第3話 鷲が翼を捨てた理由

「子供の頃はうどんの方が好きだったんだけどね。いつの間にか蕎麦の方が美味しく感じるようになってね。何頼むの? 私の奢りだからって遠慮しないでね」

 山から降りて、少し歩いた所にあったお蕎麦屋さん。そこに、連れてきてもらった。どうやら、行きつけのようだった。

「……じゃあ、掛け蕎麦で」

「掛け? まぁ確かに最近寒いもんねぇ私も掛けの方が好きだね。はーい! 店員さん注文ー! えっと、掛けと、かき揚げの掛け一つずつ。はい、お願いしまーす」

「……お願いします」

 注文を聞いて去っていく店員さんに小さい声でお礼をする。こういう、お店というのは、中々慣れない。娯楽なんて、触れる機会少なかったから。

 個室の、良い雰囲気のお店。さっき値段を見たときもそこそこした気がするし、なんだか悪い。居心地も、ちょっと悪い。

「店員さん驚いただろうな。あんたみたいな恰好の人が来て」

「……そりゃ」

 着替える時間なんて無かったしそもそも持ってきてすらいないので、私は今巫女服だ。上は白い小袖こそでで、下は緋袴ひばかま。いきなりそんな客が来たら、驚きもするだろう。そして十中八九、コスプレだと思われるのだろう。

「懐かしいわその服。夏は暑くて冬は寒いその服。でも、袖を通すとどこか安心するその服。本当に――懐かしい」

 机を挟んで、目を細めてこっちを見てくる綺麗な顔に、少し目を逸らしてしてしまう。どこか、気恥ずかしい。

「……なんで、破門されたんですか。天才って言われてた……天珀てんぱくさんが」

 いつの間にか敬語で話していた。恥ずかしさを紛らわすために話を振ったが、言ってからデリケートな問題だったと気付く。ただ、目の前のアダルトな女性は別に傷ついた様子もイラついた様子もなく。

「あぁ、そういえば名前言ってなかったね。清香さやかよ。呼び捨てでいい。あんたは……」

 そう、言った。

「……夜知やち、です」

「あぁそうそう夜知ちゃん。そうだったそうだった。で? 私が破門された理由? ふふ、懐かしいなぁ何か。もう、何もかも」

 そう言って、恐らくは破門されてから染めたのだろう金髪をいじりながら、静かに清香さんは話し始めた。

「もう八年前かぁ。破門された理由は本当に単純なもの。もの、というか疑問、かなぁ」

「疑問、ですか?」

「うん、疑問。ほら、私って兄貴がいるからさ。よく一緒に修行したんだよ。同じ風鷲の神託を得るためにね」

「神託を得るために……」

 私は憑巫よりましだから違うけど、一般の巫覡は、神託を得るために厳しい修行を積む。それこそ血の滲むような修行を。神託術を使う技術、神託を得られるだけの精神、他の巫覡に劣らないような知識。そして修行は、有名な力のある巫覡の一族であればあるほど厳しくなる。六誅天辺神ろくちゅうてんぺんしんの大元締めともなれば、想像を絶するものだろう。

 だってその人は将来。その神を信仰する人たちの、頂点に立つわけだから。

「兄貴はね、良い人なんだよ。誰にでも優しくするし、私がイタズラとかしても怒らなかったし。本当に、自慢の兄貴だねもう何年も連絡取ってないけど」

「……イタズラとかしてたんですね」

「反抗期のクソガキなんてそんなもんだ」

 クソガキって……。言葉遣い悪い……。

「でもね。憎まれっ子世に憚るなんて言うけど、割と本当にその通りでさ。私の方が早かったんだよ、神託を得るの」

 清香さんは、どこか遠いところを見ながら、そう言った。

「早かった……。何歳ぐらい、ですか」

「九歳」

「……!」

 私は、目を見開いた。だって、神託を得るにはその神を納得し、神の子供を授けてもらわなければならない。私みたいな憑巫は、納得させるために体の一部を献上するわけだけど、普通の巫覡は、それと同等の価値を、自分のスキルで示さなければならない。

 九歳というのなら、小学校三年生かそこら。まぁ、巫覡の修行をしてるっていうことは学校には行ってないだろうけど。でも、年齢的にはそうだし、能力だって、そこら辺の小学校三年生に毛が生えた程度なはず。

 その年で。六誅天辺神の一柱。天から全てを見通す神、風鷲を、納得させたっていうのか。

「自分で言うのもなんだけど天才って奴でね、私。当時は四六人だったかな。本家で神託を得るために修行をしていた人がいて、一番上が確か二十歳で、一番下が私。ごぼう抜きしたよ、四五人。その時十二歳だった、兄貴ごとね。天珀家一二二代の歴史で、一番早いらしいよ。笑っちゃう」

 私はうっすらと背中に汗をかいていた。私も天才だ天才だと囃し立てられていたが、目の前にいるのは天才も天才、大天才じゃないか。歴史に名を遺すような人だ。

「私も嬉しかったよ、当時。九歳で周りから天才って言われてね。巫覡の仕事をするのだって楽しかった。神託術を扱うのも、巫覡のことを学ぶのも、本当に楽しかった。何より、人に必要とされることが嬉しかった。天才だなんて言ってもそこら辺の九歳のガキとなんら変わんないんだよな。俗物的だ」

 そう言って清香さんは、出されていたお冷にゆっくりと口を付けた。

 まるで話は、そこで終わりと言わんばかりに。

「……なんで、そんな天才が。今はOLを?」

 でも私は、逃がすわけには行かなかった。目の前の天才を。

 気になった。どうして、周りからそんなに必要とされていた人が、今。その集まりの中にいないのか。完全にその道から外れて、一般人をしているのか。

 聞かずにはいられなかった。そこに自分を投影するのは恥ずかしいけども、おこがましくて全く顔も上げられないけども。

 それでも、とても他人事とは思えなかったから。

 清香さんが言わば逃げ出したと言われてもおかしくない環境にいる理由は、何か自分に近しい気がすると、そう思ったから。

「……年功序列」

 そう、ゆっくりと。清香さんは、お冷を置いた。

「年功……序列?」

「あぁ、年功序列。天珀家次期当主はね、兄貴だった。私がどれだけ修行しようが、どれだけ賢くなろうが。どれだけ、頑張ろうが。例え、一族の歴史を塗り替えた天才だろうが。一族の伝統は、覆せなかった」

 それが、どうにも屈辱的でね。そう、清香さんは語った。

 それは奇しくも。そしてやはり。私の勘は当たっていたようだった。

「……どちらが早く生まれたなんていう肩書じゃなく、本当の自分を見て欲しかったってことですか?」

 再びお冷に口を付けていた、清香さんの喉の動きが止まる。

 湯呑を口に当てながら、天井に目を向けて、しばらく右に左に動かして思案した後に、湯呑を口から離し机の上に置いて。

「何。あんたが抱えている悩みも、同じようなのみたいだね」

 そう言ったのと。私が頼んだ掛け蕎麦を運ぶために、店員が個室の引き戸を開けたのは、全く同じタイミングだった。

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