第二十二話 覚悟の誘い

(へんな人)


 数ヶ月も一緒にいるのに、まだこの男がよくわからない。

 いつもはニコニコしてのんびりとしている。農作業には熱心だし、神学を教えればなるほどとうなずく。祈りも渋々ながらも付き合うし、何をするにしてもジェネットを一番に考えている。

 しかし、ファイとの衝突や敵兵を切った彼はどうだ、寒気がするほどの熱血漢であり、そして躊躇いが一切ないではないか。そういう男なのに、やけに人懐っこく、また自分をいつも立ててくれている。


(なんだろ、この感じ)


 下っ腹が疼く。同時に胸騒ぎもする。以前に東城が自分のもといた世界に帰ろうかと話をした時と似ている感覚が唐突にやってきた。

 原因は東城にある。しかし、普段この疼きは起こらず、また今回は東城の姿を見ていただけである。深くそれがなぜなのかを考えていると、いよいよ腹が熱くなる。


「うわわ、なんだこりゃ」


 服の下から腹に手を当てても、そこには何もない。いつも通りの腹があるだけである。

 鼓動も少し早いように感じた。風邪だろうかと額に手を当てるが、それもいつもの額である。疲れてはいるが具合が悪いわけでもなさそうだ。


「わっかんないなあ。なんなのかな、これ。バンさんに聞いたらわかるかな、薬草でよくなるかな」


 思いつきがひとりでに口から出ていた。東城の動きがその瞬間に止まった。

 ちょうど剣先が目線の先にあって、そこからゆっくりと剣を下ろす。


(あ、終わったみたい)


 畳んである上着を着て、汗だらけの顔を袖で拭った。ちょっとジェネットの姿を確認して、照れているのか恥ずかしそうにしている。

 お互いにどう挨拶をすればいいのかわからなかった。東城は近くに寄って、柵越しではあるが手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、月光を背中に浴びたまま無言でいる。その影に隠れたジェネットも、身長差があるのであごをくっと上げているが、言葉は出てこない。


「体は」


 汗が目に入った。それを軽く擦って髪をかきあげる。


「体は平気ですか。薬草がどうとかおっしゃっていたようですが」

(聞こえてたんだ)


 東城にはもう気迫とか闘志とか、そういう力強さはなくなっている。穏やかにニコニコしているだけの、どこにでもいる青年そのものである。


「もしかしてずっとここに?」

「ずっとじゃないですよ」

「そうでしたか。実は見られたくなかったのです」

「どうして?」


 はにかみ、年寄りのように柵を乗り越えた。「だって、見ていても面白くないでしょう。家でお茶を飲んでいた方がずっといい」


 帰りましょうと家のほうに足を向けるが、ジェネットは動かない。東城も足を止めて動き出すのを待ったが、何か言いたそうに唇を尖らせている。


「ジェネットさん?」

「んー、あの、えっとですね」


 手提げの袋を持っている。着物やタオルが入っていて、その紐を両手で持ち、揺らしている。


(真ん中のお姉さん! ごめんねフォルトナ様、今だけはバンさんに祈ります!)


 紐を振って肩に担いだ。片足だけ一歩前にだし、前傾になった。


「と、とーじょーさん。ちょっとこちらへ」

(なんの芝居だろうか)


 見得を切ったような格好になったのは、ジェネットの気合の表れで、本人にそのつもりがなくとも、東城には幼い雀がいざ大空へというように、小さな羽に力をため込んでいるように見えた。


「どちらにでも参りますよ。でも夜道ですので足元には気をつけてくださいね」


 これも気合のうちなのか、ジェネットはくるりと半回転し、肩で風を切るようにして歩いた。騎士の隊舎には門の前に見張りがいるのだが、ジェネットがやってくると、丁寧に一礼をして通した。風呂を借りるから通してやってくれという通達がハーベイから出ていることを知らない東城は恐縮して何度も頭を下げたためにジェネットに遅れ、


「早く、こちらへ」


 と振り返りもされずに叱られた。

 隊舎の廊下の突き当たりを曲がり、その奥に六畳ほどの脱衣所がある。間仕切りがあって、その向こう側に浴槽とシャワーが設えてあった。天井付近に窓があり、空がよく見える。


「風呂ですか。こちらにもあるんですね」

「どうぞ」


 お召し物をお脱ぎください。ジェネットは緊張して召使のような態度になった。


「んえ?」


 上擦ったその声は、悲鳴に近い。東城は己からこんな情けない声が出るのかとおもったが、どうにも切迫した自分がいる。


「ここまで来てしまったからには、お帰りなさいもお茶もご飯も省略します。さあ、お背中でもなんでもお流しします。どうぞお召し物を!」


 やけくそである。が、彼女の父親が忠告したように、不思議な度胸によって居直っている。


「あの、俺は水を浴びればそれいいのですが」

「さあ!」

(ミドさん、ではないだろう。きっとあの姉さまに教わったのだ)


 小躍りするその次女雀の絵が浮かび、恨めしくも滑稽で、東城は柔らかく微笑んだ。


「そんな下女のようなことはさせられませんよ。脱ぎますから、どうかいつものあなたでいてください」


 東城は上着を脱ぎ、適当な籠に入れた。元々は中にシャツを着ていたが、それはすでにジェネットの手により雑巾になり、今はミドのおさがりを着ている。


「ゔぁ」


 と、ジェネットは妙な声を出した。

 東城はシャツを脱ぎ、そしてズボンも下ろした。褌を締めている。だがジェネットをドギマギさせたのは、その下着の異様さもさることながら、陰影のある筋肉である。

 服の上からでは想像もできないほどにたくましく、褌に手をかけるその指、手首、腕と連なり肩まで隆起する岩のような肉体に、目を閉じることも忘れて見入った。

 肩から胸に斜めの傷がある。ジェネットは目に飛び込んできた痛々しく伸びた線を「それ」と指差した。東城も「これですか」と褌を解いた。


「ききたいですか」


 この男にしては勿体ぶる言い方をした。


「そりゃあもちろん。でもいいんですか」


 ジェネットは袖も裾も何重にもまくり準備万端である。


「せっかくジェネットさんが背を流してくれるのですから、いくらでも」


 手拭いの代わりに脱いだシャツを肩にかけた。

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