数字がバグる世界
ライ月
第1話 不貞腐れて
頭上のアナウンスで、朝の不運を淡々と告げる車掌の声……公衆の面前で舌打ちをしたくなった。
『ご不便をおかけいたします。
現在つつじが丘駅から柴崎駅間での人身事故の影響により、この電車は運転を見合わせています。皆様にはご迷惑をおかけいたしまして大変申し訳ありませんが、今しばらくご辛抱をお願いいたします。
なお、現在は確認作業を行っており、運転再開には30分から――』
――くそ、マジでいってんのかよ……このままじゃ確実に遅刻だ。
通勤電車特有の人いきれをスーツ越しで感じつつ、落胆の吐息をつく。早口言葉で言ってんじゃねぇよ、と。
和樹はつり革につかまってイラついた。車掌が言う“有言実行”レベルの時間遅延なら走ればギリギリ大丈夫だが、やはり現実は上手くいかないのだと予想するのだ。
腕時計をみる。刻一刻と過ぎていき、やはり車掌の見通しが甘すぎると逆切れを起こしたくなった。微動として車両は全く動かず、平謝りのお経だけが始終車内を流れているだけなのだから。
ワイヤレスイヤホンからはちょうど『秒針を噛む』が流れていた。和樹はそのタイトルに同感するどころか、長針短針ごと噛みちぎりたい気分になる。
1時間半ほど経ってようやくのろのろと動き出し、徐行状態のまま最寄り駅に滑り込んだ。ドアが開く瞬間、蛇口をひねるように勢いよく人の大軍がホームになだれ込んだ。駆け足気味でエスカレーターと階段を下りる彼らを見て、焦りと怒気がよく滲んでいるのが解る。
まったくどの時間帯で自殺してんだよ――。
通勤ラッシュ特有の、雑音の大きさや駅のホームの混雑具合でそう主張していたのは当然の帰結だ。駅員のアナウンスも怒り心頭に発するといった風で、彼以外も相当頭に来ていたらしい。
ご冥福を祈る人たちはネットの匿名位で、誰も口には出さない。現在の時刻はちょうど午前8時、あがけば間に合うかもしれない瀬戸際なのだ。
しかしながら、彼は電車の中から動かず、エスカレーター付近の混戦をぼーっと観戦していた。完全に不貞腐れていた。
タクシーかバスか、振り替え輸送か……どれに頼ったとしても、和樹の遅刻が確定してしまったことから来る、疲労の嘆息を落とす。
「あーあ、今の時間がこのくらいだったらいいのになー」
めっきり人が少なくなった各停――人身事故の影響で、急行から各停へ列車種別が変更された――の車内の中で、小声でぼやく。
昨日、とびきりの残業を喰らわせてくれた部長にどやされてしまうくらいなら、と、彼は電話すらせず現実逃避を開始した。今どき珍しいりゅうずを回し、腕時計の針を弄る。2時間ほど時を戻した。
そして、堂々とふて寝した。
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