第2話 幸せってなに?
01
僕が春咲莉央と付き合い始めて既に一週間が経過していた。学園のマドンナである春咲と、名前も姿さえも誰も見たことがない夏山健という日陰者が付き合ったという事実は校内中に広まっていた。
朝、普段通りに登校をすると自分の下駄箱の中に僕に対する呪いの手紙が大量に投函されていた。まさか開けた瞬間に手紙が溢れてくるとは誰が思うだろうか。僕は手紙を一枚一枚丁寧に読んだあと、近くのゴミ箱へと捨てた。
匿名だからバレないだろうと思っているかもしれないが、僕に手紙を送った時点で嫉妬を一方的にぶつけられる関係が生まれる。糸を辿れば誰が送ったかわかるが、知ったところで知らないフリをされるだけ。文句を言わずに関係を切るのが一番いい。
春咲は僕の隣のクラスで、いつも授業が終わる度に教室を抜け出して僕に会いに来る。彼女は僕がクラス中の人間から嫉妬と敵意の眼差しを向けられていることに気づいているのか、人目をはばからずにダーリンなどと現を抜かしたような言葉を吐いてきた。
「……僕をからかって楽しいのか?」
「楽しいよ?」
春咲は屈託のない笑顔を僕に向ける、その笑顔を見せられたら僕は何も言うことが出来ない。彼女は悪意があって僕をからかっているわけではないということだけわかって良かった。だが僕は一人で日常を過ごしたいという気持ちだけは変わらなかった。きっと春咲と過ごす日々は楽しいだろう、だけど僕にはその資格が無い。彼女に居場所を悟られないように校舎裏から生徒立ち入り禁止の屋上前階段に場所を変更した。
これで大丈夫だろうと思っていたが、僕は春咲莉央という少女が最初に言っていた言葉を思い出す。どこにいても僕の命の鼓動が聞こえると。
「嘘だろ……おい」
「あ、タケルくん! やっと来たね、いつもより五分遅いけどどうかしたの?」
十分前に昼休みが始まったばかりなのに春咲は僕よりも早く屋上前の階段に来ていた。春咲とはLINEを交換していないのにまるで僕の考えることは全てお見通しだと言わんばかりに彼女は楽しそうに微笑む。
「何で僕が考えていたことがわかったんだ……?」
「最初に言ったじゃない? どこにいても私はタケルくんを感じることが出来るって」
「そういうことじゃない、どういう手を使えば人の思考まで読み取れるんだよ」
春咲はまるで幼い子どもに言い聞かせる母親のように僕の思考を読めるタネ明かしをしてくれた。僕と春咲は人と人の繋がりを糸として見れる力を持っているが、どうやら自分と関係を持った人間の感情の動きを糸を通してわかるらしい。何かしらの悩みを持っている人は川のせせらぎのように糸を動かし、誰かに隠し事をしている人は興奮した犬のように糸を激しく揺らせるらしい。
どうやら僕は後者のようだが、興奮した犬という表現は明らかに小馬鹿にされているようにしか思えない……聞かなかったことにしよう。しかし、タネまではわかったが僕がここにいるということまではいくら能力を使ってもわからないはず。
「私ね誰かと話をしたくない時はよくここに来るんだ、だからタケルくんが考えることはお見通し。校舎裏は私が以前憩いの場として使ってたからわかるんだ」
これは神様のいたずらなのか、春咲と僕は同じ能力だけでは飽き足らず行動パターンまで同じだった。蜘蛛のように校内に糸を張り巡らさせている春咲に人と話をしたくない時があるのか? 僕と出会う前の彼女は自分と糸で繋がっている人物たちと楽しそうに笑いながら話をしていた。
「わかったよ……降参だ、煮るなり焼くなり好きにしていいよ」
誰かを傷つけてしまうぐらいならその人のことなんて知りたくもないと思っていた僕だったが、春咲莉央だけはもっと知りたいと感じてしまった。空を飛ぶ鳥のように自由奔放さを醸し出す彼女にどことなく興味を沸いた。
