第4話 猫と鷲と時蕎麦

「掛けのお方ー」

「あ、私です」

 茶色の素朴などんぶりに、蕎麦と茶色のつゆ、そしてちくわだけが入っている、本当にシンプルな、単純な蕎麦。かつおだしのいい香りが、食欲をそそる。

「こちら、かき揚げの掛けになります。注文は以上でよろしかったですか?」

「はい、大丈夫ですー」

「伝票こちらになります。ごゆっくりどうぞ」

 清香さんのどんぶりには、蕎麦の上に桜エビのかき揚げが載せてあった。これが私と清香さんの才能の差かもしれない。何となく、そんなことを思った。

「蕎麦は、伸びちまうと極端に美味しくないからね。ほら、食べよ」

 清香さんはそういって、置いてある割り箸を二膳とって、一膳渡してくれた。

「あ。ありがとうございます」

「ここのお店が気に入ってる理由の一つにね、割り箸っていうのがあるんだ。エコだなんだって言ってるけどさ、割り箸割る割らないくらいで変わるかっていうんだよね。やっぱ美味しいもの食べる時は、割りたいじゃない? いただきまーす」

 そう言って清香さんは蕎麦を食べ始めた。それにつられるようにして私も。

「い、いただきます」

 箸を割った。

「やっぱ、かつおだしだよねぇ。日本人の心にさ。心にっつーか遺伝子にさ、刻まれてる気がするよかつおだしの旨味っていうのはさ」

 そう言いながら蕎麦をすする清香さんは、まるで江戸っ子のようで。さっきまでの辛気臭い雰囲気はどこへやら。強い女性だと思った。

「……行きつけって言ってましたけど、どれくらい来るんですか? このお蕎麦屋さん」

「んー? 週に三回くらいかな? 現代人にしては良く蕎麦食べる方だと自負してるよ」

 週に三回も同じものを食べるなんて、よほど好きなんだなと思った。

「……ダイエットとかしてるんですか?」

「んん、してないよ。美味しい飯の前に何か別のことを考えるなんて失礼だわ、って思わない?」

 急に、目を細めて。アダルトな声で、清香さんはそう言った。

 どうもこの人は、自分にとても自信があるらしい。

 色々な魅力を持っている人だと、そう思った。

「ちくわって、あるじゃん。私、ここの店のちくわ大好きでさ。厚いんだよね。他の店よりもさ。だからここのお店の蕎麦一度食べちゃうと、他のお店が貧乏くさく見えちゃってさぁ」

 そう言って、箸でちくわを挟んで口元まで持っていく彼女。意識して自分の器のちくわを見てみると、なるほど確かに、厚い気がした。

「でさ、器も素朴で上品じゃない? 蕎麦に合うっていうかさ! あまり上品過ぎても蕎麦に合わない気がするし、かといって質素過ぎると悲しい気持ちになる。丁度いい塩梅なのよ。ここの器はさ。あぁあと、表の看板見た? ここの蕎麦屋。月屋っていうのよ。いいわよねぇ月屋なんてさ。ツキが回ってくる、なんて言うしさ」

 とても褒める人だな、と思った。とても、ここの蕎麦屋の全てを褒める人。とても気に入っているんだな。……というか。

「お金、一銭ぎるつもりですか?」

 そう言うと清香さんは、面食らったような顔をした後、笑って。

「あははは! 何ー? 時蕎麦、知ってるのぉ? 修行仲間の人にでも連れてかれた?」

 ご飯を食べているときは、とても豪快な笑い方をする人だな。

「落語には、時々。連れて行ってもらいます。知り合いに、好きな人がいて」

「そりゃ、いいよ。落語は別に無くても困らないけどさ、人生を豊かにしてくれる。日本語を知ってるなら、経験しとかなきゃ損なもんだよねぇ」

 そういって清香さんは、かき揚げを挟み、口いっぱいに頬張った。

「……美味しいですか?」

 私のなんとなく気になった問いに、しばらくかき揚げを咀嚼している間を置いて、飲み込んだのちに。

「ここのお店は――かき揚げが一番旨いんだよ」

 満面の笑みで、そう言った。

 お茶目な、綺麗な顔だった。

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