2020年10月月末(※約5000字)

 週明け間もなく、実に本来なら文化祭があったはずの日から1か月。

 美星高校PC部により制作された同校電子文化祭専用サイトが立ち上げられた。

 そこには他の文化部が用意した様々な作品が画像や映像で展開されていた。


 その一部として合唱部演劇部共同企画『オペラ部』による『蝶々夫人』の動画へのリンクもあった。この動画は9月末時点でアップロードされていたものに編集で歌詞の翻訳字幕を追加したものだ。

 動画系であれば、他にもアンサンブル部のリモート演奏動画、ダンス部のコラージュなども並んでいた。


 ――これで、美星高校の文化部の祭りは本当に終わってしまった。

 covid-19はワクチンの人間を対象とした治験の進捗が報じられている。各国は、その量産時の速やかな大量確保や無償での接種の話などをしている。

 だがそれでもまだ来春の定期演奏会ができるかはわからない。


 既に商業的な公演などは徐々に再開され始めている。

 だがいつ劇場から大量感染がおこって再度自粛の風潮が起こるかもわからない。今はcovidだけでなく、インフルエンザ流行への懸念もある。


 わからないながらも、定期演奏会の準備は始まっていた。

 構成は蝶々夫人のコンサートスタイルでの再現と、部の定番の合唱曲をマスク越しに歌う二部構成である。


 部活前の体温確認、手指消毒の徹底は続いている。音楽室のモップ掛けや窓ふきも、部員一同慣れたものである。


 りょうの部活生活は、若干居心地の悪いものになりはじめていた。

 明衣と未來、この2人との関係である。

 部活の休憩の度にどちらかがりょうに接触するようになっていた。

 それぞれと会話をする時間を作り、それぞれと異なる交流を進める。


 そんなある夜だ。

 りょうと明衣はいつもと同じように、りょうの家でゲームをしていた。リビングの床に隣り合って座り、画面を2分割しての協力プレイである。


「俺、二股してるのかな?」

 りょうは、ふとそんなことを明衣に尋ねた。これに驚いて明衣は聞き返す。


「え、先輩とヤったの?」

「そんな時間ないから」

「いや、学校のトイレとかあるじゃん」

「おまえ、どっからそういう発想が……ありえないから、っていうかキスもしてないから」

「キスって――そっか、ハグまでは夏にしてるんだもんね」

 りょうはやりづらそうに「そうだよ」返事をする。


「けど、私らだってそう、でもないか」

「マスク越しをノーカンにするか否か問題」

「ちゃんとしてもいいよ。なんなら今」

 これには、りょうがえーっとイヤそうにする。


「え、なに、やなの?」

「いや、俺さっき食ったのニンニク入ってたー」

 そういわれて、明衣はあっさり引き下がる。

「じゃあいい」


「ムードもない」

「まあね。けど、先輩とは清いわけだ」

「うん、一応」


「じゃあ違うんじゃないの? だいたい、向こうは受験生でしょ。それに私らだって来年の今頃は胃に穴が開く思いで勉強してるはずだし」

「そっか」

「それを考えたら、先輩にも気分転換は必要よ」


「まあそうだろうなあ。俺は歩くぬいぐるみか何かだってことか」

「なによそれ」

「ほら、よく言うだろう。ただの男子の友達だと思ってた人から告白されたら、ぬいぐるみにペニスが生えたみたいな感じになるって」


 これに明衣は、んふふふ、と声を殺したような笑い声を漏らす。

「それは、それの逆をやらかした私をディスってるのかな?」


「はぁ? なんでそうなる。むしろ、俺はずっと、俺が明衣にとってのぬいぐるみだと思ってたよ」

 そう言われて、明衣はなんともいえない顔でしばらくりょうの顔を見つめた。じき、嘘ではないとわかったのか、ゲーム画面に顔を戻す。

「そっか」


「でなきゃ中学の性教育の授業の後に『実際生理ってどんな感じなの』なんて話を真剣にしたりなんかできない」

 これに明衣はあははと笑う。

「あったねえ、そんなこと。けど、わたしも射精について聞いたじゃん」

 思い出してたちまち赤面するりょう。この横顔を見て明衣はけらけらと笑った。


「あー、撮りたいわー、その顔。あんたからの着信その顔にしたい」

「うるせーなー、恥ずかしいに決まってんだろそんな話」

「はぁ? ただのお返しだしー」


「――あの頃は、そういう関係とか考えてた?」

「え、私とりょうがヤッてるところとか?」

「言い方、あと順序を飛ばしすぎ」


「性教育って8年とかの頃だよね。あの頃は全然。生理の話も、付き合ってるって冷やかされた時と一緒で、真面目なヤツだなーとしか思わなかったし。っていうかこういう気持ちがあったんだって気付いたのももっと後だもん」