それに何処と無く心を許してしまったのは理由がある、それは春咲が僕に説明をしている時に大木のように太い赤い糸を小刻みに揺らしていたからだ。彼女は本当に僕に対して心を開いてくれているのか気になってしまう。
「じゃあお言葉に甘えて」
春咲は階段下で突っ立っている僕の手を掴み、何処から出したのかわからない茶色く寂れた銀色の鍵を扉に差し込んだ。勢いよく扉が開かれると、そこには広大な青空が広がっていた。学校という狭い空間から屋上という世界に飛びたてるのは今、この瞬間だけだと思う。
「勝手に屋上の扉開けていいのかよ」
「私を誰だと思っているの? この学園の生徒会長よ、私を怒ろうとする人間なんて誰一人存在しないんだから」
僕は春咲にだけはこの国の舵を取らせてはいけないと感じた。
「せっかくだし一緒にお弁当でも食べようよ、もっとタケルくんのこと知りたいし」
「……僕も春咲のことを知りたいからその意見には同感だ」
もし、母と父の糸が切れる前に二人の感情を知れていたら何かしら変わっていたのかな。
春咲は僕に質問の機会を与えずにマシンガンのように僕の趣味や好きなもの、子どもの頃にどういう遊びをしていたのかを根掘り葉掘り聞いてきた。まさか昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴るまで聞かれるとは誰が予想出来るだろうか。
02
「ただいま〜……」
放課後、自宅に帰った僕は疲弊しきっていた。昼休みのあと、半ば強制的に春咲のLINEの連絡先を貰ったが授業中の間にメッセージや大量のスタンプを押してくるせいで僕は冷や汗が止まらなかった。僕が誰ともLINEのやり取りをしていないから、通知の切り方を知らないと考えてのいたずらだろう。
「おかえり、タケル。今日も楽しそうだね」
「この顔が楽しそうに見えますか……彰さん」
彰さんは僕の父の弟だ、出来の悪い兄と違って彰さんはとても優秀で家族から溺愛されていたらしい。四十代半ばなのに全く老いを感じられず、第三者から見たら僕と兄弟だと勘違いしてしまう程若々しい。誰よりも優しくて、親戚をたらい回しにされていた僕を救ってくれた。
「また彼女に振り回されたのかい? 羨ましい限りだね」
「加減を知らないんですよアイツ……」
僕は彰さんと夕食を取りながら、今日あった出来事を話をした。ほんの少し前なら有り得なかった光景だ、それだけ僕は春咲と共に過ごす日常を楽しいと思えてきたのだろうか。友達が出来たことに素直に喜んでも……バチは当たらないのかな。夕食を済まし、自分の部屋に戻ってきた僕は春咲のLINEのメッセージに返信を返した。
『今日は彰さんが作ってくれたフワフワのオムレツを食べたよ』
『私も食べたい!!! 今度タケルくんの家に行っていいかな!!?』
『ダメ、彰さんは仕事が忙しいから無理だよ』
『そう……それならタケルくんの愛情が篭った手料理が食べたいな』
僕は頭を抱えた、これじゃあまるで自分がバカにしていたカップルそのものじゃないか。手料理か……、彰さんに言えば料理の基本とかも教えてくれるかな。ふと隙を見せたとき、春咲から目を疑うようなメッセージが来ていた。
『タケルくんは美味しいものを食べたときってどんな気持ちになる?』
『そりゃあ、幸せな気持ちになるよ。頬っぺたがとろけおちそうなぐらい美味しかったら』
『私はね、幸せって感情がよくわからないの。だから私に教えてほしいんだ』
春咲と繋がっている赤い糸が少しだけ揺れたような気がした。幸せがわからない……、校内にいる春咲は全校生徒の誰よりも幸せそうに笑っているのに。僕はこの日の夜、生まれて初めてメッセージを未読無視をした。
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