第百七十三話 全国展開

「おはよう。ごめんなさいねミド、寝床を貸して貰っちゃって」


 ちゃっかり泊まっていったフォルトナは、家主からは何をしても恐縮されるばかりである。

 一応、彼女なりの考えはあった。新しい世界での予行として人間と触れ合っている。


「あなたたちは席を用意してあげる。東城は私と一緒に来てね」

「なんで俺だけ。俺もジェネットさんたちのそばにいる」

「見届ける責任があるわ。これから世界はかたちを変える。とある男が望んだからよ」


 東城はジェネットたちを寂しそうに見回し、


「何をしんみりしてんのさ。見届けたら帰ってくればいいじゃん」


 そうなのかとフォルトナにきくと、もちろんと大きく頷いた。


「済んだらあなたたちの家に送るから安心して。あ、サービスでこの村のかたちは変えないであげる」

「神様にそんなに優遇してもらうなんて……東城、失礼のないようにするんだぞ」

「ミドさん、こいつらには失礼も何もありません」

「だめですよ。ちゃんとお行儀よくしていなくちゃ」

「いえ、ですから」

「いいから行けよ。フォルトナ神、そいつうるさいからさっさと連れていってくれ。いまだに嫌ったり信じないだなんだって言い張るからこうなると長いんだ」

「……扱いに慣れてますね」


 雛菊は呆れたが、バンローディアのそのやり方は見習いたいところである。


「それではまた後で」


 東城が一礼すると、神と男の姿は消えた。そしてジェネットたちのいる場所もミドの家ではなくなった。


「な、なんだこれ」


 バンローディアは見た。眼下に広がる村を。ほんの少し前までいた家がある。


「これが特等席……高いところは嫌いじゃねえが」

「バンさん! 雛菊さんが気絶してます!」

「私もしそうだ。ミドさん、その子が落っこちないように抱えてくれない?」

「うん。でも、かなりの高さだ。とんでもないことだよ」

「やべえなあ。まじでイカれそうだ。しかし……朝ごはん、食べそびれたなあ」


 気分を和ますための冗談だったが「ど、どうしようお父さん。朝ごはん」と本気になって心配している。


「昼にたくさん食べよう。今は何が起こるのか見ておかないとね」

「見たいけど、お腹も減るよ」

「そんなに長くやらないでしょ、多分。根拠はないけど」


 足場のない空中に浮いている。しかし踏みしめられる何かがある。そういった状況に冷静でいられる精神はほとんどの人間が持ち得ない。






「それじゃ詠唱開始」


 東城が連れてこられたのはいつもの真っ白な空間ではなく、日本上空、しかも彼が住んでいた街で、さらに借りていた物件の真上だった。


(およそ上空百メートル。さて、何が行われるのか——ああ、俺はたしか玄関端で死んだのだったか)


 その場所を観察しても当然死体はない。季節は春先で、やや時間のズレがある。


「おい、俺はこっちでの死後どうなった」


 とフォルトナに声をかけた。彼女たちは何か呪文のようなものを唱えている最中であり、返事の代わりにきつく睨まれた。


 幕末、明治と日本全土が大きな変革を迎えた直後である。国や個人がその将来をどうしていくべきかを必死に考えるような時代に、歴史を覆すような事態が起こった。


 まずは全国に奇妙な魔法陣が敷かれた。地上、海上、樹上、山上、あらゆる場所に発光する陣が現れ、次は建物や石などの無生物に刻まれる。小動物から家畜へとそれは増えていき、最後は人だった。魔法陣が描かれた部位は様々で、東城のいる空へもその困惑と悲鳴が聞こえるようである。


「……いいのか、これ」


 詠唱は続いている。先ほどよりも熱を帯びていた。


『十二の柱 十二の門 敷かれし十二の未知の道 みなこの世の中に生きるが定め 願いし者も 願わぬ者も』


 呪詛のようにも聞こえたが、福音のようでもある。東城は耳を覆いたくなったが、神の何人かが自分を見ているような気がして、仁王立ちになって腕を組んだ。


『誰の世でもなく 我々の 神魔龍獣 人鳥虫魚』


 強者に幸あれ! と誰かが自分の胸を剣で突き刺し、下界に血を降らせた。そのものだけがやっていたので、興奮してのことだろう。


「詠唱終了ー。他にも呪いとかかけたい人は自由にしていいわよ」


 終わったかに見えたが、またぶつぶつと呟く連中を尻目に、フォルトナは東城の腕を引いた。


「なんだ」

「見て」


 指を弾くと、そこに鏡が現れた。何枚かあるが、そこには地上の有様が映し出されている。

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