ロリータ公女とロリコン執事

K.バッジョ

【序章】【幼い公女とロリコン狼】

 白い壁と赤いレンガ屋根を基調とした建造物が建ち並ぶ大通りを、ただひたすらに走り続ける。

 視界の両端には色とりどりのパラソルが開き、その下に置かれた椅子とテーブルには、街の人々が思い思いに腰を下ろし、少し早めの昼食を取り始めていた。

 鼻孔を擽る匂いはどこかの軽食店プシスタリアが提供している羊肉の串焼きスヴラキの匂いだ。


「そういえばそろそろ昼飯時だったな……」


 街を散策中のお嬢様もそろそろ昼食ランチの店を探そうとする頃合いだろう。


「さっさと障害を排除して、お嬢様に昼食を楽しんでもらわないと……」

『前方百メートル、不審者は六人』


 通信機インカムを通して仲間の声が届く。


「……目視で確認。マスクで顔を隠していてどの勢力か分からんな……抑えるか?」

『ん。後のことは国際刑事警察機構特別に連絡しておく』

「分かった。後始末はエマに任せる。……真上まかみはく、不審者の制圧に取りかかる」


 インカムから聞こえる相棒の声に返答した俺は、腰に差した刀の柄に手を掛ける。

 下半身に溜めたバネを解放し、地を蹴って一瞬で不審者たちの前に飛び出した。


「神妙にしろ、誘拐犯どもキッドナッパーズ!」

「な、なんだっ!?」

「こ、こいつは標的集団ターゲットの護衛執事! 『ロリコンのシロ』!」

「誰がロリコンだ。俺はただ年端もいかない少女に美を見出しているだけだぞ」

「それがロリコンじゃなくて何だってんだ!」

「少女愛好をロリコンなんて言葉で一括りにして侮蔑するのはナンセンスだ。俺の信条は『イエス、ロリータ、ノー、タッチ!』だからな!」

「結局ロリコンじゃねーか! まぁいい、こいつを殺せば標的は丸裸だ! 野郎ども、ぶっ殺しちまえ!」


 リーダーらしき男の指示に従って、誘拐犯たちは一斉に引き金を引いた。

 短機関銃が奏でる軽薄な発射音が街中に響き渡ると、昼食を楽しんでいた民間人たちが悲鳴をあげて逃げ惑う。


「ったく、お昼時に迷惑なやつらだ!」


 浴びせられた数十の弾丸をかわし、地面を蹴って誘拐犯たちに肉薄する。


「ちっ、なんだこいつの動き……! 狙いが定まらねぇ!」

「ハッ、近接戦闘で銃なんか使うからだよ! こういうときは……!」


 地面を擦り上げるように振るった刀で、誘拐犯の右腕をたたき折った。


「ギャッ!」

「安心しろ。峰打ちだ!」


 軽口を叩きながら、俺は刀を振るい続ける。

 そしてきっかり一分後。


「ぐ、ううっ……痛ぇ……くそ、てめぇ、ぶっ殺してやる……!」


 折られた両腕の痛みに涙目になりながら、それでもしぶとく威嚇してくる男の頭を蹴り飛ばす。


「命があるだけ有り難いと思えよ誘拐犯ども。お嬢様に念を押されてなければ、おまえたちの首は斬り飛ばすつもりだったんだからな。慈悲深く、美しくてキュートなウチのアンジェリクお嬢様に感謝しておけ」


