ヒューマン・コネクト

デトロイトのボブ

第1話 運命の人

  01



 人という字は人と人が支え合うことで成り立つ。だが本当にそうなのだろうか、人間という生き物は些細なことで感情をむき出しにしてこれまで続いていた関係を壊していく。

 そうならないようにするには人と人の繋がりが脆くなり始めてしまう前に糸を切ってしまえばいい。僕にはそれができる力がある。




 幼い頃、僕が住んでいた家は喧嘩が絶えない家庭だった。仕事で気に食わないことがあれば父はよく母にストレスをぶつけていた。子供だった僕が聞いても耳を塞ぎたくなるような言葉が頻繁に飛び交っていた。

 澄み切った青空の下にある住宅街に一つだけ黒く汚れきった家があったことを近隣住民は知ることも無い。僕が小学校に上がるまで父による母の精神的虐待は終わりを迎えることは無かった。


 どんなにいたぶられても、母は笑顔を崩さずに父や僕に尽くしてきていた。だが日に日に母の顔がやつれてきていることに誰も気づくことは無かった、誰よりも優しかった母は周りの人を頼るという術を知らなかったからだ。


 いつからだろうか、母と父の間に直ぐにでも切れてしまいそうな白い糸が見えるようになっていた。最初は気のせいかと疑っていたが日をまたいでいくと糸が細くなっていくことに気づいた僕は好奇心に負けてしまい、ちぎれかかっていた糸に触れてしまった。ガラスが壊れるような音が耳の中に響く。


 糸が切れてしまった母は今までのストレスを全て解き放ちたかったのか、自宅にある全てのものを破壊尽くした。母と父がまだ仲が良かった頃の思い出の品でさえも、粉々に消えて無くなってしまった。もし母の限界を早く知っていれば糸を切ることもできたのにと幼いながらも僕は後悔した。もう優しかった母はどこにもいない。




 僕は両親が離婚をした後、父方の親戚の家に預けられた。父は枷が外れたと言わんばかりに自由を謳歌し、母はあの日以来僕から姿を消してしまった。それから十年の時が経ち、僕は叔父の勧めで全校人数千人を超える高校へと進学をした。そこには数えきれないほどの糸が溢れかえっており、ちぎれかかってているものがあれば幹のように太いものもあった。


 最初のうちは自分の視界に入るだけで目を瞑っていたが、たった数ヶ月で僕は糸が張り巡らされている学校に慣れてしまった。慣れというものは恐ろしく、僕はクラス内の人間関係を観察するのが趣味になっていた。そして現在、僕は一人も友達が出来ずに高校二年生を迎えた。



 僕が在籍している二年三組は蒼ノ咲高校の中でも一際目立つ学生たちが多数を占める。勉学に秀でているもの、スポーツを極めたもの、芸術を極めたもの、数えるだけでも胸焼けがしてしまいそうな天才たちがいる教室の中でたった一人何にもなれない日陰者がいる。クラス内での僕の立ち位置はいじめられることもなく誰かに利用されることもない無に等しいものだ。


 誰かと繋がりを持った時点で糸は少なからず発生する。自分が誰かと関係を持つことなんておこがましい、僕にはその権利は無い。誰かの人間関係を見ているだけで充分なんだ。以前、同じクラスのカップルの片割れが言っていた言葉を思い出す。





 そこまでして相手のことを理解したところで、いつかは別れる時が訪れる。全てを知ろうとする行為は無意味だ。日陰者としての僕の一日は誰にも干渉されることはない。授業を真面目に受け、トイレ休憩が始まれば直ぐ様スマホを手にして誰かと連絡を取るフリをする。昼休みが始まれば誰よりも早く人がいない場所に駆け足で向かう、これこそ誰とも関わりを持たない人間の生き抜くためのやり方だ。ずっとこのまま続くと思っていたのに。



