行間 幸せなひととき

 どこかで、誰かの泣く声が聞こえていた。

 いや、違う。『誰か』、ではない。これは『自分の』泣き声だ。

 それを自覚するのと同時、ミィヤは『あぁ、またこの夢か』と朧気な意識の中で思った。

 自らが周囲の子どもたちと違っていると気づいたのは、はたして何歳のころだったか。少なくとも、小学校に上がるときには既に己の立ち位置は決まっていたように感じる。

 妙な語尾で喋る女子。モンスターの血を引くキモいやつ。いじめてもいい対象。

 子どもとは時として酷く残酷な生き物だ。ほんの些細な理由から、簡単に他者を迫害してしまう。できてしまう。

 だから、毎日毎日泣いていた。

 来る日も来る日も泣いていた。

 けれど、それを両親に伝えたりはしなかった。

 大好きな父と母の血を継いでいることを、誇りに思っていたから。混血であるが故に辛い目に遭っているなど、知ってほしくなかったから。そのことで、二人に負い目を感じてほしくなかったから。

 今にして考えてみれば、父も母もとっくに見抜いていて、遠回しに気遣ってくれていたのかもしれない。

 だとしても、当時のミィヤにとって両親の前で普段通りに振る舞うというのは何よりも重要だった。

 人気のない場所を見つけては、悲しさも、悔しさも、情けなさも、一切合切を涙と一緒に心の外へと押し流し、まぶたの腫れと目の赤みが収まった頃合いを見計らって家へと帰るのだ。

 その日もそうだった。

 花が散り、誰からも興味を示されなくなった桜の木の下で膝を抱えて泣いていた。

 ただ、いつもと違っていたのは、


「どうしたの? 大丈夫?」


 一人の少年が話しかけてきたことだ。

 不格好なまでに大きなその帽子は見た覚えがある。近所に住んでいる同い年の子だ。


「何でもないニャア。ほっといてほしいニャア」


 拒絶の感情を隠しもせず、目の前の少年に言い放つ。

 喋り方を矯正するようなことはしなかった。今更取り繕ったところで、どうせ新しい物笑いの種にされることは分かりきっていたから。

 しかし、


「放っておくなんてできないよ。だって、すっごく悲しそうなんだもの」


 言葉とともに、少年の指が目尻にたまった涙を優しく拭う。

 滲む視界の向こうに見えた少年の顔は失礼な物言いに対する不満でもなければ、猫少女への嘲笑でもない。

 そこにあったのは、相手を気遣う柔らかな笑顔だった。


「ね? よかったら、一緒に遊ぼうよ。辛いことがあったなら、そんなの吹き飛ばすくらい目一杯、さ」


「え? ちょ、ちょっと………!?」


 きっと、返答など初めから求めていなかったのだろう。

 少年はミィヤの手を引いて立ち上がらせると、そのまま日の光の下へと連れ出した。そして、『何して遊ぼっか?』と無邪気に問いかけるのだ。

 繋いだ手を離すことなく、強く握りしめたまま。

 それから、二人して日が暮れるまで遊んだことを覚えている。

 泥んこになったお互いの顔を見て、笑い合っていたことを覚えている。

 今となっては、いつの出来事だったか分からないほどに遠い遠い昔の記憶。

 けれども決して忘れ得ぬ、大事な大事な彼との思い出。

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