 武装した誘拐犯たちをぶちのめしたところに他の仲間からの通信が入った。


『よぉ子犬パピー。そっちの調子は?』

「こっちは制圧完了。そっちは?」

同じだよMe too。西アジア系のごろつきが五人だ。どうやらおまえの主人の客みたいだぜ?』

「そうか。こっちは――」


 地面に転がっている男のマスクを剥ぐと、金髪碧眼のむさ苦しい容姿が確認できた。


「金髪碧眼。使ってる銃は東側のものも混じっているが、顔つきは北米系だ。十中八九、そっちの客だろうな」

『やれやれ。うちのお嬢様方は人気者だ』

「アメリカ帝国の大財閥ヴァンダービルド家の『セシリア嬢』に、日本海洋共同体の複合企業、近衛インダストリアル社長令嬢の『咲耶嬢』、それに――」

『普及の進む新エネルギーを唯一産出する聖ソレイユ公国第三公女『アンジェリク嬢』のお散歩となれば、誘拐犯の見本市になるのも道理って訳か』

「そういうことだ」

『だがここ一ヶ月、いつにも増して来客が多すぎて、正直たまらんぜ」

「実家の動きに連動してお嬢様方の人気も上がるからな。で、お嬢様方は今は?」

『近衛の護衛がエスコート中だ。二人ともプロだから心配ないだろ。それよりも――』

「新手の掃除が俺たちの仕事だな。引き続き頼むぜ、カウボーイ」

『やれやれ。葉巻の一本でも吸う時間が欲しいものだ』

「老体に鞭ぐらい打てよ」

『うるせぇ子犬。俺はピチピチの四十代だぜ?』

「何度も言わせるなオッサン。俺は犬じゃない。オオカミだ」

『へいへい。分かったよ幼女好きの狼婆さんグランマ・ウルフ


 軽口を叩き合っているところに、仲間エマからの呼び出しコールが掛かる。


『シロ。十分後、アンジェリクお嬢様たちがエレフテリアス広場で昼食予定。東通り五百の位置に車両が三台。集団は中華三国連盟の内、東呉とうごに所属する特殊部隊と推定。小火器あり。危険度C』

