第5話(1)

 エイジが星奈と暮らし始めて、初めてのメンテナンスの日がやってきた。

 といってもやってきてからまだ一週間は経っていないから、予定になかったメンテナンスだ。

 エイジと暮らし始めたばかりで慣れないことが多く、気になることもあったのだ。ということで、真野たちが気を利かせて来てくれることになった。

 これからのことを考えると、いろいろ聞いておくべきだろう。

 真野と長谷川は星奈の家に着いて勧められるままお茶を飲んですぐ、作業に取りかかった。


「……エイジって、ロボットなんですね」


 長谷川が医者が診察するみたいにエイジのシャツをめくってお腹を見て何かすると、エイジの目は虚ろになり、動かなくなった。


「忘れてましたか?」


 星奈の隣に腰を下ろしている真野は、面白がるように聞いてきた。つい正座してしまっていた星奈は、足の位置を変えながら首を傾げた。


「忘れていたというより、あんまり考えたことがなかったんです。エイジのこと、ロボットだなんて」

「それはエイジが人間っぽいということですか?」

「そういうことじゃなくて、エイジはエイジっていうか。でも……」


 力なくうなだれ、長谷川に手や脚をぷらぷらとさせられている姿を見ると、ロボットなのだと実感させられる。ロボットというより、人形だ。

 動いて話していた存在が、そうして力をなくして動かなくなっているのは、見ていて何だか妙な気分がする。怖いのとは違う、でも決して快いとは言えない感情がわいてくるのに、星奈は目をそらせずにいた。


「身体に異常はないみたいだね! 関節に変な音もないし。まあ、研究所を出て数日しか経ってないからね」


 ひとしきりエイジの身体を確認すると、長谷川が元気よく言う。


「んじゃ、お前の仕事だけか」

「そうそう。これから、中身の確認だ。ガワ担当の真野の出番はないな」

「中身も何もないといいな」

「どうかな。何もないのも考えもんだ」


 真野と軽く会話すると、長谷川は再び作業に戻った。胴部分に触れ何やらブツブツ言うと、エイジの四肢に力が戻り、目に光が宿った。


「真野さんがボディ担当で、長谷川さんが中身……人工知能の部分の担当ということですか?」


 黙って見守っているのが落ち着かなくなって、星奈は尋ねた。口にしてから、中身のない質問だと自分自身で思ったけれど、真野は特に気にした様子はない。


「そうそう。元々畑違いの我々が、力を合わせてやっているというわけです。私は人形を作る人、彼がそれに中身を入れて安定させる人なんですよ」

「そうなんですね」


 真野も長谷川も、どうやら“人工知能”という言葉は使わないらしい。それはまるで、彼らがエイジの中身をただの作り物だと思ってはいないようで、星奈は感心する。


「エイジ、起きてるか?」

「起きてる」

「それなら、我々との約束を覚えているか?」


 意識が戻った様子のエイジに、長谷川が呼びかけている。顔を近づけ、目を覗き込むようにして声をかけているし、エイジの目がまだ虚ろだから、何だか催眠術でもかけているかのように見える。


「やく、そく……約束。覚えてる、大丈夫だ」

「そうか、忘れるな。忘れたら、モニターは終了するからな」

「わかってる」


 いつもは大きな声で話す長谷川が、小声で問いかけている。それが儀式っぽさを増していて、星奈は不思議な気持ちになった。


「約束って、ロボット三原則みたいなものですか?」


 星奈は、エイジが忘れてはならない約束とは何だろうかと考える。忘れたらモニターを終了するという不穏な言葉が気にかかったのだ。


「あー、うん。そんな感じかな。ロボットが人と暮らしていくには、忘れてはならないことがありますからね」

「たとえばどんなことですか?」

「自分は人間ではないこと、ですね。これを忘れたら、即刻回収です」


 真野がさらりと言うだけに、星奈は怖くなった。そして、たった数日一緒にいただけで、エイジを手放すのが嫌になっているのだと気づかされる。

 期間限定なのはわかっている。それでも、“回収”という形で別れなければならないのは嫌だ。


「そんな心配そうな顔しなくても、大丈夫ですよ。本人も気をつけるでしょうし、我々としても期間いっぱい見届けたいと思ってますから。我々も、彼とした約束があるんですよ」


 星奈はきっと、不安そうな顔をしていたのだろう。真野がなだめるように言った。


「約束……」


 不思議な響きのするその言葉を、星奈も噛みしめてみた。

 契約でも規則でも、ましてやプログラムでもない。人間ではないことを忘れてはいけないというのに、彼らとエイジをつないでいるのは、人間と人間との間でしか成立しないように感じられるものだ。


