大江戸エルフ奇譚 怪盗義賊ナガミミ小僧

綿涙粉緒

序章

ナガミミ小僧

「問題ない?」


 ほっかむりに黒尽くめ、子供のように小柄なその人影は暗闇に向かって小さくそうつぶやく。そして、腕組みをしてほぉっと白い息を吐いた。


 組んだ腕の上に、小ぶりの膨らみが寄る。


「ねぇ、どうなの?」


 ひそめていながらも、高く甘く張りのある声。


 どうやら、少女のようだ。


 その声は闇に吸い込まれるように消え、同時に、声の消えたあたりから闇と同じく黒い人影がすっと姿を表した。


「ええ、角屋かどやの連中はぐっすりで誰も動いちゃいませんわ」


 音もなく近寄り、少女の小さな影に寄り添うように立つ影。


 その姿は、やはり同じように頬かむりで、そしてこれまた同じように黒尽くめ。背丈は少女とほぼ同じか少し高いすらりとした細身に……大きな胸乳の女であった。


「そう、じゃぁ」


 少女の声に、胸乳の大きな影はゆっくりと身をかがめ「ええ、準備万端でございますわ」と少女の耳元に答えるとコクリと頭を下げる。


 と、同時に、二つの光がすーっと闇に尾を引いた。


 その瞳の光が。


 少女と同じ金色の瞳の色が。


「わかった、ありがと」


 少女は、声をひそめることをやめ、響きの良い朗らかな声で答えると、感慨深げに角屋の暗い天井を仰ぐ。


 レイラームス効いちゃうんだな、ここでも。


 少女は心で小さくそうつぶやいて、動くもののない角屋の邸内をぐるりと一周り見渡した。


 江戸で知らないもののいない紙問屋の大店おおだな、角屋。


 昼日中であれば、十を超す人間が忙しく行き来しているだろう邸内は、いつものように昼間の喧騒と熱をそこかしこに感じさせる澱みを抱えこんで夜に沈んでいる。しかし、今夜ばかりは少し不自然なほどに静まり返っていた。


 そう、不自然なほどに、だ。


「異常は、なし、か」


 つぶやいて、少女は背筋を正す。


 そこは、本来であれば自分の鼻先も見えないような暗闇の中。


 しかし、少女の金色の瞳にははっきりと、その細部にいたるまでが見えていた。それこそ、今、梁の上でまるで行き倒れのように眠りこけている子ねずみ一匹までしっかりと。


「お頭」


 と、そのとき、背後からまた別の声がかかる。


 背の高い男。その男もまた、金色の瞳をしていた。


「どうしたの?」

「へい、お宝は金蔵の中ではなくあるじの寝所。ご丁寧にてめぇらのケツの下に千両箱でならんでやしたぜ」

「へぇ、守銭奴の角屋らしいね。ま、いい、全部担ぎ出して。あと、いつものように後片付けも万全でお願い」

「へぃ、そいつは抜かりなく。いま猪之助の兄貴が片端からエドリーンをかけておりやす、ご安心を」

「うん、わかったわ、アーで……」

「しっ!」

「あ、ごめん」


 少女即座に謝ると、その顔を思い浮かべて感慨深げに二度ほど静かにうなずいた。


 あの魔法嫌いの剣術オタクがエドリーンをかけられるようになったんだね。ああ、そう言えば巳太郎爺さんがここのところつきっきりで教えてたっけ。


 少女脳裏に浮かぶ、励む仲間の姿。


「うん、エドリーン簡単じゃないんだけどな」


 それは、自分たちの痕跡を完全に消し去る魔法。


 仲間のうちでも三人しか使い手のいない、おいそれと習得することのかなわない、上級魔法に属する複雑な術式。

 

 それだけに。 


「みんな、頑張ってるんだね」


 少女はそう弾む声でつぶやくと、小さく「うんっ」と気合を入れた。


 私も、頑張らなきゃ。


「じゃぁ、手はず通りにお願い」

「へい」


 声とともに、長身の男は小さく会釈すると少女の前に立ち、棒立ち姿勢のまま、ゆっくりと音もなく歩き始めた。


 少女は、その後を、同じく音もなくついていく。


 豪商と名を馳せる老舗の屋敷。厚い板材を使っていることなど言わずもがなだが、そんな上等な廊下であっても、二人のように音をまったく立てずに歩くことなど人間業ではまず不可能だ。


