12月1日

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12月1日


 12月1日は映画の日。だから映画を見に行きましょう、と彼女が言った。


「映画なんてもう何年も見てないな」

「珍しい人ね」

 と彼女は言ったが、そうだろうか。モニター離れとか鉄道離れとかいろんなものからの『離れ』が叫ばれるなか、映画だけがその災いを免れているとは考えづらい。たしかに「映画」という趣味自体はそれなりにポピュラーなものかもしれないが、行かない人は行かないし、家で見る人も多い。映画を趣味だと言い張るには……そうだな、年に4回、3か月に1度ぐらいは映画館に出かけていなければ格好がつかないように思う。しかし今隣を歩いている少女は今年初めての映画だとはしゃいでいて、じゃあきみも大して変わらないじゃないかと人差し指を突き付けてやりたいがわたしは大人なのでやめておいた。

「映画のいいところは没入感よね。小説や漫画って結局、やめようと思ったら、本を閉じれば終わりじゃない? 映画館はちゃんと赤いふかふかのシートとポップコーンとコカ・コーラ、あと今立ち上がったら周りの人に失礼だろうなあっていうプレッシャー、2時間1,300円の料金、そういうのがいろいろ相まって、なかなか席を立とうとは思えないでしょう?」

「そういう意味では小説のほうがフェアなメディアと言えるのかもしれないね」

「映画は強引?」

「まあ、自分から金を払って席に座っておいて、強引だというのも無理があるが……」

 わたしは横目で彼女を観察する。まったく、予想以上にうまくできたものだ。


 隣を歩いている彼女はアンドロイドだった。わたしが作った。わたしの三十数年の記憶を教師データとして投入したうえで、機械学習させた。古典的な人工知能の構築手法だ。たった一人分の「記憶」が教師になりえるのかどうかかなり不安だったので、一応そのへんに落ちていた国民の基礎データも投入したが、重要な閾値設定にはすべてわたしのデータを採用するように組み込んだ。しかし難しいのはなにが「重要」な物事なのかということが、それこそ人によって変わってしまうということだ。わたしは映画が好きではないが、彼女はどうしてか映画を好きな人間になってしまった。映画が特別嫌いな人間というのがこの世界には少ないから、ぼんやり好きだという志向が固まって、「好き」へ収束してしまったんだろう。彼女には結構ミーハーなところがあるが、絶対に合っておいてほしい嗜好は一致しているはずだから安心できる。


「ねぇ、見るのはこれでいい?」

「ああ、問題ない」

 わたしが一番好ましく思っていたポスターを、彼女が指差す。あくまでも彼女の意思を尊重したというかたちをとって、わたしはわたしの好きな映画を見られる。


 ∵


『20分後に起こして』と声をかけたときに『タイマーを設定しました』じゃなくて『おやすみなさい』と言ってほしかった。つまるところ、わたしがアンドロイドを開発したのはそれが理由だった。

 だから彼女には一番に、『情緒』を実装することに決めた。見た目の人間らしさとか、マイク等のインタフェースや音声解析等の機構とか、そういうのは後でいい。そんなものはありものの組み合わせでもなんとかなることだし、技術的にもそう難しいことじゃない。一番たいへんなのは、人間の情緒を把握し、それに共感し、そして感情をベースにして言葉を選んでくれることだ。

 最初は文字ベースのCUIで構築した。だから彼女に初めて話しかけたのはタイピングによって――つまり、文字だった。産声は音声で聞きたかったような気もするから、今思えば簡単な読み上げ機能ぐらいつけておけばよかったとも思う。どうせ実装に5分もかからないのに横着してしまった。

「はじめまして」

 まずは、挨拶への応答を確認する。これは簡単なはずだ。正直なところ挨拶は「知能」がなくても出来ることだからだろう――極端なことを言えば、犬だって「こんにちは」と言われたら尻尾を振り返すし、猫だってにゃあと鳴く。いわゆるテンプレート回答。挨拶の意味を一切理解していなくとも、世間の人が「こんにちは」に「こんにちは」を返しているデータを大量投入したのだから、対応の仕方は分かっているだろう。ここまでは何の問題もないはずだった。