「最初から、って言ってなかった?」

「うん、最初からだよ。ただ自分で気付いたのが遅かっただけ」

「どういうこと?」


「えーとねー、9年生のゴールデンウイーク前かなー」

「2年半前か。え、なんかあったっけ」

「ほら、外部進学のガイダンス、一緒に行ったじゃない」

「あー、希望者向けのやつ、冷やかし半分に」


「そうそう。演劇クラブのみんなも一緒に。あのとき劇クラの子達みんな本気でさー、なんかそういう空気だったんだー。それで私もつられて『あ、受験したら、バイバイなんだな』って考えたら、急になんか寂しくなったというか、不安になってどきどきして。『あー、これはそういうことかー』って」

「……そっか」


 りょうは『なぜその時いわなかったのか』などとは敢えてきかなかった。

 それより以前、男女の友情を周囲に冷やかされた時、互いの仲を尊重するという意味で、友達で居続けるという意思を確認しあっている。それが壊れるのを避けたかったのだろう。


 最近まで恋心を抑えてきたのは彼女なりの謙虚さか。あるいは彼女自身があの場で言っていた通り、現状に満足していたか。

 だが、大坪未來という恋敵の存在から、今度は行動に出ざるをえなかった。

 その程度を察するのはりょうにも難しいことではなかった。


「そっちは?」

 明衣はりょうに尋ねた。

「あの時か? 高校でここまで部活やり込むと思わなかったしなぁ。っていうかあの頃もう既に、フォートナイトとか一緒にやってたじゃん」


「ああ、うん」

「学校かわっても放課後とか土日の午後とか、オンラインでゲームするのは続くんだろうなと思ってたから、別に」


「あー、バイバイしないでいてくれる気だったんだ」

「うん――あ、明衣に彼氏ができたら、疎遠になるのかなと思った時はちょっと寂しかったけど、そういう事でもない限り、ずーっと一緒に遊んでると思ってた」


「その彼氏が自分だとは思わなかった」

「思わなかったねー」


「――イヤだった?」

 りょうはため息をついた。

「ねえ、イヤじゃなかった?」


「……イヤならはっきり言うよ」

 これをきいて、隣に座った明衣は体をもたれてきた。


「……ねえ、あれからだけどさ」

「どれから」

「水族館から」

「はいはい」

「私で抜いたりした?」


 たまらず大声で笑ってごまかすりょう。笑われて、明衣もすんと体を離す。

「ちょっと、まじで聞いてんだけど」

「いや、変な夢は見たよ。けど、意識的にってのはないなあ」

「そっかー」


 しばし無言になる二人。


「え、してんの」

「私はした」

「俺で?!」

「うん」

 ――さて明衣は何をしたか。書くのもあまりに無粋ではあるがあえて述べる。りょうを相手としてイメージした上でのマスタベーションである。


 これに、りょうはコントローラーから手を離して、頭を抱えた。

「うーん確かに、今まで我々、極力正直な関係で過ごしてきた。けどさ、その告白はいらなかったと思う」


「いや、隠さなくていいと思って。ひいた?」

「ひくというか、うん、まあひくわな……」

「そっかー、以後気を付けるわー」

 それを聞いて、りょうはゲームプレイに戻る。


「いやいや明衣の気持ちは受け止めてるつもりですよ、しっかりと」

「ほんとにー? まあいいか、で?」

「でって?」

「さっきの、先輩とぬいぐるみがどうとか」


「あー……先輩から見て俺は年下の男だ。確かに仲良くしてもらってるが、ほとんど弟分みたいな扱いな時もある」

「ふむ」

「明衣のいうところの、受験の合間の気分転換だ。まるでぬいぐるみで遊ぶみたいな」

「……なるほど、主旨はわかった」


 ふたりは少し無言になった。

 明衣の操作キャラクターがすっと物陰に潜んだ。

「俺は……」

「いわないで」

 そういって明衣が急にコントローラーを手放し、りょうの腕をひしとだきついた。


「……私は、ぬいぐるみ程度の関係であってほしいと思ってる」

 子供がぐずるように小さく言う。

 言うまでもなく、この男を大坪未來にとられたくない、という意思表示である。

 りょうも、ゲームのコントローラーを置いた。


 そっと抱きすくめて、明衣の頭をぽんぽんと撫でる。


「俺は、どうなんだろう」

「いわないでってば」


「自分でも、わからないんだよ!」

 これを聞いて、明衣は顔を上げた。

