第三十五話 必要経費
基地は当然騒ぎになった。
騎士から二人も死者が出て、しかも気絶していた者は何も見ていないという。
「たしかにそれは俺の剣だ。仲間の血がついている。でも本当にやっていないんだ」
負け続けて短気を起こしたのだろうと詰め寄られ、泣きながら釈明している。東城たちはその騒ぎを何食わぬ顔できき、彼は事情を尋ねようとまでした。
「どうかされましたか」
暗がりの中、騎士のひとりをつかまえて聞いた。
「あ、ああ……。いや、あんたには関係ないことだから」
「もしや我々の商品に何か。もし不良品でしたら」
「違う。ああもう、こっちは少し忙しいんだ、あっちに行ってろ」
現場には騎士の垣根ができている。東城はその隙間をぬって近くまで行くと、ライネが検分をしている。
「あいつにこんな腕はない。やったのは他の誰かだろう」
そう判断したが、犯人の目星はつかない。よほどの達人でなければできない恐ろしい所業であり、そういう実力者は彼女の部下にはいなかった。
(我々ではない。とすれば)
「こ、これは」
呟きが聞こえた。東城である。
顔面は青ざめ、すぐに垣根から消えた。現場を任せ後を追うと、外れの方で吐いている。
「九郎さん、でしたね。大丈夫ですか」
吐いているのも、顔面の蒼白も、荒い呼吸も全てが演技である。自分たちが怪しまれないために行ったものだが、この手の工作も平気でできた。
「ライネ様……先の面倒を見てくださるという話はなかったことに。アレを見ただけで気分がおかしく……まったく好奇心も度が過ぎると」
剣に本気ならば面倒を見ると冗談を言われたことを引き合いに出した。余裕ぶった軽口だが内心では全くそうではない、という面倒な芝居をしている。
(我々の中にあれができるものは……。いないとすれば彼らだ。あの老夫婦には難しいだろう。娘どもに剣ができるとは思えない。数名の人足の中で、彼が最も腕が立つ——はずだが)
とてもそうは見えない。よろよろと立ち上がり、口元を手の甲で擦った。上着を汚さないためである。
「ここに祈祷師はおられないのですか。死者のために何かできることは」
(おかしい。何か、細工があるのか)
「あの、ライネ様?」
「え? ああ、祈祷師はいません。なので、とりあえずは皆でアンヘル神にと思っています」
(いねえのか。重畳、しかし)
もう数人、欲をいえば二桁を、と計画立てている。しかしこの調子で人が死ねば流石にバレるだろうと思い、明日の出立前に一人か二人くらいだろうと、悪い顔色を仮面にして、その裏で不気味に笑んでいる。
「そうですか。我々もご一緒してもよろしいですか」
「構いませんが」
ライネの顔つきが変わった。血の匂いは死者からではなく、目の前の女騎士から発せられている。
東城の鼻筋が、真横に斬られた。目の下を通り、耳のそばまで一筋の赤い筋が走り、痛みと同時に出血した。
あまりの早技である。しかし斬撃によってではなく、東城は自分の意思で鈍感に悲鳴をあげた。
(ん? 防ぎもしないのか)
「ひ、人殺し」
ライネはその口を塞いだ。東城の涙を拭い、苦笑いである。
「あの、すまない。てっきり……うん、これは確認のためだ。重要なことだったんだ」
東城の喚きで手のひらがくすぐったい。傷口に布を当て、喋るなよと脅して自分の天幕に引き込んだ。治療してやるからとヘラヘラしている。
「お前のところで買った薬があるんだ。考えようによっては、粗悪品かそうでないかこれではっきりするというものだ」
(イカれてやがる)
演技ではない涙である。傷もそうである。
「な、なぜこのようなことを」
「あの死体をつくったのがお前ではないかと思った。剣の腕を確かめるために斬った。受けるとか躱すとかすれば証拠になったが、棒立ちだったし、斬ると思ったところまでしっかり斬れた。まるで素人だった」
だが、と薬を塗る手に力を込める。
「素人くさすぎるな。強者が演じる弱者のように見えなくもない」
「言いがかりはよしてください……痛っ!」
「包帯を巻くからじっとしていろ」
「俺が人殺しなんてできるはずがない! 父や妹にきいてみればわかります!」
「喋るな。包帯がずれてしまう」
「そんな無茶な。弁明さえうぐっ」
腹を殴られ、そのまま椅子に座らされた。「黙って」
しばらくして、ライネは治療が終わるとお茶を淹れた。カップの横に幾らかの金がある。
「これは」
「詫びだ」
「黙っていろということですか」
「別に。言いふらしたければそれでもいい。斬ってごめん、そういう金だ」
(何が御免だ)
「それとも別で支払おうか」
「別とは……いえ、結構です」
ライネの下卑た笑みから察した。金も必要ないといって、お茶だけを飲み干した。
「帝国騎士のこの暴行はきっと広く流布されるでしょう」
「はっ。お前が二人も殺すからだ。隠蔽工作までしやがって」
「ですから……! ——もう結構です」
最後まで疑いは晴れなかった。そもそも疑っているのかどうかすら東城にはわからなかった。カマカケには引っかからなかっただろうと自分を騙し、ジェネットたちのところへ戻った。
「その傷……」
ジェネットは闇夜でもわかるくらいに動揺している。すぐに治療しようと手をかざしたが、
「我々は商人です。祈祷師ではありません」
「でも」
「あなたが驚くほどの傷です。一晩で消えたらまずい」
ね、難しいでしょう。と偵察の危険性を教えたが、これは東城の勇み足によるものでもある。イツも苦い顔だ。
「九郎、説明してくれ。なにがあった」
「犯人だと疑われました。死体の切り口からやったのはそれなりの剣士だろうと」
「ま、うちらのメンツを見りゃそうかもね。か弱い女の子とじいさんばあさんだから」
「老人ってほどじゃねえぞ。なあばあさん」
「あんたのほうが二つ上じゃないか。しかし騎士さん方の人選はよかったね、余計に疑われなくてすんだ」
「ええ。これくらいですんで本当によかった。それに」
ここには祈祷師がいないことも伝えた。すべて風の音よりも小さな密談である。帝国領を離れれば、任務は完了である。
(しかしあのライネって女、なかなか達者だ)
剣を交えればどうなるか、それをやってみたかった気もする。
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