「東呉ということは咲耶嬢の客か。他には?」

『今のところ確認できず』

「了解した。俺とビリーで対応する。いけるなオッサン?」

『やれやれ人使いの荒いこった。後方からフォローする。近接戦は任せるぜ』

「分かった。五分後に仕掛けるから遅れるなよ?」

『誰に言ってんだよ子犬。俺はプロだぜ?』

「頼りにしておいてやる」


 通信を切り、刀を鞘に戻した俺は、目的地に向けて足を踏み出す。


「さて。次の連中を始末すれば、俺もようやく昼飯にありつけそうだ」




 シロたちが新たな敵を排除するために移動を開始した頃――。

 護衛執事たちの主人である十二歳の少女たちは、広場のフードスペースに腰を落ち着けて昼食を楽しんでいた。


「今日はお客様が多いようですわね」


 呟いたのは、濡れたように艶のある黒髪を持つ少女だ。

 特徴的な民族衣装――鮮やかな色合いの着物で小さな身を包み、洗練された所作で白磁のカップに注がれた紅茶の香りを楽しむ黒髪の少女は、楽しげに言葉を続ける。


咲耶さくやの実家は今、大陸進出に伴う技術開示について中華三国連盟に圧力を掛けられていますから。その関係かもしれませんわ」

「それだけじゃないわよ。実はウチの実家も今、アメリカ民主連合とかなり揉めてるらしいの。ほんとメーワク!」


 肩を竦めながら言葉を返したのは金髪の少女だ。

 太陽を反射して煌めく金髪は、少女の動きに合わせて子馬の尻尾のようにゆらゆらと揺れ動いている。

 大胆に胸元が開いたノースリーブにショートパンツという、いかにも活動的な少女が好む服装で、足をパタパタと動かしながら黒髪の少女――咲耶に同意を示した。


「でも、一番大変なのって……」

「私、でしょうね。二週間後に聖ソレイユと中東連合の『新エネルギー貿易交渉』が控えていますから。悪い人たちが集ってくるのも仕方がないのかもしれません」


 金髪の少女とは対極にある高貴なロイヤル銀髪シルバーを、つい、と耳に掛けた少女は、事もなげに答えながら紅茶のカップに口を付けた。

 白いカップに淡い桃色の唇を添えられる様はどこか扇情的で、輝く銀髪と相まって少女の美しさを際立たせている。


「ですが私たちの家人かじんならば、しっかり護衛してくれることでしょう。特に心配する必要もありません」

「うちのビリーに近衛このえ家の鞆江ともえけい、それにソレイユ家のエマと、アンジェが一番信頼してるシロ。みんな優秀だもんね」

「べ、別に一番信頼しているということはありません。信用はしていますけど……」

「うふふっ、照れるアンジェ様もお可愛いですわ」

「咲耶。人をからかうのはやめてください」

「あら。これは失礼致しましたわ、アンジェリク・ド・ラ・ソレイユ第三公女殿下」


 咲耶と呼ばれた黒髪の少女は、悪戯っぽい微笑みを浮かべて頭を下げた。

 友人なのによそよそしい呼ばれ方をされて傷ついたのか、アンジェと呼ばれた少女は表情を曇らせる。


「もう……咲耶はいじわるです」

「アハッ! 仕方ないよアンジェ。アンジェをからかうと面白いんだもの♪」


 飲んでいた紅茶を吹き出した金髪の少女が、ケタケタと笑い声をあげた。


「セシリアまでそういうことを言うのですか?」


 楽しげに言葉を交わす少女たちの横で、メイド服を纏って控えていた二人の侍女が、周囲の様子に気を配りながら小声で言葉を交わしていた。


「……誘拐犯から狙われとるのに、平然と昼食後のティータイムを楽しむなんざ、ほんま十二歳とは思えん方たちやなぁ。肝が据わっとる」

「さすが近衛のお嬢様でござる。それがし、改めて忠義を尽くすことを誓ったでござる」

「……まぁその気持ちも分かるけど。他のお嬢様方もさすがに只者やないな……」


 年相応の表情で会話を楽しんでいるように見えて、三人の少女の口から出てくる単語は厳めしい。

 政治、経済、国際情勢に紛争問題。

 一般人ならば、これほど重いテーマの会話を昼食中に交わすことは無いだろう。

 だが残念なことに少女たちの立場は、一般人という枠組みからはほど遠かった。


 アメリカ帝国――通称『米帝』と呼ばれる帝国の大富豪の孫娘。

 美しい金髪を靡かせる少女、『セシリア・ヴァンダービルド』。


 日本国及び東アジア諸島共同体――通称『日本海洋共同体』の議長国・日本を代表する大複合企業『近衛インダストリアル』会長の孫。

 艶やかな黒髪を持つ少女、『近衛咲耶』。


 そしてエネルギー産業を百年進歩させたと言われる新エネルギー『ヌーヴェルコロニウム』を産出するヨーロッパの小国『サンソレイユ公国』第三公女。

 陽光を浴びて七色に煌めく高貴なロイヤル銀髪シルバーを持つ少女。

 『アンジェリク・ド・ラ・ソレイユ』。


 列強と称される国の政治中枢に食い込む勢力の一員として、少女たちは幼い頃から厳しい教育を課され、無邪気な時間をすり潰されて今を生きている。

 それが幸なのか不幸なのか。

 護衛であるかつらけいにとって、それは知る由もない。


「……で? シロたちの状況はどうなっとるん?」

「エマからの報告によると現在交戦中、とのことでござるが」

「さよか。まぁシロとビリーの二人なら何とかするやろ。お嬢様方のお散歩が終われば、あとは寮に戻ればええだけや。ようやく一息吐けそうやな」

「その通りでござるが、気を抜いてはならんでござるよけい

「分かっとるて。鞆江ともえはお固いなぁ」


 呆れたように言葉を返したとき、桂は談笑する少女たちに近付こうとする小さな人影に気付いた。


「お嬢ちゃん、こっちに来たらアカンで~」


 ふらふらと近付いてきた少女の行く手を柔らかい言葉で遮った桂が、少女が持つ小さな箱を見て目を見開いた。


「……ちっ! 鞆江、お嬢様たちを!」


 叫んだ桂はすぐさま少女が手に持つ箱を蹴り上げた。


「きゃっ!」


 小さな悲鳴をあげながら倒れ込んだ少女を無視し、メイド服のスカートをまくり上げた桂は、太股に装着したベルトからクナイを引き抜く。


「みんな伏せや!」


 手短に叫ぶと、手にしたクナイを素早く投擲し、蹴りあげた箱に命中させた。

 その瞬間――。

 轟音と共に空気が震えて地上にいる人々の鼓膜を叩いた。

 群衆の悲鳴が上がるなか、桂は少女を抑えつけながら通信機で仲間に指示を出す。


「エマ! すぐに迎えにきぃ! お嬢様方を寮にお連れすんで!」

『了解』

「鞆江はお嬢様方の安全の確保! それと特別班に通報や!」

「わ、分かったでござる!」


 相棒の返事を受けて、桂は組み敷いた少女に向き直る。


「さぁて。子供を使った自爆テロやなんて、古臭い上に胸くそ悪いことをするのがどこの組織なんか、調べさせてもらうでお嬢ちゃん」

「あ……」


 桂に威圧され、声を絞り出そうとした少女のすぐ傍で地面が弾けた。


「……っ!! 狙撃!」


 後方の相棒に報告を飛ばすと、桂はすぐさま少女から飛び離れた。

 それを追うかのように銃弾が少女に降り注ぐ。


「ちっ……! 貴重な幼女を使い捨てとか、外道げどうが!」


 小さな身体が銃弾が浴びせられると共に地面でバウンドし、容赦なく少女の命を消滅させたことに、桂は激しく舌を打ち鳴らした。


「お嬢様方、少し我慢してや……!」


 自分の肉体で弾丸を防ぐ気概で、桂と鞆江は少女たちに覆い被さる。

 容赦なく降り注ぐ弾丸が舗装された道に穴を穿つ。


「エマ! まだ到着せんか!」

『あと十秒』


 インカムを通して聞こえる声を追いかけるように、桂たちの耳にスキール音が飛び込んでくる。


「来たでござる!」

「アホ鞆江! うかつに顔を上げな!」


 相棒の頭を抑えつけた途端、今まで鞆江の頭があった場所を弾丸が掠めた。


「お、おお。すまんでござるよ桂」


 お礼を言う鞆江の横に急停止したリムジンの扉が開かれる。


「エマ、ナイスタイミングや!」

「ん。お待たせ」


 言葉少なく答えたエマと呼ばれた少女が、自分たちのあるじに乗車を促す。


「完全防弾だから中は安全」

「さぁお嬢様方! 早く乗るでござるよ!」

「ええ。ご苦労ですわ鞆江。さぁアンジェ様、セシリア様。お先に」

「感謝します、咲耶」

「サンキュー咲耶。先に乗るわね」


 咲耶に促されて少女たちが車に乗り込んだ後、鞆江と桂は自分の主である咲耶を抱え込むように車に飛び乗った。


「エマ、出すでござるよ!」

「ん」


 コクンッと頷いたエマは、素早い操作でシフトレバーを操作し、目一杯にアクセルを踏みつける。


「きゃあ!」

「こ、こらエマ! 急に車を発進させるやつがあるかでござる!」

「ごめん」


 鞆江の抗議を受けて、エマは車を急停止させた。


「きゃあ!」


 再び、車内で少女たちの身体が翻弄される。


「シートベルト」

「し、しばし待つでござるよ!」


 転倒した少女たちを座席に座らせると、鞆江と桂は二人がかりでシートベルトを装着させた。

 その間にも車は襲撃者の弾丸に曝されており、雹に打ち付けられたような鈍い音を車内に響き渡らせる。


「お嬢様方が金と技術とコネの全てを注ぎ込んだ特注品のリムジンでござるぞ。アサルトライフル如きで抜かれるはずがないでござる。対戦車ミサイルジャベリンでも外装をへこませるのがやっとのシロモノでござるよ。しかもこの車、関係者の指紋声紋光彩など様々なバイオメトリクスでセキュリティを固めた、完全無欠のパーフェクトくるまでござる! 弾の無駄でござるなわはは!」