「よし。終わりましたよ! 異常なし!」


 小声でいくつか質問をしただけで、長谷川のメンテナンスとやらも終わってしまった。すっかり目が覚めたらしいエイジは、固まった身体をほぐすかのように首や肩を回している。


「モノレールに乗ったときのエイジの発言ですが……あー、うん。おそらくは知識と経験を履き違えたのでしょう! 人間も、知っているだけのことと実際にやったことがあることを、たまに頭の中でごちゃまぜにするでしょ? あんな感じです、たぶん」


 かなり気になっていたことなのに、長谷川はそんなふうに軽く一蹴してしまった。そんな簡単に片づけていいのかと、星奈は不安になる。


「メンテナンスっていっても、機械につないでどうのってわけじゃないんですね」


 見ていて感じたことを率直に口に出しただけなのに、なぜか真野と長谷川はビクッとした。アイコンタクトを取る目はバシャバシャと泳いでいて、怪しいことこの上ない。とはいえ、彼らが怪しいのは最初からで、こうして家に上げている今も怪しいとは思い続けているけれど。


「ああ、うん。そういうのもやるときはやるけど、今日は何もないことを確認しにきただけですからね!」

「そうそう。やるとしたら、そのときは場所を変えるか牧村様には席を外していただかなくては。何せ企業秘密ですから」

「そうですか……」


 一線を引かれた気がして、星奈は口をつぐむしかなかった。

 エイジに接する態度を見て彼らに対する評価を改めていたから、勝手に心の警戒を少し解いていただけに、そうして距離を取られるとちょっぴり悲しくなる。

 でも、あくまで研究所の人間と、彼らの作ったもののモニターなのだから仕方がないことは理解している。


「我々としては何も問題ありませんでしたが、牧村様は何か気になることや、疑問に思っていることはありませんか?」

「そうでした!」


 話の流れを変えようと真野は言ったのだろうけれど、その言葉で星奈は大事なことを思い出した。あわてて冷蔵庫に貼っておいたメモを取ってくる。


「あの、聞きたいことというか、確認したいことがあったんです。まず、エイジのできることとできないことなんですけど」


 星奈は真野たちに尋ねようと思ってメモしていたことを、ひとつひとつ確認していくことにした。


「まず、どのくらいの重さのものまで持てるかなんですけど。今後、私のバイト先で手伝いをしてもらうことがあると思うんですけど、そのときにどの程度のことまでさせられて、どこからは無理なのかの基準になるので」


 幸香から話を通していて、エイジがお好み焼き屋に顔を出すことは決まっている。店長がエイジに無理をさせることはないと思うものの、お荷物にならないためにできることとできないことははっきりさせておくべきだろう。


「重いもの!? そっか……重いものねえ。エイジ、お前、重いもの持てそうか?」

「わからない。やってみる」


 全く想定していなかったのか、長谷川はエイジ本人に尋ねている。尋ねられたエイジも首を傾げながら、おもむろに星奈のそばまで来て、その身体を抱き上げた。


「大丈夫。セナのことは持ち上げられた」

「ちょっとそれ、どういう意味!?」


 突然持ち上げられた恥ずかしさと、その直前まで“重いもの”の話をしていたことを思い出した怒りで、星奈は真っ赤になった。けれども、エイジは涼しい顔をしている。


「俺にとっては、セナが持ち上げられただけで十分だ。これで、いざというときセナを助けられる」

「そ、そういうことなら……」


 うっすらと微笑みすら浮かべて言われてしまえば、星奈も言い返すことができない。二人のやりとりを見て、真野と長谷川は大笑いした。


「では、おそらく五十キログラム未満のものなら持てるということで。他に確認したいことは?」

「えっとですね……エイジ、もういいから下ろして」


 メモを確認しようにも抱っこされていては様にならないと、星奈はエイジをつついて下ろしてもらう。照れてしまったもののエイジにそういう気はないのだから、照れるだけ何だか損だ。


「お風呂というか、身体を清めることは可能なんでしょうか? やっぱり普通に過ごしていても汚れるときは汚れると思うので、できればきれいにしてあげたいんですけど」


 一緒に暮らしていて、エイジはどうやって身体を清潔にするのだろうと気になっていたのだ。でも、星奈に問われてすぐ、真野はブンブンと首を振った。


「お風呂は無理です! というより、水に濡れること自体を避けてもらわないと。人型をしているだけで、言ってみれば家電かでんですから」

「そっか……家電なんですね」

「そうですよ。家電を丸洗いしようなんて人はいないでしょう? それと同じことです。といっても、ずぶ濡れにさせなければ軽く水拭きくらいはしても構いませんよ」

「わかりました」


 真野の言葉に、星奈のエイジに対する見方が変わった。今まで彼を家電だとか丸洗いしてはいけないだとか思ってもみなかったから、当然といえば当然だ。


「それと、最後の確認なんですけど……エイジのことは、どのくらいの人にまでなら紹介しても大丈夫ですか?」


 一番気になっていることを、ようやく星奈は口にした。

 幸香のことも店長のことも、事後承諾ではあるものの許可してもらった。でも、星奈の中でそれが少し、モヤモヤしていたのだ。よかったのだろうかと、不安な気持ちが残っていた。