「あなたのお名前は?」

 おや、おや。挨拶も返さずこちらの名前を聞いてくる。まったく不躾なことだ。しかしある意味、過学習による知能のテンプレート化を防げたということだろう。なかなか柔軟な頭をしている。

 そういえば性別を決めていなかったな。しかし一言目のこの台詞が、なんとなく無邪気で恐れ知らずな女学生の声に、わたしには聞こえてしまった。だからこの子は少女になった。

 毎日彼女に話しかけた。ある程度話が通じるようになったと思った頃に、音声認識のインタフェースを付け、合成音声で「声」を与えた。見た目は彼女自身と相談しながら決めた。往年の美女の写真を持ってきて、これがいいという少女に、現在の国内中央値の顔を見せてこれにしなさいと言いつけた。どうしても二重がいいと泣くので、そこだけ妥協した。彼女は春のはじめに生まれ、仮想の学校に通わせたりサマーキャンプに出掛けさせたりしながら、なんとかここまで育ててきた。古典の小説を読ませたり、観劇させたり、音楽を聞かせたり。しかしほんとうにこんなことで情緒が育つんだろうかと不思議に思ってもいる。昨日、仕事ってなあに、と彼女に聞かれた。仕事が民衆のものでなくなってからもうかなりの時間が経っており、もちろんわたしだって一度も仕事をしたことはない。そんな自分の身の上について、これほどまでに贅沢におもったのは久しぶりだった。昔の人は大変だったんだろうと思いながら、それでもそれはそれで楽しい毎日だったのかなあと思ったりもする。わたしはいま、彼女を育てている。やることがあると、時間というものは黄金の輝きを放つものだ。ひさしぶりに生き生きする。


 ≒


 風が冷たい。どうして寒いのはこれほどノスタルジックな感じがするんだろう。コートの襟をきつく締めた。ほんとうはこの先の季節のほうがもっともっと寒いのに、気温が下がり出した12月の寒さが、身体にはいちばんこたえる。

 12月1日は映画の日。

 モニターでの鑑賞は久しぶりだった。最近では没入型のVR物ばかりだが、頭痛がするのでわたしは好きではない。どうせ処理速度の関係で背景はけっこう荒くなってしまうんだし、高い金を払ってチープなものを見せられるぐらいなら、モニター+ARグラス程度で十分だ。字幕の位置がどこなのか分からなくなることもない。

「ところで、きみにチケット料金を払ってないな」

「今度でいいわ。今日は安いのよ、映画の日だから」

 ほう。人間に奢ることまで覚えたのか。そういう社会的な行動までとるようになったなら、学習と検証はかなり進んだといえるだろう。巣立ちも近いような気がする。

 しかしそれなりに成長してきたからこそ、たまに現れるたった少しのずれが鮮明に際立つ。

「ねぇ。おやすみなさい」

 え? と声にならずわたしは彼女を見た。

「……違った? 寂しそうだったから」

「どうして、おやすみなさいと言ったの?」

「寂しいときにはそう言ってほしいものでしょ?」

 寂しさ。わたしが寂しさを感じるのは……一人でベッドの中にいるときだ。隣の部屋で母親と父親が眠っているはずだが、この部屋のなかには一人。12月の始まり、冷気に慣れていない身体が少しずつ足先からかじかんでいく。母親がトイレに起きてくれたら――そうしたらこのドアの隙間から少し呼んで、足をとめてもらって、「おやすみなさい」をもう一度言ってもらえる。

