第3話 踏み外した恋
それから、週一のペースで
金曜の食事のあと、当たり前のように連絡先を交換し、お互いの勤務形態や時間を教えあった。
都兎はまだ実家暮らしで、独り暮らしが羨ましいと言っていた。
都兎はいつ会っても可愛らしく身形を整え、化粧をし、左手の薬指に指輪をしていた。
「婚約指輪なの」
と、ある日都兎は言った。あまりに私が見過ぎていたからだと、都兎は続けた。
その時の衝撃を、私以外の一体誰が分かるだろうか。否、分かるはずもない。
小さいけどダイヤモンドよとか、結構高いんだからとか、優しいひとでねとか。聞きたくもない話がどんどん溢れてきた。でもいつか聞かされるだろうとも分かっていた。それでも会っているのだから、自分から針山に投身自殺しているようなものだ。
それでも私は、就職してからより一層硬くなった表情筋を頼りに、どうにか平気な口調で躱し続けた。
「惚気は結構」
「惚気なんかじゃないよぉ」
都兎は、またくしゃりと頬を染めて笑った。
幸せだけれど、身を二つに裂かれそうなほど辛い時間でもあった。
都兎と別れる度に、何で会っているんだろう、と自分に呆れた。
彼女は既に誰かのものなのに。
私のものになる未来は決してないのに。
しては、いけないのに。
ちゃんと分かっている。分かっているからこそ、ずっと彼女のことを見ていても、関わろうなんてしなかった。
人伝に聞いた進路で同じ大学を選んで、バイトを始めたと聞けばこっそり見に行って。もうそれだけでも頭がおかしいって、分かってる。やってることはストーカーだって、ちゃんと自覚してる。
七年も前に振られた、しかも同性の彼女のことをいつまでも引きずってるなんて、気持ち悪いを通り越して異常だって、全部分かってる。
分かってるけど、止められない。なんでこんなに好きなのか、自分でも分からないくらい好きで、……好きで、どうしようもない。
もうこれだけ時間が経てば、それが恋とも呼べない別の何かなんだろうということも、分かっているくせに、思いきれない。
だって、都兎が変わらずに笑ってくれるから。
「髪伸ばしたんだね。同じくらいだ」
そう。長さも、髪を切るタイミングさえ同じにしたの。
「あれ、
そう。鏡を見ながら歯を磨く度に、都兎を思い出すのが辛くて、変えたの。
「スマホの機種一緒だ。ぐーぜん! 見せて?」
そう。最新だからって答えたのは、勿論嘘。知ってて同じ機種にしたの。
「璃桜変わってないなぁ。何だか私まで若返った気分」
そう。全然変わってない。……変われないの。
あの日、顔も忘れた養護教諭の男に都兎を奪われてから、ずっと。
偽物の笑顔で差し障りのない回答ばかりをしながら、心の中で気味の悪い
そしてそんな頭のいかれた異常者が、脳内で時折囁くのだ。
奪ってしまえばいい、と。
私も一度は奪われた。だから一度なら奪い返す権利があるだろう、と。彼女を手に入れれば、この無意味で果てのない苦悶も終わるはずだ、と。
「……バッカじゃないの」
心の底の底から毒づく。そうしなければ、簡単に危険な一歩を踏み外してしまいそうだった。
否、もうとっくに、踏み外しているのかもしれない。
毎日、毎日、自分を嫌いになった。
けれど、最悪はまだ残されていた。
いつものように都兎からの可愛らしいメッセージで会いに行った週末。オーガニック野菜を売りにしたお店の個室でランチを注文したあと、都兎が思わせぶりな顔で切り出した。
「実はね……」
「なに?」
また彼氏の話だろうか、とげんなりした心中を隠して問い返す。
「妊娠したの!」
「――――」
爆弾を、落とされた。
数秒、身動きが出来なかった。思考が完全に停止して、都兎のきらきらと希望に満ちた瞳だけを見ていた。都兎が何か言って欲しそうに見返してくるから、それでやっと、何か言わなければ、と思った。
妊娠。婚約者との。
それはつまり、彼女の順風満帆の輝かしい未来が、確定したも同意で。
「…………お、めでとう」
絞り出した祝福は、呪いかと思うほど耳障りで歪だった。けれど都兎はそれすら気付かないほど上機嫌なのか、はち切れんばかりの瑞々しい声で「ありがとう!」と喜んだ。
「ずーーーっと欲しかったんだよね、子供!」
「…………そう」
両手を合わせて破顔する都兎に、蚊の鳴くような小さな相槌を返す。それが、今の私の精一杯だった。
きっと、赤子を抱く都兎は、聖母子画のように美しいだろう。慈悲の微笑を浮かべ、世界一幸福な顔で赤子に頬擦りするだろう。そこに余人の付け入る隙は無く、世界は完璧で、邪な私の目は潰れてしまうかもしれない。
それほどに、私は諦めが悪い。
都兎の願いが子供だと知った今でさえ、そこに自分がいる姿を想像してしまうのだから。
でも、それは私との子供じゃない。女同士では子供は作れない。
子供でも知ってる、厳然たる事実と無垢な望みが、私を完膚なきまでに打ちのめす。
結局、都兎が私から離れていくのは、最初から決まっていたことだったのだ。あの養護教諭が現れるまでもなく。
都兎は、あまりにも女の子らしくて、あまりにも残酷だった。
「まだ妊娠二か月なんだけどね」
二か月前なら、私たちが再会する一月くらい前だ。
「安定期までは……あと三、四か月くらい?」
スマホをテーブルの上に置いて、プレママ向けのネット記事を見せてくれる。
「彼には全然話してないんだけどね」
ぽんぽん、とまだ少しも出ていないお腹に手を当てて、彼女は言う。
「ね、璃桜はどっちがいい? 男の子? 女の子?」
満面の笑みで、都兎が幸せの象徴のような問いを私に向ける。
悪魔に見えた。
その日以来、私は都兎と会うのを止めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます