第31話 絵画のトム先生
グラフィックデザインの専門学校に通っていたころ、絵画のクラスがありました。唯一パソコンを使わないクラスで、デッサンや水彩画や油絵を習いました。担当の先生のお名前はトムといいました。
ちなみに、私が通ったメルボルンの専門学校では、先生方をファースト・ネームで呼び捨てでした。先生のことを、「トム」とか「ジョン」とか、呼び捨てするんですよ。最初はめっちゃ違和感ありました。夫の大学でもそうだったので、メルボルンはそんな感じなのかもしれません。
それはさておき、トム先生は、絵でちゃんと食ってるアーティストでした。卒業して二十年近く経ちますが、今でもご活躍されているとウワサで聞きました。
卒業間近、私は就職が決まりました。メルボルンの小さなデザインスタジオに、見習いデザイナーとして雇ってもらえることになったので、胸を張ってトム先生にご報告しました。
そのとき、トム先生の反応があまりにも意外だったので、今でも覚えています。
「それは残念だねぇ。」と言われたんですよ。そして、本当に残念そうな顔をしてらっしゃいました。
トム先生にとっては、商業的な仕事に就くこと=自由でなくなること、という認識だったのかなと思います。できれば、教え子みんなにアーティストになって欲しかったのかもです。
私はアートで食べていけるような人間ではないし、そういうことに興味もありませんでした。なので、就職できて単純にうれしかったです。でも、トム先生の不可解な反応は、今でもよく覚えています。
若者が、一人また一人と、資本主義に魂を売って行くのを見るのが、本当に残念に思われたのだと、当時の私は解釈しました。ここまで書いて、いや、それおかしくない? と気付きました。
グラフィックデザイナーを育てる学校で、グラフィックデザインの仕事に就いた生徒に向かって「残念だねぇ。」って、いやいやいや、おかしいだろ、それ(笑)。
そこまで現実離れした先生ではなかった気が……。若かりし頃の勘違いだったのかもしれません。真相は謎です。
トム先生は、きっと覚えていらっしゃらないだろうなと思いますが、またお会いする機会があったら、どういうお気持ちで「残念だねぇ。」とおっしゃったのか、伺ってみたいなと思っています。
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