第三十一階層 十字路と銀のコイン
一行の前に十字路が立ち塞がる。正面の通路の先には魔方陣が描かれていた。
冨子はエプロンのポケットにそっと手を入れた。素知らぬ顔で目立たない後方に下がってゆく。
ハムは鼻息と共に言った。
「また金貨を目印にすればいいぞ」
「それ、言っちゃダメー!」
冨子は瞬時に目を
「お母さん、諦めなよ」
「冨子、頼む」
二人に迫られ、がっくりと
「仕方ないよねー。でも、前と違って少ないから、どうなるのかなぁ」
冨子は皮袋を取り出して見せる。丸々と膨らんではいない。小太り程度であった。
「やらないよりはマシだよね」
軽い言い方で茜は歩いて中心を踏んだ。
観察するように見ていた直道が、またか、と口にした。
「勝手に回ったから今回もターンテーブルだね。問題は魔方陣の方だよ。ワープする位置や方向がわからないからね」
「金貨の目印が重要になる、か」
「それが無くなったらボタンとか、あ、靴下も使えるよね」
「ハムちゃんを目印にしてもいいよねー」
ふんわりとした冨子の言い方に二人は笑みを浮かべた。
その中、ハムだけが
「それは駄目だろォォ!」
「なーんてねー」
冨子は冷気が漂う眼で笑った。
一行は果敢に挑む。適当に進んで金貨を置き、魔方陣で瞬時に飛ばされる。運の女神が微笑んだのか。一桁の移動で難関を突破した。
「金貨が残ったよー」
冨子は小躍りして通路を進む。一本道の為、迷うことはない。
最初に気づいたのは直道であった。
「先の方が少し広くなっている。まさかとは思うが」
「いるとしたら……二郎かな」
茜は苦い笑いで言った。
「やはり直線はいいぞ!」
目を輝かせたハムは元気に走り出す。逸早く広いところに出ると四肢を踏ん張るようにして止まった。
「爺、またか! 先回りしてどうするつもりだ!」
「なんとも、これは珍しい。滑らかな身体に硬質な輝きを纏う姿は珍品中の珍品。言葉まで操るとは。摩訶不思議な存在としか言いようがない」
深い感動を覚えるような声は僅かに震えていた。
足を速めた三人はハムに追い付いた。壁際にある安っぽい露店を見て納得の表情となった。
茜は
「今度は二郎なんだよね?」
「はい、その通りです。よくご存じで。それよりもご相談があります」
老人は直道に目を移す。途端に卑屈な笑みを浮かべた。
「私は珍しい物に目がない珍品コレクターなのですが、ここにいる……なんと形容すればいいのでしょうか」
「ハムちゃんはかわいいペットですよー」
大きな一歩を踏み出した冨子が笑顔で言った。直後にハムへ威圧の目を向けて反論を封じた。
老人は笑顔で頷く。
「そのペットを買い取りたいのですが、とても貴重な逸品。手持ちの金貨では到底足りません。そこで名品と
「提案としては悪くない」
直道は一言で答えた。
「家族を売るのかよォォォォ!」
「かわいいペットでーす」
冨子の目が開く。ハムは涙目で対抗して踏み止まった。
その攻防を無視して茜は露店の台に置かれた品々を漫然と眺めた。隅の方に目がいくと急に表情が強張った。
「お父さん、アレ……」
茜は台の端を指差す。そこには布が無造作に置かれ、下から銀色のコインの一部が見えていた。表面に描かれた豚の顔が印象的であった。
直道は咳払いをして仕切り直す。
「話は変わるが台の端に置かれているコインは売り物なのか?」
「これですか。珍品ではあるのですが、価値については不明でして。訪れた方々にそれとなく
「是非、譲って貰いたい。私も価値については……よくわからないが、あれだ、愛嬌のある装飾が気に入った」
直道は掌を広げて眼鏡の中央をゆっくりと押し上げた。老人は穏やかな顔で表情を読み取るような目をした。
「先にペットの件を考えていただけないでしょうか」
「かわいいペットだから手離せないのよねー。ごめんなさいねー」
冨子の声にハムが笑顔で擦り寄る。糸目となって、かわいいねー、と頭を撫でた。横目で見た茜は、ペットでいいの? と疑問を口にした。
老人は溜息を吐いた。
「残念ですが諦めます。コインは、そうですね。これも珍品ではありますが出自が明らかではない為、金貨三枚で結構です」
「えー、それって全財産なんだけどー」
冨子が声を上げた。
「支払いを頼む」
直道の強い視線を受けて冨子は、んー、と口を
「ありがとう」
直道は銀のコインを受け取ると足早に奥へと向かう。
「俺様の愛らしさは全ての者を魅了するのだ! 悪くない気分だぞ!」
隣に並んだハムが高らかに足音を響かせる。
「気分は最悪だよー。また金貨がゼロだよー」
「ここは抑えて。良い買い物をしたんだから」
冨子の嘆きを
「いや、これは」
前をいく直道が速度を落とした。力なく立ち止まると黙ってコインを見つめる。その様子にハムが不思議そうに戻ってきた。
「そのコインがどうかしたのか?」
「ハム、悪いが後ろを向いてくれないか」
「これでいいのか?」
直道の指示通り、背中を見せた。縦長の穴に目がいく。手にした銀貨をそっと押し当てると入らなかった。
「やはり厚みが違う。大きさも小さい」
「じゃあ、そのコインはなんに使えるの?」
直道は茜に向かって顔を左右に振った。
「わからない。店主に言わせれば珍品らしいが」
「えー、私の金貨はどうなるのよー!」
冨子は涙声で訴えた。
困り果てた直道は
「チャンピオンベルト」
その一言は不満を吹き飛ばし、笑顔に変えた。茜は声を出して笑った。
「豚の、チャンピ、オンって」
まともに喋ることができない。直道は苦い表情で耐えた。
機嫌を直した冨子は糸目となって微笑んだ。
「直道さんのおかげで元気が出ましたー」
「それは良かった」
「俺様にはよくわからなかったぞ」
ハムは鼻の穴を広げて大きく息を吐き出した。
銀色のコインの用途はわからないものの、珍品の事実もあって持っていくことに決まった。冨子は金庫番としてコインを受け取ると、前面の大きなポケットに押し込んだ。半分くらいが収まった状態で胸を張る。
「豚のチャンピオンベルトー」
「や、やめ、てよ」
茜の笑いが、ぶり返した。
賑やかな一行は間もなく降りる階段を見つけるのだった。
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