第六十八話 神の本領
「あなたって、同族をたくさん殺してきたわけじゃない?」
フォルトナはあれほど冗談やはぐらかしを使い東城をイラつかせていたのに、彼の白刃にも劣らない鋭さで会話を始めた。
「志士のことか」
「人間ってことよ」
「……まあ、それなりだ」
「ふふ、謙遜しなくてもいいのに。というわけで、それをして欲しいの」
そういう依頼も数多く受けてきた。暗殺でも正面からでも、それをしてきた。
しかし殺しの道具ではなくなってから十年は経っている。今更そんなことを頼まれるとは思わなかったし、ジェネットから伝えきいたフォルトナとはだいぶかけ離れている依頼だ。
断ればジェネットたちに危険が及ぶ。彼としては損しかなく、せめて理由を知りたかった。
「詳しく話せ」
「えー? どっちの世界でもあれだけ殺しておいて、理由を求める必要があるの?」
やってくれと金を渡され、すぐに片付けたこともあったが、それはまだ少年といっていい時期の頃である。
「理はいらない。しかしなんのためなのかは必要だ。俺のため、誰かのため、国のため。今回は誰かのためだが、彼女たちに説明をする。だから聞かせろ」
「へえ、意外と考えているのね」
眉間にシワを寄せた東城をからかい、
「偶然って嫌いなのよね」
「あ?」
「偶然も運命のうちなのよ。それを、なんだか私の領域から外れた理の解脱者みたいな……ムカつくのよ」
「何を言っているんだ」
「偶然を支配する悪神チェイン。彼女ったら、私があなたを連れてきたそのすぐ後に」
偶然にも私もそうしたところ。だなんて言うのよ?
フォルトナは笑んでいる。しかし東城の背筋には冷たいものが流れた。吐き気すらこみ上げてくる怨念があるようだった。
「うちの信者たちは悪神を崇拝する人たちを嫌ってるし、そこに転生して大いばりな奴がいたら尚更でしょう?」
「貴様がそんな態度だからだ。改めろ」
「いやです。いい機会だし、私もチェインを潰したいのよ。でも神がその転生者に力を与えていたとしたら面倒。だからあなたにはそいつをやっつけて欲しいってわけ」
「自分でやれ」
「そこなのよ。私が関与すれば、あっちもそうする。神の戦いだもの、たくさんの人が死ぬわ」
構うか。と一喝したくなったが、そのたくさんのうちに含まれてはいけない人たちがいる。
「そんなわけで、ふふふ、傲慢よねえ。私の憂さ晴らしのために、あなたに神託を告げるんだもの」
「神託じゃない。くだらん戯言だ」
「そういうことにしておいてあげる。もしやってくれたら、ご褒美もあるわ」
東城はいらないと即答したが、フォルトナは声のトーンを一つ上げて、
「元の世界に返してあげる」
と歌うように告げた。
全身がじんわりと痺れ、脈はいつもよりも早い。明らかな動揺を自覚してしまった。それが相手にも伝わり、満足そうな表情をさせてしまった。
「未練、あるわよね? 佐幕派のあなたが異例の若さで昇進。軍人としての将来、結構明るいんじゃない?」
死んだことはなかったことにしてあげる。それが嘘かどうかはわからないが、東城は異常な手の発汗に戸惑った。
「……まず、俺はどの派閥でもない。ただ——」
「ああ、いいのいいの。もうそんなことはどうでもいい。わかるでしょ? やらなければあの子たちが危ない。やれば幸せ。考えたり迷ったりするの無駄じゃない?」
まじまじと神の顔をみた。東城は自分が埃かごみのように、一蹴された言葉を集めることもせず一筋だけ涙をこぼした。
「下劣な女だ」
利用できるからそうする。命を軽んじている。この瞬間、俺を俺とすらも認識されていないのではないか。言葉にされないからこそ空想が止められない。
神と東城には確固たる隔たりがあった。底の見えない谷がある。頂の見えない山がある。理解の及ばない空虚な存在が、優しく微笑んだ。
「あなたにくっついているあの子は、その下劣で傲慢な女を愛しているようだけど?」
そして、ああそうだ、と手を打った。「あなたが懇意にしていたあの子、用意しましょうか?」
遡る記憶の速度そのままに、東城はテーブルの下にある脚を跳ね上げた。片足で天井までテーブルを跳ね上げ、落ちた先にはフォルトナがいる。
彼女はまた幻影となって姿を揺らし、壊れたそれと東城の暴挙を嘲笑った。
「思い出を汚すなってこと? 口で言えばわかるのに」
「そのチェインに与する者を斬ればいいんだろう。分かったから、はやいところ寝かせてくれ」
「あは、嬉しい。きっとそう言ってくれると思っていたわ」
戯れるように東城の抱きつくフォルトナだが、それを引き続き剥がそうともしない。神への嫌悪は畏れには変わらず、なお深い怨恨になって彼を発狂から救った。憎しみだけが、彼の頭を冷やしている。
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