雪だって」


 念を押すように太一は紗雪に告げる。それでもやはり紗雪は顔を上げてくれない。いつもの紗雪とは違う様子に、次第に憎悪の気持ちが太一の中で生まれる。


「紗雪は、本当に俺を騙してたのか?」


 紗雪の沈黙が太一に重くのしかかる。いつものように、冷たく切り捨てるような発言をしてくれない。明らかにおかしい紗雪の現状を見ていると、嫌でもわかってしまう。

 太一はさらに歩を進め、紗雪の目の前に立った。そして紗雪と目線を合わせるためにしゃがみ込む。


「答えてくれ!」


 未だ顔を上げてくれない紗雪の両肩に、太一は手を置いた。紗雪の身体が一瞬ぴくっと動くのがわかる。紗雪は怯えているのかもしれない。そんな震えを感じ取った太一は、それでも手をどけることはなかった。太一は紗雪の彼氏だ。たとえそれが偽りだとわかっていても、彼氏として、一人の人間として聞かないといけないことがある。

 太一の思いが通じたのか、紗雪はゆっくりと顔を上げた。そして冷めた表情のままそっと口を開いた。


「そうよ。私は……あなたを騙してた」

「どうして……」


 紗雪の肩から手をどかした太一は、その場に腰を下ろしてそっと壁に寄りかかった。


「全てはボンドを否定するため」


 紗雪の声が太一の耳に届く。

 まただ。

 紗雪と偽りの関係を始める約束をした日。あの時も紗雪はボンドを否定したいと言っていた。太一がゼロ型だから。だからこそボンドを否定するのにもってこいだと。


「だったら、紗雪が自分で行動すればよかっただろ。友達を作って、彼氏を作って。どうして俺を巻き込まないといけなかったんだよ」


 本音が太一の口から出る。紗雪に対しての憤りが言葉になって表れる。

 紗雪は太一を一瞥すると、口を開いた。


「あなたの周りには、仲の良い友達と彼女がいたから」


 太一の脳裏に手塚や夏月、それに柊の顔が浮かび上がる。


「ボンドの結果が発表された日。私は初めて自分がゼロ型だということを知った。正直ショックだった。どうしてゼロ型なのか。今まで見つかっていないゼロ型に、どうして私が選ばれないといけないのか。そんな思いに駆られていた時に、あなたのことを思い出したの」

「俺を……」

「帰りのホームルーム前。あなたは手塚君と話していた。彼女ができたって」

「聞こえてたのか!」

「当然よ。あれだけ大きな声で話してたのだから。周りの人達は知らないけど、少なくとも一人で座っていた私には聞こえた」


 一人でいると周囲の声がよく耳に入ることがある。太一自身、それは経験済みだ。


「もしあなたみたいに友達関係に困っていなさそうな人が、ゼロ型だと知られてしまったら。周りの人達がどんな態度をとるのか。私はそれを見てみたかった。私自身で否定できないボンドを、あなたなら否定してくれるかもしれないと思ったから。だからその日の夜、あなたのデータを改ざんしたの。私のデータと入れ替えて」


 紗雪の冷めた声音に、太一は思わず息を呑んだ。ゆっくりと紗雪の一言一言を消化していく。


「改ざんは簡単だった。父がボンドのデータを自宅で打ち込んでいるのを知っていたから」


 夏月が持っていた音声データでも、森川先生は自宅で作業をしたと言っていた。


「父は昔から仕事ばかりで、仕事のためなら家族を顧みない人だった。好きなことがあると、寝ずにずっと熱中する人だった。だから眠れないことがよくあったの。そんな父は安眠するために睡眠薬をよく飲んでいた。だからその日、父に睡眠薬をいつもより多めに飲ませたの。気づかれないようにコーヒーに混ぜて」

