第10話 明日から波乱に満ちた学園生活が始まりそうだ

 ――堕とす


 

 ヴィオラ先輩は、この世のものと思えないほど美しく輝くあおい瞳をこちらに向けて、それこそげんはじいたかのような澄んだ声で告げた。


 僕を堕とす。


 ここまでの説明を真実だとするのならば、その言葉は、あまりに敵対的だ。


 今からおまえを刑務所プリズン送りにして、自由を奪ってやるぞという宣言である。はい、そうですか、と受け入れられるわけがない。


 僕は、ごくりとのどを鳴らして、ひざを立てる。


 ヴィオラ先輩の動きに注視して、何をされるのかを洞察どうさつする。情報は少ない。堕とすとは、つまり、いったい何をするのか。僕は、どうすれば防げるのか。


 情報量的に、圧倒的に不利なのは間違いないのだけれど、それでも、なんとかしなければ。


 警戒する僕に対して、ヴィオラ先輩は、くすりと笑ってみせた。



「でも、やっぱり、やめたわ」


「え?」


「そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。確かに、ここへは、あなたを堕とすために来たのだけれど、もういいの。その方法はことがわかったから」



 なんだか、肩透かしな気分だけれども、安心していいのだろうか。



「効率がわるいってのは、どういう意味ですか?」


「あなた、のだもの」



 僕が頭に疑問符を浮かべていると、ヴィオラ先輩は、お茶を一口飲んでから、話を続けた。



「あなたが気づいているかはわからないけれど、私は既に2回、ラブコメをしかけているの」


「え? いつの間に!」



 は、まさか!



「あの『パンツ覗き魔』と叫んだやつ!」


「いえ、あれは違うわ」



 あ、違うんだ。



「あれは、今朝、”街角でぶつかる”、っていう超古典的なラブコメの流れよ。呪いの影響でやらされただけ」



 意思を捻じ曲げられた結果、ということか。ヴィオラ先輩は、呪いにもフェーズがあると言った。つまり、僕のことを好きにはならないが、あの程度の奇行に走ってしまうくらいには、意思を捻じ曲げられるわけだ。


 そう考えると、けっこう怖い呪いだな。


 

「私がかけたアプローチは放課後の件。一つは、あなたが風紀委員に詰め寄られているところを助けてあげたこと。”救世主”パターンね。ピンチに救世主が颯爽さっそうと現れて救ってくれる王道のラブコメ展開。あなたが茶髪の子を堕としたのも、このパターンよ」



 これは、わかりやすい。ラブコメというには、いささかコメディ要素が少ないけれど、クライマックスには必ずといっていいほど設置されている展開だ。



「もう一つは、まさに今、私があなたの部屋に上がり込んだこと。”密室に二人きり”パターンよ」



 どうでもいいんだけど、ラブコメの呪いとか、パターンのネーミングは、ヴィオラ先輩が考案したのだろうか。わりと微妙なものが多いんだけど。



「このパターンも珍しくないわ。思春期の男女がお互いの部屋に上がり込んで意識し合う展開」



 うむ。その展開もラブコメならば、必ずといっていいほどあるシーンだ。



「特に男の子は、エッチなことが起こるのではないかと妄想しがちね。こうやって女の子がベッドに座ったりすると、誘っているみたいでドキドキするでしょ?」



 ……確信犯だったのか。


 勘違いしなくてよかった。やっぱり唐辛子食べといて正解だったな、うん。


 

「まぁ、でも、どちらのアプローチでも、あなたは堕ちなかった。どうやら、私とあなたでは相性がわるいみたい。たまにあるらしいの。堕ちにくい関係って」


「そうなんですか」


「不公平よね。私は堕とされたのに」



 だから、とヴィオラ先輩は、本題に入った。



「あなた、私が堕ちないように協力しなさい」



 ……何でそーなるの?


「あなた、私を堕とす気はある?」


「え? いや、今までの話を聞いて、堕としたいなんて思いませんけど」


「でしょ。見込み通りでよかったわ。この学園の事情も知らなかったし、あなたは、正常な思考を持っていると思ったの」



 それは、そうでない人もいる、ということか。あの茶髪先輩のように。



「元から男子の協力者がほしかったのよ。この学園を堕ちずに卒業するには、ね。だけど、男子は、すぐに私を堕とそうとしてくるか、私が堕としちゃうから、なかなか獲得できなくて困っていたわけ」


「あのぉ」


「何?」



 僕は素朴に思ったことを口にした。



「そんなに嫌なら、転校したらいいんじゃないでしょうか?」


「はぁ、できたら、とっくにやっているわよ」



 ヴィオラ先輩は、吐き捨てるように言った。



「家庭の事情で転校はできない。だけど、堕ちるなんてまっぴらごめん。私は、絶対に堕ちずに卒業しなければならないの」



 なるほど。まぁ、いろいろあるのだろう。一方で、僕の方が転校したくなってきたのだけれど。



「ちなみにあなたの転校は許さないわよ」


「え?」


「もしも転校なんてしたら、全身全霊をもって、あなたの人生を不幸なものにしてやるんだから」



 何て恐ろしい宣言だろう。


 僕はいろいろ考えた挙句あげく、まぁ、実際のところは、もう頭が回っていなくて、わりと投げやりな感じであったのだけれど、ヴィオラ先輩に返答した。



「わかりましたよ。協力します」


「そう。よかったわ。手荒なことをしなくて済んで」



 ……怖いなぁ、この人。



「その代わり、この学園のこと、いろいろ教えてくださいよ」


「えぇ、もちろん。あなたに堕ちてもらっても困るからね」



 交渉成立。


 この契約が、どういう意味を持つのか、今の僕には、まだわからないし、わかりようもないし、予想もつかないけれど、明日から波乱に満ちた学園生活が始まりそうだ。


 想像していたのと、だいぶ違うんだけど。


 僕がため息をつくと、ヴィオラ先輩は、よいしょ、と立ち上がり、僕の方を見据えた。



「じゃ、ちょっと、あなた、歯を食いしばりなさい」


「何で!?」



 協力契約をした直後の、いきなりのバイオレンス発言に、僕は驚かざるを得なかった。


 しかし、ヴィオラ先輩は動じることなく、むしろ、何を驚いているのといわんばかりに首を傾げた。



「あなたが、私のパンツを見まくったからでしょ?」


「……」



 ……あー。


 

「いえ、あれは事故っていうか」


「今朝のはそうでしょうね。あれは、私の不注意でもあったし。でも、階段のときは、確信犯よね?」


「……」


「さっきまでもずっと覗こうとしてたし。大事な話をしているのに、ぜんぜん視線が合わないんだもの」


「……」


「この先輩、今朝からパンチラばっかしてんな。もう、いっそパンチラ先輩と呼んでやろうかとか思ってたんじゃないの?」


「……あははは」


「正直者ね」



 そう言いながら、パンチラ先輩、こと、ヴィオラ先輩は、拳をぐっと握り込み、それから足を開き、腰を落とした。



「だから、一発で勘弁してあげるわ」



 つまるところ、彼女は、美少女先輩でも、パンチラ先輩でもなく、グーパンチ先輩だったという、そんなオチかぁ、と僕は後ろに吹き飛びながら、性懲しょうこりもなく思ったのだった。

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