第九十五話 背後の男
東城は自分の言葉を嘘にしなかった。
深夜、彼は人気ない道を自警団の松明を避けながら、チェイン教会に向かっている。
昼間の曇天が続いている。ジェネットたちが寝静まる前に、
「今日も行ってきますので。犯人の名前や格好なんかを知っておきたいので、そのようにします」
と、口を割らせる手口こそ説明しなかったが、殺しはしませんとだけ付け足した。
教会まで百メートルほど手前で自警団の数名が張り込みをしているようである。
(……いかん。落ち着け)
あれも斬れば楽ができる、と思ってから剣の柄に触れるまで一瞬だった。手を軽くふって自分の殺人衝動を抑え込み迂回した。
裏口には施錠されており、距離を考えれば大きな物音がすればすぐに自警団がやってくるだろうから破壊もできない。
ノックで釣り出そうとするも、それをするには剣を抜かなくてはならない危険がある。殺しはしないと誓ったその日である、今日くらいは避けたかった。
(……自警団と鉢合わせさせようか。それで、揉めているところを全員殺す。そうすれば殺したのは俺ではなく連中の抗争としてカタがつくかもしれん)
路地での思案をやめて実行に移す時、バンローディアの顔が浮かんだ。
(きっと俺がやったと見抜かれる)
実は、心にとある作戦がある。チェイン信徒になりすまし、フォルトナへの恨み言でも吐けば信用されるかもしれないというものだ。酒でも飲ませれば犯人のことも聞き出せるかもしれない。
しかし性格と過去がそれを許さない。
(俺だけが苦労して解決するのならばそれでいいが……俺が、この俺が)
何かにすがる連中の真似事を。考えただけでも背筋が凍る思いがする。
やれば楽になる。いやしかし。とあぐらになっていると、背後に人の気配がする。
「あんた、こんなところで何やってんだ」
金属のこすれる音がする。剣を差しているのだと思った。振り返らずに拳を固めながらこたえた。
「酔って吐きそうなんだ。座っていると気が紛れる」
「家はどこだ。送ってやる」
「いや、結構」
握った拳に自然と力が入った。路地はやや埃くさく、月は半分も出ていない。
周囲の光も届かないためにほとんど真っ暗である。
しかし背後の人物からはくすぐったい視線が飛んでくる。観察しているのだとわかった。
(夜目。足音はなく、剣を持つか。それにこの臭いは)
「結構ってことはないだろう。具合が悪いなら、近くの教会に運ぶよ。四つん這いかむしろ立ったほうがいいかもしれないぞ。その姿勢じゃかえって辛いだろう」
親切心が言葉にはある。受け手次第ではお節介だろうが、東城には酔いなどよりもよほど不快であった。
(この暗さで俺が見えるか)
拳を解いた。その男が顔色をうかがおうと覗き込んでくるのがわかった。
近寄られると、嗅ぎ慣れた赤さが鼻につく。
「酒の匂いがしないぞ。まさか病気じゃないだろうな」
東城は民家の壁に手をつき、立ち上がった。その男の正面に体を向ける。
「お前が何者かわからんから用心をして嘘をついた。酔ってはいない」
「ああ、それもそうか。こんな時間だもの。本当にいらないお節介だったな」
怖がらせてすまん。とその場を立ち去ろうとするその男の肩をとっさに掴んだ。
「どうした?」
「俺はこの匂いを知っている。酒よりもあとに残る。人によっては酒よりも好む。取り憑かれる。そういう匂いだ」
「おかしな男だな。意味がわからん」
体捌きだけで肩の手を払った。武芸者のようである。
「血の匂いがするぞ。貴様か、近々の殺しは」
立ち振る舞いとその香りで断定した。男は目深にフードを被り、ローブのためにそのシルエットは大きいが、背は東城よりも低い。
剣の柄だけがはだけたローブの隙間から出ているが、その奥にはかろうじて鎧が見えた。
「チェイン教会と繋がりフォルトナ信者を殺しているのは貴様だな」
「……血の匂いだけで決めつけんなよ」
「体捌き、歩法、暗視。明らかに闇夜に殺しをするものの技だ」
本当は俺が酒を飲んでいないこともわかっていたんじゃないのか。
そう告げると小さく笑った。
「あんた、フォルトナ信者かい?」
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