「自分の父親にそんなことまでしたのかよ」

「……そうよ。だって私は、ボンドを否定したかったのだから」


 紗雪の行動が太一には理解できなかった。自分を生んでくれた両親に対して行うことなのか。一歩間違えれば問題が起こることくらい、紗雪なら知っていたはずだ。


「私はあなたに全てを委ねた。あなたならボンドを否定してくれる。必ず良い結果を持ってきてくれると。それに期待して、私はその日のうちにクラスメイトに画像を流した」


 有香のスマホに送られた画像。何もかも全て紗雪が仕組んだことだった。


「でもそんな簡単に物事は運ばなかった。あなたがゼロ型だとわかってすぐに、柊さんと別れてしまった。このままあなたが一人でいることはボンドを肯定することになる。それは絶対に嫌だった」

「だから俺と付き合うことにしたのか」

「……うん」


 偽りの関係。始めから紗雪は何かを隠していた。それは太一も感じていたことだ。でもあの時はそこまで頭が働かなかった。


「あなたが柊さんと付き合い続けてくれたら、私はただ傍観しているだけでよかった。でも別れてしまった。だから私自身で動くしかなかった」


 太一は悔しくて仕方がなかった。紗雪はずっと自分を守るために動いてくれていると思っていたから。でもそんな太一の甘い考えを紗雪は持っていなかった。夏月の言う通り、始めから紗雪に用意されたレールの上を進んでいただけなのだ。


「柊さんと別れて、あなたは本当に一人になると思ってた。だけど予想外なことがあった。星野さん。彼女は異性なのにも関わらず、あなたのために動いていた。そして私のついた嘘は彼女に簡単に暴かれてしまった」

「もし俺が直ぐにボンドの結果を見てたらどうしたんだよ」

「やることにかわりはなかったと思う。あなたがどんなに否定しようとも、一度はゼロ型という噂が広まる。あとは柊さん次第だけど……私はあなたと付き合うつもりだった」


 紗雪の緻密な計画に、太一は言葉が出てこなかった。


「星野さんの言っていることに間違いはないわ。私はあなたを利用しようとしたのだから。だから私はあなたに何をされようと、何も文句は言えない。それだけのことをしてしまった」


 紗雪の説明でいろんなことがわかった。でも太一にはどうしてもわからないことがある。


「結局さ、どうして紗雪はボンドを否定したいんだ」


 まだ紗雪は答えていない。ずっと濁し続けている。


「もう、どうでもいいことよ」


 紗雪はさらっと太一に告げると、ゆっくりと腰を上げた。


「本当にごめんなさい。今日であなたとの関係は終わりにしましょう」


 頭を下げた紗雪は、太一を一瞥して空き教室を出て行った。空き教室に静寂が戻る。既に一限目が始まっている時間になっていた。

 正直もっと怒りが込み上げてくるかと思った。紗雪を信じて付き合ってきたのに、全てが偽物だったのだから。でもなぜか、紗雪のことを憎むことができない自分がいた。これから紗雪が味わうかもしれない苦しみを知っているからなのかもしれない。紗雪が教室に戻ったら、酷い仕打ちが待っているはずだ。皆から変な噂をされ、それに耐え切れなくなるかもしれない。

 そんな紗雪の未来を想像する自分が、本当に情けなかった。

 紗雪の表情が脳裏をよぎる。今までの出来事が太一の脳内を支配する。

 一緒に登校したこと。

 一緒にお弁当を食べたこと。

 そして、毎日一緒に二人だけの空間で過ごしたこと。

 わずか数週間の出来事なのにも関わらず、太一の中にはたしかに紗雪が存在していた。

 それに紗雪はまだ隠していることがある。ずっとボンドを否定したい理由を明かさないのは、言えない何かを抱えているからに違いない。


 ――太一は優しすぎるんだよ。


 夏月に言われた通りなのかもしれない。騙さていたのに、まだ騙されていた相手のことを考えている。でもたとえ騙されていたとしても、紗雪が本当に苦しんでいるのだとしたら。太一にはそれを見捨てることができなかった。


 そしてこの日を境に、紗雪は学校に来なくなった。

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