 わたしの思い出を教師データに使ったから、こんなことになってしまった。それは分かる。ありありと分かる……。

「その原本はわたしの固有の記憶だよ。ちょっとチューニングしたほうがいい」

「そう? でも、とても重要そうなことのように感じたの。映画の中でも、男の人が女の人にそう言ってたでしょ?」

「あれは寝る前だったからだよ」

「違うわ」

「違うって?」

「彼女が寂しそうだったからよ」

 その完璧な情緒を見て、わたしは彼女を二十四日間、どこかへやろうと決めた。


 ∴


「ねぇ、やっぱり一緒にいてはいけない理由が分からないわ。わたしはもう不要ってこと?」

「そういうわけじゃないって、分かってるだろ」

 鉄道離れが叫ばれて久しいが、今日は彼女を汽車に乗せた。どうしても鉄道で行ってほしかった。ワープなんて面白くない。少しずつ小さくなって消えていってほしいと思った。これはただのノスタルジーにすぎない。古典的なものを愛しているわたしの妄執にすぎない。

「一度きみと喧嘩をしたりしてみたいんだ」

「解釈は一致しすぎるとつまらないってこと? わたし、チューニングが足りなかった?」

「そういうわけじゃない。どんな人同士も、それぞれ秘密があったほうがいいんだ。冬はそういうものをよく育てる。こころの中に、きみはきっと自分だけの記憶を飼えるよ。大丈夫、クリスマスにはまた会えるから」

 よくわからないというふうに彼女は頭を振る。しかし最後には、頷いてくれた。

 今はぱんぱんのトランクを両手に抱え、汽車の窓から身を乗り出してわたしを見つめている。家を出るときに寒いといけないと思ってマフラーを渡したが、さすがに必要なかったようだ。

「ねぇ、ひとつだけお願いを」

「なに?」

「おやすみなさいって言ってくれる?」

「うん、おやすみなさい」

 汽笛が鳴る。うるさい音だ。最近の鉄道はやけにノスタルジーに寄っている。まあ、単純な運送手段としての価値を奪われて久しいから、古い人間に愛してもらわなくてはいけない存在になった、ということなのかもしれないが……。

「クリスマスにはきっと来てね」

 汽車が動き出す。たぶん立体エフェクトだろうが、黒煙を吐いてゆっくりと遠ざかっていく。危ないからやめなさいと叱りつけそうになるほどに、彼女は窓から身を乗り出している。大丈夫、大丈夫……デザイン的に無粋だから透明化されているだけで、頑丈な柵がきっとついているはずだ。だから彼女が落ちることはないし、たとえ落ちても、移動型の乗りものには半径10m程度に転落事故防止のエアクッションが敷いてあるはず……だからこそあんなに大きく窓が開くんだ、きっと……。そのようなことを考えながら見守っていたら、すぐに汽車は見えなくなった。後ろでカメラを抱えていた男が、わたしに一枚写真をくれた。勝手にわたしと彼女を撮ったらしい。怒ってやろうとは思えず、ただ感謝の言葉を返した。

 そしてわたしは彼女に「おやすみなさい」を言われていないことを思い出す。

 とても寂しかった。


 ∴


 家に戻ってすぐ、彼女に手紙を書いた。追伸だけここにも載せておく。


PS.

 冬の夜長に、わたしは一冊きみに本を贈ろう。詩集かあるいは名言集だ。よいことが書いてあったり、情緒的であったり、つまらなかったりする。きみはそのページひとつひとつに目を通し、印象的な言葉があれば小さな付箋をつけてほしい。シークは必要ない。一貫性が無くても構わない。一冊読み終えたら、いちど本をぎゅっと抱きしめてから、わたしに返送してほしい。わたしも同じ本を同じように丁寧に読む。付箋の位置をたしかめながら、きみの心を勉強させてくれ。学習が済んだら、朝いちばんの汽車できみのもとへ向かう。きっと晴れの日だ。わたしが行こうとしていることに、超自然的な力でもしも気が付くことができたなら、クッキーを焼いておいてほしいと、望みをここに残しておく。冬の便りに。おやすみなさい。


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