「鞆江のアホー! 厄介なフラグを立てるなーっ!」


 桂がツッコミ台詞を言い終わるかどうかのところで、車両は轟音に包まれた。


「対戦車ミサイルの存在を確認。回避行動に移る」


 そう言うとエマは再びアクセルを踏みつけて車を急発進させた。

 甲高いスキール音を発した車体は、ぐんぐんと速度を上げていく。

 車を追いかけるように着弾する対戦車ミサイルが、舗装された道路に大穴を穿つ。


「あいたたたた……頭! 頭を打ったでござるよー!」


 後頭部を押さえてのたうち回る鞆江を横目に、桂が後部座席から背後を確認する。


「ひのふのみ……後続三台! 車から乗り出して撃ってきとるな。エマ、反撃するから窓開けえ!」


 車内に備え付けられた銃器を構え、窓に身を寄せた桂だったが、


「桂。反撃の許可は出せませんわ」


 主の言葉に思わず目を見張った。


「せやかてお嬢!」

「反論は許しません。民間人を巻き込む可能性がある以上、こちらからの反撃はきつく禁止致しますわ」

「ぐっ……了解ですけど、またぞろ対戦車ミサイルでも撃たれたら、どうなるか分かりませんよ?」


 車体に直撃したところで、特注の防弾車がどうにかなる心配はない。

 だが当たり所が悪ければ車体が横転してしまうだろう。

 そうなった場合、主を無傷で護るのは至難の業だ――そう訴える桂の言葉に、主である咲耶は同意する。


「そうかもしれません。でも大丈夫ですわ。ねっ? アンジェ様」

「……はい。シロは必ず追いつきます。任せておけば大丈夫でしょう」


 澄ました表情で答えたアンジェリクの横で、窓に頬を密着させて後方を確認していたセシリアが声を上げた。


「シロが来た! うちのビリーもいるわ!」


 パッと花が咲いたように表情を明るくしたセシリアが、車載された通信機を引っつかんで声を張った。


「ビリー、GO! 全員蹴散らしちゃいなさい!」




「うへっ! ウチのお嬢のテンションが爆上がりだ」

「何か言われたのか?」

「全員やっちまえ、だとさ」

「さすが米帝のお嬢様。言うことが豪快だ」

「友には尽くすが敵には容赦しないってのがヴァンダービルド家の家訓だからな。しっかり働かにゃクビにされそうだ」

「だったら気張ってくれよ、オッサン」

「うるせぇ、俺ぁいつもいつでも気張ってるよ!」

「そう言うなら根性入れてスピードを出してくれ。車の屋根に飛び移る」

「ったく、ボリジョイだとかシルクドゥソレイユだとか! てめぇも俺も曲芸師じゃねーんだからよぉ!」


 盛大に文句を垂れながら、ビリーはアクセルを捻って愛馬に鞭を入れた。

 V型ツインエンジンが特徴的な咆哮を上げると車体の速度が一気に上がり、主たちの車に追いすがる車両との距離を縮める。

 車内の者がリアガラス越しに接近に気付くまで、そう時間は掛からなかった。


「ちっ、気付かれたぞ子犬パピィ

「今更だ。それよりもっと近付いてくれ」

「無茶言いやがって!」


 散発的とはいえ銃弾を浴びせられる状況で、ビリーは愛馬ファットボーイの速度を上げた。


「弾に当たるようなマヌケはすんなよ!」

「当たるかよ」


 吐き捨てるように言ったあと、俺は溜めていた全身のバネを解放して並走する車両の屋根ルーフに飛び移った。

 衝撃を受け止めながら車の天井にしがみ付く。

 天井から伝わってくる車内の怒声と混乱の中、俺はバランスを取りながら立ち上がり、腰間の刀を抜き放つ。

 そのとき車内の奴らが屋根に向けて銃を撃ち放ってきた。


「当てずっぽうで連射すりゃ、居場所を教えることになるんだマヌケ」


 銃弾が頬を掠めるが、些細なことだ。

