第百二十九話 三人目

 教会の表玄関は夜中でも開きっぱなしである。いつでも巡礼者を迎え入れるための準備であるが、この日は招かれざる客がいる。魔法の照明が小さく灯る中、駐在する信者の目を盗み、東城は客間を抜けた。そこから廊下が伸び、どの部屋にシーカがいるのかはわからないが、無人であるのは幸運だった。


 どこにもいないでくれとも思う。しかし見つければ躊躇しないだろう。そんな矛盾した自分の精神状態に安心もした。緊張も震えもなかったためだ。


 ドアに耳をつけ、中の物音をきく。それを何度かするうちに、すすり泣く声が聞こえてきた。それは廊下の先にある勝手口の外からだ。


 そっと開き、周囲を窺うと小さな背中がある。小さな庭園になっていて、二人がけのベンチで目をこするシーカがいた。ここで薬草を育てたり、花を愛でたりするのだろう、月光がその風光明美を艶やかに演出してるこの場所を、東城は血で汚そうとは思えなかった。


「失礼する」


 声に驚き、少女は戦士の機敏さでベンチから飛び退いた。


「……九郎、さん? どうしてここに」

「藤枝から頼まれたのだ。見知った顔がいればお前も安心するだろうと。俺よりも適任はいただろうが、あいつも参っているようで、断ることもできなくてな」

「——そうだったんですね。ありがとうございます」


 どうぞおかけに。とベンチに腰をおろすよう勧められた。


「いや、夜風も冷たくなってきた。部屋に戻ろう」

「ではお茶を淹れますから」


 一人でいると泣くことしかできない。それがわかっているために東城から遠ざかろうとはしなかった。


 シーカの自室に通され、茶を飲んだ。月よ隠れろと何度も念じたが、やや欠けた月は成り行きを見守るようにそこにいる。


「……圭は」

「あいつはアランを探しに行った。本来なら俺の座るここにあいつがいるべきだ。すまん」

「いいんです。こうと決めたら真っ直ぐな人ですから」

「近頃は厄介続きだ。この剣ではどうにもできんな」


 剣をかざして軽く微笑んだ。「腕はないが度胸はそれなり。しかし、まいった」


 何をそんなに困っているのかと、シーカはお茶を飲むカップをそのままに、上目遣いで問う。


「慰めることもできんからよ。泣かれると弱いんだ。それこそ、この剣ではどうにもならんだろう」

「ふふふ、泣いてなんかいませんよ。さっきのは、目にゴミが入っただけです」


 この談笑を藤枝の代わりに続ければ、シーカの心は鋼のように強固になるだろう。このままチェインに肩入れすれば、アランやレントを失った藤枝にも元気が戻るだろう。


 しかし、そうはならない。


「シーカ。藤枝は弱っている。その支えとなっているのはお前だ。今までも、これからも」

「改まって言われなくても、そのつもりです。あなたもそうなってくれると嬉しいんですけどね」

「お前がいなくなれば、あいつは立ち直れないだろう。だから」

「わかっています。九郎さん」


 シーカと同調するように東城は微笑む。「正しく名乗ろうと思う」


 どこか恭しく、剣の切っ先は天井を向いている。何かの宣誓のような格好である。


「名乗るって、九郎さんのお名前ってことですか?」

「ああ。東城九郎という。聞き覚えはないか」

「東城……どこかで」


 シーカの瞳の色が変わった。顔から血の気がひいたその刹那、部屋の壁に飛び散るほどに血が瞬いた。


「——あ」


 肺を貫いた剣の柄を、シーカは細い指で握った。足に力が入らず、後退りをしてベッドに倒れ込んだ。


「喋ると傷が痛むぞ。それに、治癒の魔法を使っても無駄だろう。戦場で見たぞ、そういう傷は痛みを和らげることしかできない」


 フォルトナの使者。とシーカは恨みのこもった視線で呟いた。


「違う。神とやらのいさかいに巻き込むな」


 最後の足掻きか、少女のどこにそんな力があったのか、剣を引き抜き、身を持ち上げた。


 魔法で痛みを和らげながら、諦めたように東城を見上げる。


「殺しなさい、東城九郎。でも必ず、必ず圭があなたを殺すわ」

「安らかな顔をするな。教えてやる。アランは殺して土に埋めた。レントは後ろから斬った。揃いも揃って無様に死んだぞ」


 呪詛が吐かれるより早く、東城の拳がシーカの頬に突き刺さる。ベッドに押し倒し、事切れた少女から服を剥いた。


 シーカの表情は怒りと苦悶に歪んでいる。寂しさをごまかすために泣き、自分に親切を施した彼女を、東城は床に転がした。


 返り血と物音、周囲の人間の気配までを気にする余裕がずっとあった。裏口の庭園を抜け、彼は自分の巣に戻った。その巣も、他人から奪ったものになっている。

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