 02






 いつものように僕は足早に教室を抜け出し、人気の少ない校舎裏に来ていた。校舎裏の近くに何十年間も使用されていない古びた雑居ビルが経っており、そこは過去に殺人事件があったということもあってか誰も近づかない場所で有名だった。時折、掃除のおじいちゃんがゴミを捨てに来ることもあるが基本誰も来ない。


 僕は購買で購入した焼きそばパンを口に頬張り、手垢まみれになっているスマホを取り出す。……糸を眺めるのは楽しいが、千切れそうになっているものを見つけてしまえば僕は心を鬼にしなくてはならない。母のような被害者を産み出さないためにも、僕は脆くなってしまった糸を切らなければならない。



「いつもこんなトコにいるんだ、タケルくん」




 声がした方向に向くとそこには一人の女子生徒が立っていた。ああ、最悪だ。よりにもよって学園内一の天才と言われる春咲莉央に僕の居場所を知られるなんて。春咲莉央はこの蒼ノ咲高校中に糸を張り巡らさせている女王蜘蛛だ。僕を除いた全ての生徒が彼女と知り合い以上の関係を保っている。


 誰もが生徒会長である彼女に憧れ、その背中を追いかけようとする、僕にとっては近寄り難い人間だ。春咲莉央は手入れがされている長い髪の毛をかきあげながら、僕を見下ろす。



「……生徒会長さんが何の用ですか」




「誰とも関係を作りたがらないタケルくんが前から気になってたから、一対一で話をしたいなって思ってね」



 悪びれもなく他の生徒に振りまくような笑顔を僕に向ける。この悪意もない柔和な笑みで人は簡単に堕ちてしまうんだ。老若男女問わずに好かれるのは春咲莉央しかいない。だからこそ僕は……羨ましくもある。



「じゃ、用があるから教室に戻りますね」



 その場から立ち去ろうと一歩足を踏み出した途端、僕は誰かに肩を掴まれた感覚に陥った。春咲がいる場所から僕の肩を掴むには無理がある、瞬間移動でもしない限り出来るはずが無い。じゃあ誰が僕の肩を掴んでいるんだ?



「私からは逃げることは出来ないよ、この糸を切らない限りはね」



 不敵な笑みを浮かべながら春咲は人差し指を見せてきた。彼女の人差し指には親指サイズの赤い糸が結ばれており、僕の指に絡みついていた。……僕は息が出来なかった。


 自分とは反対側にいる人間が自分と同じ能力を持ちながら、糸を校内に張り巡らさせている。人間関係の醜さを知っていれば、糸を自ら作り出そうとはしない。



「離せ! 僕をどうする気だ!!」




「やっとまともに話をしてくれたね。私はタケルくんとただ話をしたいだけなの」



 自分に絡みついている赤い糸を断ち切ろうとするが、切っても切っても糸は再生をしていく。彼女は同じ能力を持った僕を見つけたことが嬉しいから、簡単に糸を切らせてくれないのか。まるで化け物じゃないか。




「……僕と君じゃ住む世界が違う、ましてや僕は誰とも関わる資格なんてない」



「へぇ、でも今私たちはこうやって話をしているよね? 嫌なら無視すればいいのに。同じ力を持っているならわかるでしょう」




「……」



 僕は何も言い返すことが出来なかった。本当は僕だって友達がほしい、欲しいに決まっている。でも僕は人の限界に気づくことなんて出来ない。だからダメなんだ、もう誰も傷つけたくはない。




「だから私とタケルくんには赤い糸が生まれるのかもね、似た者同士だから」



「似た者同士……?」



 何を言っているんだ彼女は?友達や後輩、先輩からも好かれるような人間と僕が似た者同士な訳がない。



「せっかく赤い糸で繋がっているんだから私たち付き合わないと損だよ」




 どこにいてもタケルくんの命の鼓動を聞けるなんて素敵だと春咲は誰にも見せたことの無い顔で話す。僕はもう二度と彼女から逃げられないと悟る。クモの巣にかかった蝶のようだ。



「これからよろしくねタケルくん」

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