 ふたりは見つめ合ったまましばし黙った。


 見つめる明衣のまなざしが、何かを訴えかけている。それは、期待の色に似ていた。

 りょうは、うながされるように明衣の額に唇を当てた。


 明衣はこれをうけて、えへへと笑う。

「おしいなあ。ちょっと違う」

「えっ」

 明衣はややうつむいた。


「話して、聞くだけは聞いてやる」

 りょうはうなずいて、口づけした明衣の額を頬で拭うようにすり寄せた。

「確かに先輩の事は好きだったし、今でも話してるときゅんとする。けど、明衣が俺の事好きだって言ってくれた時から、明衣のこと大事にしなきゃとも思ってる」

「うん」

「どう思う」


「そういう裏表なく馬鹿正直なとこ、嫌いだけど好きだよ」

「いやそういうこと聞いてるんじゃなくて」


「ううん、大事なことだよ。私にとっては大事なこと。それに、それじゃあなんで先輩のためにOBをぶん殴れたの」

「それは……ひどい奴だと俺自身思ったから」

 それをきいて、明衣はふうっと大きく息をついた。それからようやくしがみ付いた腕から離れた。


「そっか、ほっとした」

 そう言って、明衣は再びゲームのコントローラーを握った。

「え」


「ほら、言うじゃない。たとえ火の中水の中、雨が降ろうが槍が降ろうがって、そういう次元で先輩の事好きなのかなって思ってたの。命令されたら自分が育てた犬でも殺す」

「いや、さすがに犬は殺さないよ」

 りょうもゲームに戻る。


 ちなみにゲームはオンライン対戦、バトルロイヤルルールの2人チーム戦である。

 りょう達だけが物陰から動かないまま、ゲーム内の展開は進み続けている。

 ゲーム画面を見る二人の表情がきゅっと渋くなる。ゲームの状況は明らかに悪化していた。このままだと負ける。


「知ってる。犬を殺すような男だったら私はあんたの事好きになってない。――ここ右から来てる」

「了解、左処理したら行く――明衣んちの犬かわいいもんなあ」

「そうよ、うちのドンはかわいいの。ここんちのもよぼよぼでかわいかったけどね」

「よぼよぼは余計だ。じゃあなんで言ったんだよ」

「ああっ、ダメッ――あっ、撃ち負けた――キングスマン思い出したの」

 ゲームに白熱しながら、ふたりは会話を続けた。

「なんだよそれ――あっ、あー後ろからも来てるー」


 一瞬の不手際で、やられてしまう。画面には『マッチ脱落』と表示される。りょうはコントローラーを置いて、明衣と向き合った。

「とにかく、結果的にはあの時はそうみえる行動はとったけど、大坪先輩はおそれ多いというかなんというか」


「ふうん……私はー、自分でいうのもなんだけど、キープとして付き合ってるんだと思ってるよ」

「そんな馬鹿な」

「ううん、りょうがそう思ってなくても、そうかもしれないの。だって、大坪先輩めちゃめちゃ美人じゃん。私なんかとは違うしー」


「いや、おまえだってかわいいよ、その、なんというか、明衣なりに」

「言葉が出てこないなら言うんじゃねえよこのバカー」

 そう言って明衣はりょうの首筋に顔をうずめた。そのまま吸血鬼のように歯を立てる。

「はいはい噛まない。けど、じゃあ俺はどうしたらいいんだ」

「どうもしなくて、いいと思うよ」


「え?」

「誰も悲しまないのも、悪くないと思う」

「……さびしくない?」

「さびしいよ。けど、りょうが幸せなのも大事だもん」

 そう言いながら明衣は何かを想像した。言い切ったものの、やはりこらえられないようだった。彼女はそのまま彼の肩でひいんと甲高く鼻声を漏らして泣き始めたのだ。


 りょうは肩を貸したまま、ティッシュの箱に手をのばす。それを明衣に掴ませ、空いた手で明衣の背中と頭をぽんぽんと撫でた。

「遊んで噛んできゅんきゅん泣いて、おまえは子犬か」

 明衣は、涙をぬぐいながら、うなずく。

「ごめん」

 鼻をかむ顔をのぞき込んで、りょうは明衣の目をまっすぐに見た。


「……やっぱり大事だよ。明衣の方が、大事だよ」

 明衣はりょうの首に両腕を回してだきついた。

「好きだよ」

「ああ、知ってる……ったく、俺は、馬鹿だね。自分でどうしたらいいかもわからない」

「それでいいんだよ。私はそういう馬鹿で正直で優しいあんただから好きなんだもん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る