家族ダンジョン
黒羽カラス
家族の想い
全体が白く殺風景な病室だった。
本人は涼しげな顔で瞼を閉じていた。交通事故の怪我はとうに治り、周囲の色を吸ったかのように露出した肌は白かった。
扉をノックする音がした。反応しない慶太を他所に、お母さんだよー、とのんびりした声が聞こえる。
スライド式の扉が開く。現れた
「お母さんだよー」
慶太に顔を近づけて同じ言葉を掛ける。糸目を少し開けて白い顔をじっと見つめた。
「着替えはここに入れとくね」
糸目に戻ってベッド脇にしゃがみ込む。眼前の
一仕事を終えると冨子は紙袋を足元に置いて丸椅子に腰かけた。
「こんなことを言っても仕方ないんだけどねー」
慶太を見ながら前置きを入れる。
「最近、家族の間で会話が極端に少ないんだよねー。ううん、無いって言ってもいいかなぁ。仲が悪いって感じでもないと思うんだけど、話の切っ掛けが掴めなくて困っちゃうよねぇ」
視線を下げて上体を前後に揺らす。
「慶太の意識が戻ったら……また家族で話ができるようになるのかなーって」
目を慶太に向ける。間もなく冨子は寂しそうに笑った。
日が変わった。スライド式の扉がそろりと開く。できた隙間に栗色のショートの頭を差し込んで
瞬間、猫目がキラリと輝く。白い八重歯を見せて中に入った。下校途中に立ち寄ったのか。薄いグレーの制服を着ていた。
「相変わらず、病院臭いところだよね」
当たり前の感想を口にしてずんずんと歩く。ベッドに突き当たると側の丸椅子にドカッと腰を下ろした。
「まだ起きないんだね。知ってる? 私、高校生になったんだよ。慶太も小五から中二だよ」
口を閉じて慶太の瞼に目を注ぐ。ぴくりとも動かない。意味もなく脚をぶらぶらさせた。
「それだけ寝溜めしたら、起きたあとは数ヶ月くらい寝なくてもいいかもね……私ってさ、昔から低血圧で朝が弱かったでしょ。だから中学の陸上部の朝練が本当に無理で、顧問とケンカして辞めちゃったんだよね」
何かを期待するような間を空けた。
「走り幅跳びの競技は嫌いじゃなかった。でも、後悔はしてない。強がりじゃないよ。実は嬉しいことがあって……聞きたい?」
茜はわざとらしく耳を傾けて、なるほど、と言って頷く。
「仕方ないなー。乙女の秘密を慶太だけに教えてあげる。お姉ちゃんは陸上部を辞めたことで、なんとAカップからBカップになりました! パチパチパチパチ!」
声で自身に拍手を送る。目尻を拭う演技は真に迫り、悩みの深さが窺えた。
「言っとくけど太った訳じゃないからね。体重は同じで胸のボリュームアップに成功した夢の体現者なのよ」
雄々しいガッツポーズを決めたあと、自身の胸にそっと両手を当てる。
「スポブラから普通のブラに。できた谷間を見て、もうニヤニヤが止まらなくなったよ。でも、慶太には見せてあげないもんねー」
軽く舌を出す。目は慶太を見ていた。
「……じゃあ、お姉ちゃんは帰るよ」
立ち上がるとくるりと回って扉へと向かう。開ける前に後ろを振り返った。
「起きたら、ご褒美で見せてあげるかもね」
口元に力を入れて笑った。
面会時間の終わりが迫る頃、
「雨に降られた」
鋭い眼光のまま、端的に事情を語る。垂れ下がる前髪を掻き上げて元のオールバックに直した。
丸椅子は一瞥するだけで座らなかった。長身を活かし、直立の姿勢で慶太を眺めた。
「好きなゲームを否定して悪かった」
黙考するように口を閉ざす。やや目を伏せた。ネクタイの位置を正し、左手首の腕時計で時間を確認する。面会時間は十分を切っていた。
「私は頭が固いのだろう。周囲に合わせることも苦手だ。空気を読むというのか、あまりしたことがない」
独白に近い言葉を連ねる。唇を引き締めて、ふと緩めた。
「家族サービスを意識したことがない。これで良いとは思っていないが、修正案が思い付かない」
眉根に深い皺を寄せる。一層、表情が厳しくなった。息を吐きながら眼鏡の中央を中指で押し上げる。
「慶太がいた時に考えたことはなかった。家族の歯車が一つ欠けただけで、全てが上手くいかなくなった」
思い直すように頭を左右に振った。垂れた前髪はそのままにして踵を返す。
「すまない。詰まらない愚痴を零してしまった。きっと雨のせいだろう」
やや背を丸くして直道は病室を出ていった。
機械音に満ちた静かな病室で慶太は眠り続ける。
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