 しかし、二人は宙を歩くかのごとく音を立てない。


 ちいさな軋み一つ、だ。


 そして、目指す寝所にたどり着く。


「ここでござんす」

「うん」


 いいながら、無駄に豪奢な襖を無遠慮に開ける。


 しかし、音は立たない。


 であるから、その眼の前にはでっぷりと太った小男が全く気づく様子もなく寝乱れ姿で転がっていた。


「だらしないこと」

「へへ、お頭が来る前に、隠しどころは隠しておきやしたぜ」

「よけいな報告はいらないから」


 少女はしかめ面でそう吐き捨て、年頃の娘らしく、心底軽蔑した深いため息を吐く。


「ったく、下品なんだから」


 少女は継ぐ焼くと、自らの手をゆっくりと胸の前に掲げ、精神を集中させて呼吸を整えてゆく。


 同時に、緑色に光りはじめる少女の両腕。更に同じくして、でっぷりと太った小男の周りに小さな異国の文字が帯のようにふわふわと漂い始めた。 


「ネーメ・ダバイヤン・オ・ルソ」


 少女はささやく。異国の旋律を持った響きで。


 すると、言葉とともに、目の前に転がされていた男が光る文字の帯に絡みつかれ引き上げられるようにふわっと立ち上がった。


 そしてそのまま、その体は緑の光に包まれて宙に浮きあがる。


 その表情には力なく、うつろな瞳を晒し、まるで首をくくった死体のようにだらりと垂れ下がった。


 それを見て、少女は厳かに命じる。


「角屋店主、角谷一之輔」


 呼ばれて、宙に浮く体がビクリと震えた。


「いい、この不始末の原因はあなたの強欲。貧しい人から身ぐるみ剥いで、しかも若い女たちを片っ端から売り飛ばすようなことをした報い」


 そう告げて、その呆けた醜い顔をにらみつける。


「店の人間は何一つ悪くないし、誰一人罰しちゃいけない。すべてはあなたの身から出た錆、自分のせい。コレにこりたら今日からは心を入れ替えてまっとうな仕事をすること。それくらいのお金はのこしておいてあげるから。わかった?」


「コノフシマツハ……ワタシノ……ゴウヨク……」


 少女の問いかけに。角屋一之輔は抑揚のない声でその言葉を反芻する。


 そして最後に。


「オオセノママニ」


 と漏らして、糸の切れた繰り人形のようにその場にドチャリと落ちた。


 それを見て、少女は「ふぅ」っと長く重たい息を吐く。


「終わりましたかい」

「ええ、大丈夫、ダバイヤンはすっかり通ったわ」


 いつの間にか隣に立っていた胸乳の大きな女の問いかけに、少女はそう答えて確信とともに頷く。と、こちらもまたいつの間にやら足元に跪いていた長身の男が、角屋一之輔の頭の横に一箱の千両箱を供えるように置いた。


「やはり、おいていきますかい?」

「ええ、それだけあれば、潰れるってことにはならないでしょう」

「お優しいことで」

「バカ言わないで、何も知らずに働いてるお店の人が路頭に迷ったら寝覚めが悪いだけだから」

「へぇ、かしこまりました」

「じゃ、あとはお願い」


 少女はそう言うと、ふところから一枚の紙を出し千両箱の上にひらひらと投げて落とした。


 そして、その紙が意思を持つように千両箱の上に落ち、その表面に貼り付くように動きを止めるのを見届けると、少女はその頬かむりを煩わしそうに外す。


 途端、暗闇に光がさしたように感じられた。


「はい、一丁上がり」


 そうつぶやいた、その顔。


 頬かむりの下から現れたのは、一枚絵にでもなろうかというほどに整った目鼻立ち、暗闇の中でもぼーっと光るように白い肌、実りの秋の麦の如き金の髪。そしてなにより……


 ぴょこんと立ち上がる、ツンと尖った長い耳。


――盗賊ナガミミ小僧参上


 千両箱に貼り付くその紙の文字を満足気に見つめると、少女は指先からボーッとした紅い光を発すると同時に「エス・アミムス・エテ」と小さく唱える。


 と、その瞬間。


 一陣の風とともに、角屋の邸内から寝静まる人間以外の気配の一切が。


 瞬時に消え去った。





「おい、聞いたかい、角屋の一件」


「聞いた、聞いたよぉ、また出たらしいじゃないか」


「ああ、コレで深川の松風と並んでふたっつめ、しかも今度もまた江戸の市中に黄金の雨を降らせたっていうじゃねえか」


「ほんとに、まあ、残念なことにうちには降らなかったけどさ、しかし、それでも気味のいい話だねえ」


「たしかに、たしかに。襲うのはみんなあくどい儲けをしていた守銭奴の家で、しかも、犯さず殺さずを貫いてやがる。まったく、どこのどいつかはしらねぇが、気持ちのいい野郎だぜナガミミ小僧ってのは」


「まったくさ、ま、どこのどいつだろうと良い男に違いないさ」


「け、顔の造作までわかりゃしねえじゃねぇか。あんがい、あんにゃもんにゃかもしれねぇぜ」


「馬鹿をお言いでないよ、あんたと一緒にしないどくれ」


「おおこわ、しかし、次はどこになるんだろうなぁ」


「まったくだよ、でも、次はうちにも黄金の雨を降らせてくれないかねぇ」



 江戸の市中、貧乏長屋の路地裏に至るまで、くまなく広まるその名声。


 義賊と噂の盗賊ナガミミ小僧。


 いまや、誰もが知るその名。


 しかし、その正体はといえば、今はまだ黒い闇の中にある。

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