 天井に穴を空けて自分の居場所を告白してくれたマヌケの場所に向けて、逆手に持った刀を突き刺すと、柄を握る掌に鈍い手応えが伝わってくる。


「まず一人」


 突き刺した刀を引き戻すと、予想通り切っ先は鮮血に濡れていたが、拭うこともなく次々と車内に向けて刀を突き立てる。

 都合四回、車内に向けて刀を突き立てたところで車両はコントロールを失い、ふらふらと蛇行し始めた。


「オッサン!」

「おう!」


 他の車両からの攻撃を避けつつ、警棒を使って車両の窓をかち割ったビリーが、割れた窓に音響閃光弾フラッシュバンを投げ入れた。

 車内で炸裂した音響閃光弾によって、ビリーが相手をしていた車両がガードレールに激突する。

 その頃には俺はビリーが運転するバイクのリアシートに場所を移していた。


「あと一台、さっさと処理するぞ」

「応よ。だがこいつら妙にしつけぇな? 仲間がやられて状況が不利になってんのに、まだ標的に拘ってやがる」

「勘ぐるのは後だ。今はお嬢様たちに集る蠅を始末するのが仕事だぞ」

「だがよぉ。礼状を持ってくるだけのマヌケな特別班職員ポストマンに任せていたら、証拠が逃げ出すんじゃねーか?」

「俺たちには警察権も無ければ逮捕権もない。学院生の実家がイラクリオ市に多額の寄付をする代わりに島での自衛権をねじ込んでいるだけだ。どうしようもないさ」

「悪も正義も金次第ってか。全く、やるせないねぇ現実ってのは」

「愚痴を言うのは老けた証拠じゃないか?」

「こういうのは愚痴じゃなくて賢人の嘆きってんだよ。覚えとけ子犬」

「どっちにしろ戯言だな」


 軽口を叩きながら、俺たちは最後の一台に向けて距離を詰める。

 だが――。


「ありゃ? 敵さん、いまさら撤退するみたいだぞ?」


 お嬢様方が乗る車両の追跡を諦め、ハンドルを切って横道に逸れたことを確認し、ビリーはバイクを止めた。


「誘拐が目的じゃなく、脅しが目的だったってことか?」

「さあな。ナンバーは?」

「あー……無理だな。外してやがる」


 街中で標的を誘拐しようとする輩だ。

 例えナンバープレートを着けていたとしても偽造ナンバーだろう。


「エマ。こちらハク。敵二台撃破。一台は逃走。追撃はしない」

『了解。こちらは寮に帰還予定』

「ああ。後始末のあと、俺も戻るとお嬢様に伝えてくれ」

『ん。またあとで』


 同僚エマからの通信が終わると共に、パトカーのサイレンの音が聞こえてくる。


「おっつけ、クリティ島の警察も来る。状況報告がまた面倒なんだよなぁ……」

「目撃した事件をおまわりさんに説明するのも、善良な市民の義務だろ」

「分かってるけどよ。俺ぁ説明ってのがどうも苦手で」

「気持ちは分かるがな。……それよりビリー。最後の一台の動きをどう見る?」

「妙にしつこくお嬢たちに追い縋っていたが、最後はすんなり退いたみせた。まるで俺たちの動きを探っていたように感じたな。誘拐であれ脅しであれ、面倒な玄人が動いているのかもしれん」

玄人プロか……」

「うちのお嬢が狙いなのか。それとも咲耶嬢が狙いなのか、はたまたおまえの飼い主が狙いだったのか。まっ、『天才ジーニアス』エマ・ルクレール嬢に任せておけば、おっつけ判明するだろさ」

「かもな」


 肉体の緊張を解すように肩を回すビリーの言葉に頷きを返したあと、俺は腕時計に視線を落とした。


「十四時過ぎ……見事に昼飯を食い損ねた」

「仕事優先とは言え、さすがに腹が減ったよ。事情聴取が終わったらどこかでテイクアウトでもしようぜ」

「そうだな」


 ビリーの勧めに賛同した俺は、近付いてくる警察官たちに敵意が無いことを示しながら、一連の事件の聴取に付き合った――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る