1-8 月明かりの廊下にて

「失礼しました~」


 理事長室の扉を閉め、リリアは解放された安堵感から長く長く息を吐く。

 あの後、日々也が女子寮で暮らすにあたっての決まり事を話し合っていたため、この場所を訪れた当初よりずいぶんと時間が経過していた。とっくに夕日は沈み、代わりに月明かりが暗くなった廊下を照らし出している。

 綺麗な満月だった。ふと、元の世界でも今日は満月の日だったことを思い出し、日々也は注意深く夜空を見つめる。

 特に変わったところはない。月が複数あったり、空の色がおかしかったりもしない。星に関しては月の光で見えなかったが、そもそも星座に疎い日々也では例え星の位置が違っていたとしても判らなかっただろう。

 あまりに差異のない光景。こうしてみると、自分が異世界にいるなど到底信じられなかった。


(まぁ、それでも実際こうして訳の分かない状況なんだから、そういうわけにもいかないよな………)


 頭の片隅で、ぼんやりとそう結論づける。

 諦観とも無関心ともとれる思考。別にそんなつもりはないのだが、どうしても淡泊になってしまうのは現実感の薄さ故か。

 それでいて、これからどうなるのだろうという不安感だけはあるのがもどかしい。

 その気持ちの悪さに日々也が窓の外を渋い顔で眺めていた時、


「……ごめんなさい」


 ぽつりと、謝罪の言葉がかけられた。


「何がだ?」


「その……今回のことですよ。ヒビヤさんがこっちの世界に来ちゃったことも、私と一緒に暮らす羽目になったことも………全部、私のせいじゃないですか。許されることだとは思ってませんけど、それでも謝っておこうと思って………。本当に、ごめんなさい!」


「………別にいい。謝られたからって、元の世界に帰れる訳でもないしな」


 責任を感じて深々と頭を下げるリリアに対し、日々也の物言いは少し冷たいものだった。機嫌が悪いというわけではなく、元々ぶっきらぼうな言い方が多い性格というだけなのだが、出会ったばかりでそのことを知らないリリアはばつの悪さに視線を泳がせる。


「で、でも………やっぱり……」


 それでも未だに申し訳なさそうな様子でリリアが言い淀む。

 本気で謝罪などどうでもいいと思っている日々也はため息交じりにどうしたものかと考えを巡らせ、ひとまず話題の切り替えを図った。


「だから、いいって。それより、さっさと外に出て……」


「ご飯ですか!?」


 途端、言い終わるよりも先に伏見がちだったリリアが顔を上げる。目を輝かせながら何かを期待するような表情を見せる姿は、もはやマイペースを通り越して無邪気と言った方が正確かもしれない。


「おい、さっきまでの反省の色は何処へ行った!?」


 謝らなくてもいいと言った日々也ではあったが、さすがにここまであっさりと態度を変えられては話が別だ。

 眉をつり上げて睨みつける日々也にリリアは軽く身じろぐと、


「う……い、いや、晩ご飯がまだですから…その………」


 そう言いながら、ぎゅっとお腹を押さえる。

 半ば呆れた様子で日々也が自分の腕時計を見やると、針はすでに7時半を回っていた。月の昇り具合から考えると、日本と日々也たちが今いる国とは時差があまりなさそうなので、お腹が空いていても仕方がないだろう。事実、日々也自身もまた空腹を感じているところだった。


「それで、何を食べに行きます?」


「その前に日用品だ。僕にこのまま裸足で過ごさせる気か? それに、歯ブラシとか服とかも買っとかないとな」


「なんだか主夫みたいですね」


「誰のせいでこんなことになったか言ってみろ」


「うぅ……ごめんなさい」


 またもしょげかえるリリア。こうしてみると本当に子どものようだが、実際は日々也と同じ16歳とのことだった。日々也がそのことを知ったのはついさっき、理事長室での話し合いでこの学園に通うようにと理事長に言われた時である。

 理由は二つ。一つは、魔法の知識だけでも身につけておけば何かの役に立つかもしれないということ。もう一つは、さすがに日中、男子を女子寮に一人きりにさせるのは問題があるからということだった。

 ちなみに、二人が同い年であることを知った理事長の計らいで編入先はリリアと同じクラスに決定している。それを言い出したときの笑顔は腹立たしいものだったが、多少なりとも知っている相手と一緒というのは純粋にありがたくもあった。


(元の世界に帰るまでは、こいつと学園に通うことになるのか………)


 日々也は改めて明日からクラスメイトとなる少女を眺めてみた。自分より20センチは小さいだろうか。顔立ちも幼く、仕草や性格も相まって実年齢より子どもっぽい印象を受ける。


「それにしても、16歳とは思えないくらい小さいよな………」


 何ともなしに思ったことを率直に呟く。

 瞬間、その一言に機敏に反応したリリアは日々也へと向き直り、


「誰の胸が『ひんそー』ですかっ!?」


「身長の話だ、バカ!!」


「なっ!? ゆ、誘導尋問なんてずるいですよ!?」


「誘導もしてないし、尋問もしてない! お前が勝手に自爆したんだろ!」


「ヒ……ヒビヤさんが急に『小さい』なんて、誤解を招くようなことを言うのが悪いんですよ!」


「僕のせいにするな! っていうか叩くな!」


 思わぬことで自分のコンプレックスを暴露してしまったリリアは勘違いしたからなのか、胸が小さい気にしている事を口にしてしまったからなのか、顔を真っ赤にして日々也を殴りだす。

 痛くはないが、こうしていると本当に16歳なのかと疑わしくなってくる。

 しばらくすると暴れ疲れたらしいリリアは腕を下ろし、


「うぅ…よけいお腹が空いちゃいました。とりあえず、学校を出ましょうか。ご飯が先にしても、お買い物が先にしても外に行かないことには始まりませんし」


 言うが早いか、リリアは返答も聞かずにさっさと廊下を歩き始めた。それを見て日々也は慌ててその後を追いかける。

 この学校は小中高のエスカレータ式らしく、やたらと広い。女子寮から理事長室まで随分歩かされ、階段の位置もまともに覚えていない日々也からすれば、リリアに置いてけぼりにされて校内で迷子などという間抜けな状態にはなりたくなかった。

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