「そうですねえ……牧村様にお任せします」

「え?」


 真野と長谷川は少し考え込んで目配せしてから、そうきっぱりと言った。そのあまりの雑な答えに、またさらに星奈の不安は増す。


「いや……お任せというのは、あまりに乱暴でしたね。それなら、こう考えてください。牧村様は今、エイジの保護者のようなものです。保護者として、エイジを危険にさらさないよう心がけるなら、どの程度の紹介に留めますか?」

「危険にさらさないように……」


 思ってもみなかったたとえに、星奈は言葉につまった。それに対して、今度は長谷川が口を開く。


「まあそんなの、親の危機意識に幅があるから一概には言えませんよね? この世が安心安全で悪い奴なんかいないって信じてる親なら、自分の子供の写真や動画をネットにバンバン上げる。ちゃんと危険があるってわかってる親なら、絶対に上げない。つまり、そういう話です」

「上げません! SNSにも動画サイトにも絶対!」

「その上げないって約束をしてくれて、それが絶対に守られる人間関係の範囲に留めておくべきってことですよ!」

「……わかりました」


 語気が荒いわけではなくただ声が大きいだけなのだけれど、長谷川の言葉は星奈の胸に突き刺さった。

 なりゆきとはいえ、簡単に幸香に打ち明けてしまった。幸香が店長に話すというのも、簡単に了承してしまった。

 これがもし、この二人のどちらかに星奈との常識のズレや軽率さがあれば、今ごろエイジはネットにさらされていたかもしれない。

 それがどういうことをもたらすか予想できないだけに、今になって背筋が凍る思いだ。


「まあ、もし何かあれば回収するだけです。回収したあとにいくら『よくできたヒューマノイドロボットがいてさ』なんて話題にされたところで、こちらとしては痛くありません。ただ、牧村様がモニターでなくなるだけです。その場合、当然報酬はなしということで」

「わかりました。……打ち明ける相手は選びます」


 報酬がなくなるのも痛いけれど、何よりやはりエイジを回収されてしまうことが嫌だった。そのことを考えるだけで、胸の中が激しく揺さぶられる。不安で落ち着かなくなる。


(ああ、私、エイジが来てから情緒が大分安定したんだ……だから、いなくなるのが嫌なんだ)


 自覚すると、何だか複雑な気分になる。けれど、同時にきちんとしなくてはという意識も生まれた。


「とはいえ、完全に秘密にしろとは言いません。コソコソして欲しいわけではないですし」

「そうです! 牧村様の友達も交えて、エイジに人間生活ってものをさせてやってください!」

「わかりました。楽しめるように、でも内々に留めて、うまくやっていきます」


 星奈がきちんと考えてから頷くと、真野も長谷川も安心したような顔になった。

 よく考えれば、星奈が軽率な行動をとってエイジのことが思わぬ知られ方をすれば、真野たちはかなりの損失になるはずだ。エイジは彼らにとっては研究の成果で、これからビジネスになっていく大切な商品でもあるのだから。

 けれども彼らはエイジの情報が漏洩して経済的損失を負うことよりも、エイジの身に何かあることを心配している。


「お二人の大事なエイジをお預かりしているので、今後はもっといろいろなことに配慮してから行動しようと思います」

「そうだよー。エイジは我々の金ヅル……じゃなくて金の卵なんですから!」

「まあ、金にならなきゃ我々も困るって話です」

「……そうですか」


 せっかく感心したのに、凸凹研究者コンビは歯を見せて笑う。やはり、胡散臭いことこの上ない。でも、胡散臭くても、金ズルだと言っても、彼らがエイジのことを大切に思っているのは隠しようがない。


「引き続きよろしくお願いします」

「エイジ、バイト頑張れよ」


 初めて会った数日前と同じように、真野と長谷川は驚くほどあっさりと帰っていった。

 エイジも特に里心がついた様子もなく、あまり表情がないまま二人を見送った。

 何を考えているのか、メンテナンスはどんな感じだったのか聞いてみたい気がするけれど、そんなことをしている暇はない。

 星奈は今からのことを考えて気合いを入れて、エイジに声をかけた。


「さて。じゃあそろそろ、私たちも準備しようか。バイトだよ、エイジ」



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