第五十六話 樹上の観察者
東城の想像していた砦や要塞は、軍人の知識として成り立っている。まだ幕府があったころは城の石垣のイメージだったが、ベグのそれはやや西洋の小城にちかい。
丸太が針のように突き立てられ、堀のようになっている。分厚い壁としても機能するし、入り口が門一つだけと限定的である。奥に館が見えるが、そこまでいくのには迂回するか、もしくは正面から阻むものを皆殺しにしなくてはならない。
「あの、東城さん」
砦から二キロほど離れた山中の木の上である。ジェネットと隣同士でそれを眺めていた。
「どうかしましたか」
「こんなに離れていてわかるものですか」
「はい。はっきりと見えます」
集中しているのだろう、指でこじけるように目を見開き、まぶたが眉にくっつきそうなほどである。
「門のところにに二人いますね。そこを通って、小屋があるでしょう。さっきから出入りがある。第二の門としてか小さいが関所のような壁の区切れもありますね。どこか裏口があると思うのですが、ここからでは見えません。もう少し場所を変えましょう」
「むー、木登りはできるんですけど、あんまり細かくは見えません」
「多少の練習は必要ですが、あなたならきっとできますよ」
二人は同時に幹から飛び降りた。バンローディアの目の前であり「わっ」と声に出して驚いた。
「もっと静かにゆっくり普通に降りてきなよ」
これが一番早いので。と声が揃った。足にはなんの異常もないようで、どちらもバンローディアからすれば異常である。
それからいくつか樹上から見て回って、裏口らしきものを確認できた。さらに一際大きな小屋から、背の高い男の出入りがあることもわかった。
(あれがベグだろう)
筋骨隆々とし、薪割りに使うようなナタを抜身で持ち歩いている。他にそういうものはおらず、頭領だから許されているのだろうと思った。
(あれを仕留めたとしても、クイサさんたちを連れて逃げられるだろうか)
女三人と一緒に脱出しなければならない。ふもとの村までは距離がある。なるべくなら全滅させたい。
(数十人はいる。ジェネットさんをここらに置いていけばなんとかなるだろうが、いってもきかないだろうなあ)
ジェネットがちょんと肩を突いた。
「こういう時、東城さんはよく笑っていますけど」
「ああ、今のは違いますよ。あなたのいう普段の笑みは……死なないぞという空元気です」
「じゃあ、今は?」
「ええと、そうですね……」
ジェネットの場所を選ばない豪胆な性格をおもしろがっていたのだが、言葉にすればまたぐちぐちと責められると思い、それもおもしろくなった。山賊の根城に挑むために、心のどこかで興奮があるらしい。その興奮が、彼の精神を平常なものではなくしている。
「ジェネットさんを頼らずとも、なんとかうまくできそうな考えが浮かんだので」
誤魔化すために嘘をついた。子どもをあやすような嘘である。
「どんな考えでも、もっと私を頼ってください。私は祈祷師ですし、東城さんの保護者ですので」
(とうとう口にしたな)
そういう雰囲気はあったし、どうせそう思われているとも感じていたが、この自分の半分ほどもない歳の子にこうもはっきり言われると、また精神が平行ではなくなった。
喉で笑い、ジェネットを困惑させた。
「え、え? なんで笑うんですか」
「ふふっ。幕末から明治になって、まあ色々としてきましたが、そんなことを言われたのは初めてです」
「だって、だってそうじゃないですか」
「はい。俺はそれでいい。あなたが保護者だ。その護衛が俺です。持ちつ持たれつです」
また飛び降りた。上着を脱いで、バンローディアの鞄に入れておいてくれと頼んだ。
「なんで? 着てろよ」
「きっと汚してしまうので預かってください」
「わ、私が持ちますよ。それに汚れてもまた作りますから」
「では、お願いします。大切なものなので、注意してくださいね」
夜になってからの方がいいと思ったが、夜目のきかないジェネットのために白昼に挑むことにした。頭領を倒してもあとの連中に襲われては仕方がないので、全員を斬ることにした。
その作戦とはいえない案を口にしている途中、俺は軍人として何を学んだのだと恥ずかしくなったが、
「ともかく、皆殺しにします。相手は数十人。もし怪我をしても、斬り合いの最中には俺に近づかないでくださいね」
とまとめた。仮眠を取り、太陽が真上にある頃に仕掛けると言って、適当な木に背を預けて眠った。
「まじかよ。やろうとしていることもそうだけど、ここですぐ眠れるのも、ああもう全部がめちゃくちゃな気がする」
「……これ、大切なものだって言ってましたね」
抱くようにして持っていた上着に目を落とす。新しく見つけたほつれは、制作過程でのものだった。
「え? うん、言ってたね。あーあ、私も寝るかあ、眠れるかなあ」
既に東城は寝息をたてている。計画の荒さから逃げたようにも見える。
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